こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

刹那の時を永遠に「一握の砂・悲しき玩具」

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 国語や社会科の教科書で良く目にした人物石川啄木の歌集である。綺麗なタイトルに惹かれて読んでみると中身はなかなかヘビーで笑えない話であった。 

 私としては歌集などを手にとるのは慣れないことで少々内容が脳に入りにくい箇所もあった。しかしその内に慣れて最後まで読んだ。小説と違って一気に読むものでもないな。一日数ページずつの内容をハートに刻むほうが後で残る気がする。歌集と小説では同じ文字を羅列した読み物でも楽しみ方が異なるものだとわかった。

 

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

 

 

 26歳の若さでこの世を去り、その若さに見合わぬ程に人生の酸いも甘いもを経験した啄木の人生の痛苦を詰め込んだ歌集になっている。美しい自然を感じ取れる内容の中にも暗澹たる人生の痛苦が読み取られる。

 健康、家族、金、仕事などに関する悩みが随所に散りばめられている。そして迫り来る死を感じるような表現も見られた。啄木本人が病床に伏せる生活を送り、借金に困ったりしていたので作品にも反映されている。26歳にしては苦労が多かったようだ。

 故郷を離れた後に故郷を想う内容の詩が胸にぐっときた。映画「男はつらいよ」で寅さんが故郷は遠くにありて想うものと言った回があった。あの言葉が思い出される。漫遊の民である私には確かな心当たりがある。確かに故郷から遠く離れた地に身を置いてからの方が、故郷を思い出した時に胸の置くがツンと痛むような切なさを感じるものだ。人は故郷を偲んで切なさを胸に溢れさす悲しくも美しい生き物だとこの作品を読んで再び思った。

 啄木と違って帰れる故郷があるならこんなに幸せなことは無い。

 

 生活のわずかな瞬間、ほんの一部分を切り取って三行詩に収めるということは日常で広くアンテナを張り、感受性が豊かであるからこそ出来ると考える。読んでいて確かに日常の風景でこういう事ってあると共感できる部分がある。しかし、自分なら何でもないことと判断してその場で忘れてしまうような小さなことでも啄木は見逃さない。誰でも見て感じられるはずなのにあえて後で思い返さないような自然の一部を詩にしている。とにかく詩人ってのは見たものに対する反応が敏感なんだなとコレを読んでわかる。

 

 働けど働けど生活が楽にならない。頭の上でがけ崩れが起きているような想像をするといった内容の詩が印象的だった。人生に窮していることが読み取れる。

 

 とにかく読んでいて悲しい、切ない感情になる。しかし、そんな世界感に確かに美しさも感じることで、詩人啄木の冴えたる腕前を確認することができた。

 

 中学生以上に推奨とか本に書いていたがこの内容が今の中学生に響く、というか理解できるとは思えないんだけど。私の中学の同級生なんてほとんど宇宙猿人のラーの方みたいだったぜ。