こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その16「こしのり教壇に立つ(上)」

 

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 教育の世界に対しては学び舎に通っている時分から疑問、欺瞞に感じることが多々あった。そんな学校教育に対して否定的眼差しを向けるこの私がまさか教育者側に回ることなろうとは思いもしなかった。そう、私はかつて教壇に立ったことがあるのだ。

 私という人間は「人生をおもしろおかしく生きる」という大スローガンを掲げていついかなる時においてもそれを実行するという気力と気合に満ちた日本男児であったのだが、そいつは趣味においてはその通りに実に熱をこめてやるのだがその他のつまらんと感じたことにはとことんに冷めてかかるというわかりやすい性質であった。

 人生における大事な選択のひとつに職業の決定というのが持ち上がるであろう。一般的に考えてお金儲けをしないと飯も食えないのでそうなるとお金を貰うための職業の決定はやはり重要だと考えられる。しかし、そんな重要なことをさも下らんことと投げ置いて頭の端にも止めない人種もたくさんいる。何を隠そう私もその一人であったのだ。

 私は学校を出てしばらくの間遊んでいた時期があった。五体満足で生産年齢人口に該当しておかしくない年齢でありながら生産活動を全く行っていないという現状をわが息子に見た私の両親はとにかく「働きにでろ!」と口やかましく言う。私の祖父が飲食店などで使うおしぼりを作る工場を持っていてそこの下っ端として使ってやると言ったことがあったが、私はこれという理由もないのに一も無く二も無くその誘いを断った。私にとっては労働は時間の無駄としかその当時は考えられなかった。いや、正直言うと今もそう思っているのだが・・・

 そうして遊んでいる身分の私の所にある日困った話が転がり込んだ。その話の転がり込んだ日の晩飯はポトフだった。こいつは間違いの無い記憶である。なぜかって言うと私の頭の中は趣味の読書やアニメやゲームやその他サブカル、そして食い物によって埋め尽くされているからである。父と私は机を挟んで向かいあって座り飯を食っていた。私がコンソメの入った汁をしっかり染み込ませたキャベツをウインナーを巻いて口に運ぼうとしたその時である。父が前触れもなくその話を持ち出した。以下に父の話した内容を父の口調もそのままに記述しよう。

 「今日の昼にお前の通っていた高校から電話があって、お前に臨時講師を頼むと言って来た。で、行かせると学校側に言っておいたから」

 と、この通りである。

 私はこの突っ込みどころ満載の話を耳にして「やれやれだぜ」と空条承太郎のごとく嘆息と共に一言漏らした。まずは父よ、私の名は尾前さんでも大前さんでもないのできっちり自分で名づけた素敵な名を口にするがいいと思った。(ちなみにこの時の父と同様に私の会社の課長が私をお前と呼んだことがあったのでその時にも私は「私は尾前でも大前でもありません。私の名前は・・・」と本名を名乗ろうとしたところ、課長がそれを遮って「知ってるわ!バカにしとんか!」と怒ったという笑い話がある。後日ドラマ「ハケンの品格」の再放送を見た時、私と課長とのやり取りと同じシーンが流れて笑えた。関係ないけど思い出したので記述する。)そして父が言った「行かせる」とはどういうことだ。

 その日の昼、私は人ごみを嫌い、自分と同じ趣味を持つにも拘わらずキモオタを嫌悪する気持ちを抑えてまでして街に新しくできたアニメイトへ行ったのである。楽しかった。

 よって父が電話を受けた時には留守であった。そういうわけで父の独断によって図らずも私のしばらくの仕事先が決定したのである。過去に母に唆されてうっかり教員になる勉強など受けたのが仇となった。

 当然私としては学校など生徒として通ったのみでお腹一杯なので再び教師として通うなんてご免だ。断りたい思いで一杯だったがで父から言えば「お前が断る理由はない。」とびしっと一言を食らったのみで私の抵抗の試みは終わった。確かに、無職の者が職を斡旋されて贅沢を言うなんてのはない。しかし嫌なものは嫌だな。私はよっぽど姿をくらましてエスケイプを決め込んでやろうと考えたが、さすがは同じ遺伝子を持つ父だけあって私の思考を先読みした手を打ってきた。その父の打った先手というのが実に狡猾であって残酷極まりない内容のものであった。これに同感する者はどうかお手をあげることで私を慰めて欲しい。 

 それというのが私の部屋の押入れに眠るダンボール一杯に詰めたセガサターンのソフト(多分100本とちょっとくらい)を私が逃亡した場合は焼き捨てると言ってよこしたのだ。私には愛すべき恋人も友人もいない。(まぁ、欲しいと思ったことも無いがな)無くす者がない故に私は少々の危険でも省みない行動ができるというスパイ向きな身辺環境を整えていたのを強みに生きてきたが、大事な「者」は無くとも大事な「物」は常人以上にたくさん持っていた。そこに目をつけた父は人質は取れなくとも物なら質に取れると私の宝を狙ったわけである。

 こいつはやられた。諸葛孔明のごとく軍略冴える思考を有する私であっても今回ばかりは白旗を掲げる以外ない。

 こうして私は後日になって暑いからという理由で上着は着ずに半袖のカッターシャツのみを風に靡かせ、そして不景気な面を下げて当時の欝に陥った頭では一体何年ぶりになるのか計算できない程久しぶりの登校を決め込んだわけである。

                

          私の意志に関係なく つづく・・・