こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

お父さんと仲直り「和解」

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  短編作家のイメージのある志賀直哉の中編作品それが「和解」である。

 父との不和から実家を出た息子順吉が長きに渡る父との不和を治めるまでの話である。読み終わってから、やはり家族は仲良くなければ損であるし、家族愛は美しい物だと晴れ晴れした心になる。父との激しい喧嘩を経験した者ならどこかしら共感できる作品だと言えよう。

 

和解 (新潮文庫)

和解 (新潮文庫)

 

 ↑  このジャケットを見よ!

  ザ・日本人って感じの顔をしていてグッド。

 

 志賀直哉自身が父と不仲であったことから実体験も反映された作品である。そういうわけで説得力のある話だと感じた。 

 

 間違い無く自分の命の源であるはずの父に対して気の毒とは思いつつもどうしようもなく鬱陶しいと感じることは人情としてありえることであって、私にも身に覚えがあることだ。

 この作品では主人公の順吉は父とは仲が悪いが、実家の祖母とは仲良しで母や妹達ともそうと言える。この人間関係が我が家における私と同じで順吉の境遇に共感できた。

 

 私の父と言うのが朴訥にして根暗極まりない奴であり、それに対して私が真逆の性質を持った人間であるために父から反感を買うことがよくあった。私がわりと周りのことなどどうでも良いという性質なのに対して父の方は人の好ましくない点を看過できないという性質であった。そういうわけで向こうからよく仕掛けてきたものであった。この作品は他人事には思えない。

 

 ただの友達との喧嘩と違い、父と言えば骨肉の仲であるので、それ故に何とも言えない特別な想いの元でやりあうわけである。そのへんのことは本作で良く語っている。家族だからこそ余計にもつれた関係になっていったのである。

 

 私の人間との接し方のルールは調和か断絶のどちらかのみのシンプルな物である。付かず離れずの宙ぶらりんなものなどは無い。他人ならこの明快なルールの下にお付き合いすれば問題ない。それが親となるとどうしても喧嘩をして距離をおいたところで後腐れが残るものである。順吉が素直に父に対しての怒りを持つ中でも父に気の毒だと思う人間の感情の機微が描かれているのは良い。怒る対象となった人物に対しても家族故に或る程度の思いやりを持って接していることがわかる。これには共感できる。私としても親に激しく否定の意見をするにもまず親であるし、そして同じ血が流れていると思えばいくらか相手を慮って激しい物言いをするのは気が引けてしまう。似たような所で言うと他人であるクラスの女子は問題無く殴れても、骨肉の情が湧く我が妹には容易に暴力を振るえないとかがそうである。

 家族だからというわけで理屈ではない特別な感情が湧くのだと理解できる。

 

 最後は父と子で歩み寄って話し合い、無事和解する。二人とも涙ながらに語り合って揉め事が集結するのには私も感動した。

 

 大筋は父との関係修復であるが、もう一つ私の胸を打つ印象的な内容が順吉の第一子の赤ん坊の死である。先に1人目はすぐに死んで今は2人目が生まれているとバラしているが物語中盤で一人目の子の体に異常が生じて医者に見てもらってから亡くなるまでの流れをこと細かに明かしている。この描写がリアルで現場が目に見えてくる程であった。

  生後間も無い内に汽車に揺られたのが原因で脳に異常を来たしたという理由であったらしいが、赤ん坊の顔から血の気が引いてどんどん土色になってゆくというのが怖かった。医者に連れてから色々な手を打ちかなり長いこと粘ったようである。生まれたばかりの小さな命が、迫る死に対して小さな力のみで本能的に抗っているというのがわかる描写がすばらしかった。

 

 他の印象的な点は後半部分で順吉が銀行へ行くのだが、そこの待ち時間が長すぎて、たくさんの社員がいて実に働きの無いところだとディスるシーンである。この本が丁度100年前の話であり、そこから100年経った今でも銀行のそのあたりの問題は解決されていない。100年前から今日まで汗水垂らして働く銀行員の方々には申し訳ないが、確かに待たされる時間が長い。100年の時を経てもなお共感できる一般人の感覚であった。

 

 本作を読んでたまには父親孝行をしようと思った。実家が庭に木を植えまくっていて、面倒を見きれてないので近いお休みの日にでも私が邪魔な枝を切り落としてやろうと思う。私の中に眠る樵(きこり)の血が騒ぐのだ。