こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その13「和尚と私の夏休み(下)」

 

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 寺での生活は半月以上続いた。他所から預けられたガキが住んでいるなんてのは地元の民の間では珍しい話題となり用も無いのに私を見に来る人もいたくらいだ。それも年寄りばかりである。ここの年寄りは決まって私に昔話をして、そして何か食べ物をくれる。餌付けされているようであるがおいしいものが食えるなら悪くはない。私は好きだけど子供のおやつには珍しい竹輪とか蒲鉾を持ってきた爺さんがいたのはよく覚えている。芋羊羹を持ってきた婆さんもいた。私は幼い頃からスイーツ魔人であって和洋問わず甘いものはなんでもウェルカムなのだ。

 ある爺さんは和尚の母親がまだ生きていた頃の昔話をしてくれた。その爺さんがまだ子供の頃に寺の近くで遊んでいたら和尚の母親が缶コーヒーをくれたという。いまでこそ缶コーヒーなんてのは、一日の内に世界中で何人もの人間が飲み干している一般的飲み物だが、その当時はそんな物は珍しくその爺さんは初めて缶コーヒーを目にして味を知ったという。初の缶コーヒーはとても美味しくて「こんなうまいものが日本にあるんやな」と言ったらしい。そういった大昔ならではの話をたくさん聞かされた。年寄りの話は子供からすると想像もできない異世界のお話のように思えることもあり聞いていておもしろかった。

 寺のすごいと思ったところはお客さんがお供えに持ってくる品が結構高そうな良い物ばかりということだ。高級な菓子や果物がたくさん寺に届くのだ。古い見た目の寺だが飯には一つも困らない。饅頭をたくさんもらうので私は食いまくっていた。和尚は糖尿病を気にしているし女将さんは小食であったのでこういった物はほとんど私の胃に入っていった。餡子がうまいとつくづく感じた夏であった。

 和尚は土日にはだいたい葬式や法事に出かける。その時に持って帰ってくる折に入った弁当がとても豪華である。刺身がありエビフライや天ぷらに寿司が入り他にもおかずがたくさん入っている。これには大食らいの私はテンションがあがる。量が多くて和尚だけで食えないので私も一緒になって食う。和尚は子供にしては何でも好き嫌いなく食うから偉いなと褒めてくれた。こんなうまい弁当を毎週のようにくえるなら坊主も悪くない仕事だと思った。

 夏休みの時期なので桃、マスカット、スイカなど普段は食えない果物が寺に届くこともあった。こういった物は高価で一般家庭で簡単に登場することは無い。私がもっと大きくなってからの話であるが新鮮な果物を売る市にいったら高い桃は一玉1000円くらいの物もあった。マスカットだって一房で3000円や5000円のもあってマジで驚いた。寺はすごい、どこもかしこもがこうではないのかもしれないがここの和尚の下にはこうして美味い物ばかりが集まりそのおこぼれは私の胃の中に入る。寺でひもじい思いをすることは一切無かった。

 ある時、寺の本堂の掃除をしているとお供えにあの「赤福」が添えられていた。「赤福」、それは確か近畿地方の方で作られている小餅に餡子を塗りたくった高級感溢れる和製スイーツである。当時の私は目の前に輝くコレといつしかチェーンを広げて街のあちこちで目にするようになったオシャレなアイス屋の「31アイスクリーム」を死ぬまでに一度でいいから食いたかった。私の生の目的であり、死に行くときには後悔となる一つのアイテムがいまここにある。私は心をデビルに乗っ取られて「赤福」の包装を引き裂いて食らいついた。木ベラが入っていてそれで餡子餅をすくうようになっているが店の方で客のために考えたこのサービスを無視して手掴みで食った。手をべたべたにして食った。あれは本当に美味かった。途中で和尚に大目玉を食らうだろうという未来予想図が読めたが「まぁいいだろう。美味ければもういいだろう」と開き直って食らい尽くした。わずかな背徳感を欲望が押し潰した結果、私は邪に落ちた。本堂のお供えを勝手に食うなど罰あたりもいい所だ。せめてしっかりここを綺麗に掃除して償いにしようと決めて掃除の続きをした。

 特に白状するでもなく私の罪はバレた。和尚は食い意地が張った欲まみれの愚か者は許さないと言い私の性根を叩きなおすプログラムを組んだ。多くの皆さんは恐らくテレビでしか見たことがないであろう寺の修行の一つで、座禅を組んだ坊主の後ろを監督者が棒を持って歩き、姿勢が崩れたり居眠りなんかをしたら肩を棒で打たれるという例のやつを私は体験するはめになった。これを一時間やったはずが無限の苦痛に感じた。何もせず座っておくということがこんなにつらいとは思わなかった。その間に腹も鳴る。和尚は私の腹が鳴っても打ってきた。赤福ひとつでこうもつらい目にあうとは運命は残酷、そして人は禁断を破って痛い目に会うのを回避できない愚かな生き物だと思った。それはアダムとイブが禁断の果実を齧りエデンの園を追放された時からどうゆうわけかフニフニフニ後を絶たない愚かなるリレーなのである。(名曲 林檎殺人事件の一部歌詞を借りて書する感想でした)。

 このことがあって私は後に無事実家に戻ることが出来た後も「禁断」の概念が頭に強く残り、家でおいしいものをみつけても親に食っていいかちゃんと聞いてから頂くようにした。私の代からは人間の愚かさは無くしていこうと思ったのである。これは仏教でいうところの悟りになるのではないかと思う。寺だけにこういう悟りも開けたわけである。私は案外僧侶に向いているのかもしれない。

 あと、これの約10年後になってやっと「31アイスクリーム」を食えたのだ。ミントのやつが美味しかったな。こちらは生涯で2回しか食ったことが無い。従姉妹が遊びに来た時に持ち帰りのパックを土産にくれたのだ。私は素直にこいつを生きている内に食いたかったと言うと叔父と叔母はかなり笑っていた。今はジャニーズWESTがCMをしているよね。私はメンバーの中でも桐山君推しである。

 盆の時期にはいつも寺での生活を思い出すのだ。ちなみにこの異なる一夏の体験を記録した物を夏休みの課題として提出したら大変ウケが良くてちょっとした賞ももらった。無理やりに女将さんの指導の下で全宿題を片付けさせられて賞ももらってまあ良い結果となった夏であった。