こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その12「和尚と私の夏休み(上)」

 

f:id:koshinori:20170607173257p:plain

私は多くの子供達がそうであるように学校という名の子供を一杯詰め込む檻が嫌いであった。こんな表現をすると学校が大好きなお友達、そしてそこで楽しく教える先生達には申し訳ないが私の記憶の中の学校のイメージがコレなのである。

 そんな檻から開放されてしばらく戻ってこなくても大人に叱られない夏の或る時期、と回りくどい言い方をしておいて簡単に言うと皆大好き夏休みのことである。自由を満喫できるこの長いお休みは私も大好きであった。しかし、この夏休みに苦いとは一言で言えないちょっと変わった体験を私はしていたのだ。

 私が小学校高学年の頃のことだ。今でこそ社内で「君子」の名で通っている私だがガキの時分には少々やんちゃが過ぎる子供であった。私の実家は一族で商売人であり、とある商売でなかなかの儲けをあげていたのだ。商売の都合上夏は書き入れ時でとても忙しかった。そこへインドア少年の私が学校へ行かず一日家にいると大人たちからすると正直言って邪魔なのである。私は先にも言ったとおりインドアな少年であったが内気で大人しいことの無いやんちゃな大人を困らせるガキであった。やんちゃなエネルギーで家業を手伝うことは出来ない。仕事も勉強もしないのに一族で一番大食いで実の親からも「極潰し」呼ばれる酷い扱いを受けた。

 忙しい身で子供の世話もできない、置いていても悪さをして食費代を持っていくだけの邪魔者の私をなんとかしようと私の両親はとんでもないことを考えた。狡猾な私の両親はまずは仕事の邪魔者を他所へやる目的、ついでに私の素行の悪さの改善の目的で私一人を知り合いの寺へ預けることへしたのだ。マジで嫌だった。ちなみに悪知恵がたっぷり詰まった頭を持つ私のお兄ちゃんは夏期講習に行くとか法螺を吹いて私のお供となる被害から上手いこと逃げた。私には可愛い妹もいるのだがこちらは父が離したがらなかった。私としても可愛い妹をあんなところにやりたくは無かったので父の気持ちはわかる。

 必死に逆らったが強制送還されて私は某県某町のお寺に預けられた。そういえば「キテレツ大百科」でブタゴリラが寺に預けられる話があったなと思い出した。一般家庭から寺へ移住すると寺が人の住む家としていかに異質かがわかる。でかい鐘があるし、燈篭があるし、普通の家にはない広い庭がある。ここの寺だけかもしれないが日当たりが悪くて昼でも薄暗かった。

 ここでの生活はそれは厳しいものであった。まず朝が早い。ラジオ体操よりもまだ早い5時半に起こされて身支度をして鐘を打つ仕事を言い渡される。しっかり腰を入れて打たないとジジイの和尚に叱られる。私は仮にも学生の立場なので勉強の時間を決められてその間は和尚よりも学のある女将さんが私の先生をしてくれた。こうしてやらずにおこうと決めていた夏休みの宿題が寺側でスケジュールを組んだ通りに消化されていった。宿題をテンポ良く潰したいのにペースが上がらずお困りのお友達はこの寺に住むのをおすすめする。

 私の寺での主な仕事はほとんどが掃除である。和尚は長々とした説教の中で要するに「掃除が全ての基本」的な内容を喋っていた。長いので具体的に何を言ったかはよく覚えていない。

 掃除は寺の中、そして庭まで広い範囲でやらされた。毎日やっても夏休み内でやりきれない程に掃除箇所がある。私はこの一夏で小学校6年間分掃除をしたと思う。庭は木や草など植物が多い。裏山も寺の持ち物でこちらにも登って掃除をすることがあった。寺の裏が森みたく植物が多いので夏ならば虫が多く出る。カブトムシ、クワガタ、蝉、蜂、バッタ、カマキリ、ムカデ、ゴキブリ、蛇、蛙、トカゲ、ヤモリ、イモリ、トンボ、蝶、蛾、蚊、ハエ、ミミズ、ダンゴムシ、ナメクジ、カタツムリ、カミキリムシ、蜘蛛、カナブン、他にも名前もわからない謎の虫まで自由研究に使えそうなくらいに種類が揃っていた。一夏にこんなにたくさんの種類の虫共をみることもないだろう。私は虫が嫌いだし蛇なんかは怖くて仕方無い。和尚は「虫程度にビビッていては情けない。嫁と虫と同居していると思っていないと寺ではやっていけない。」と言っていた。当時も今も寺でやっていく気は無い。

 ここでもいい事は少しあり、早起きして見る朝の太陽というのは真昼や夕方に見るそれとはまた雰囲気が違い変わった趣があるとも思えた。早起きはつらい時もあるが基本的には気持ちが良かった。寺では就寝時にはオレンジの豆電球をつけることは一切せず全て消して真っ暗闇にして寝る。最初は怖かったがいつしかこれの方が良く眠れるようになった。私は実家で豆電球だけはつけて寝ていたのだが、寺から帰ってからはもはや眩しくて眠れなくなったため、真っ暗にして寝る習慣に変わり現在に至る。

 ここの飯は結構うまかった。質素な精進料理ではなく普通に魚や肉も食卓に並んだ。和尚はプリンが好物だったし風呂上りにはパピコを食っていた。寺といってもそこまで厳しく古臭い習慣ではないようだ。たまに地元のなんとかという洋食屋へ連れて行ってもらったこともある。仕事をせず一日部屋に篭っていても腹が減りたくさん食う私がしっかり仕事をした後ならば更にたくさん飯を食わないといけなかった。おかわりOKでたくさん食わせてくれた和尚と女将さんには今でも感謝している。

 私の尊敬する祖父のありがたい教えの一つにこういうのがある。「人から恩を受けたら同じ分返したいところだが、お前みたいな者が恩を返す力も足りないだろうからせめていつまでも感謝の念と共に受けた恩を覚えておけ」。この教えの通りわたしはうまい飯を食わせてくれた恩はいつまでも覚えている。たまに女将さんの焼いた卵焼きや和尚と行った洋食屋のオムライスが懐かしくなる。