こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

失われゆく栄光を偲ぶ「桜の園・三人姉妹」

f:id:koshinori:20170703084918p:plain


 ロシアを代表する劇作家アントン・チェーホフ作の戯曲である。

 チェーホフ四大戯曲の内2作が収められている。過去に他2作の「かもめ」「ワーニャ伯父さん」も読んだのでこれで四大戯曲は無事コンプリートである。

 4作共通して言えることは、喜劇要素とどうしようもなく悲しく欝になる要素が入り混じっていること。どれもバッドエンドとは言えないが気持ち良い結末でもない。

 トルストイドストエフスキーなどのロシア文学作家の作品を愛読していつも思うのが、ロシア人の名前ってややこしくて覚えにくい。人によっては名前を見ても性別のイメージが出来ない名もある。

 本作でもとにかく登場人物の名前が覚えられなくて人物紹介のページに栞を挟んでそこを何度も読み返した。

 私は日本人の名もなかなか覚えられなくて、学友などには勝手にあだ名をつけて本名を覚えることを諦めてしまっている。ロシアに生まれなくて良かった。自分の名前でも忘れてしまいそうだ。

 

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

 

 

 桜の園

 女地主のラネーフスカヤが娘のアーニャを連れてパリから5年ぶりに美しい桜の園を所有する自分の土地に帰ってくる所から話は始まる。帰ってきたラネーフスカヤ達を家族や使用人たちが迎えてウダウダとした群像劇が始まる。

 地主のラネーフスカヤ家も今ではすっかり没落してしまって昔のように裕福ではない。そのために自慢の桜の園は借金の抵当に入り、近く競売にかけられることになっている。

 最終的には地主の地位を追われ一家揃って出て行くことになる。

 

 この話はかつての栄光にいつまでも縋って現実を見ようとしないラネーフスカヤやその兄ガーエフがいかに危機感の察知能力にかける愚物であるかを明らかにしている。滅び行く栄光を前にして人は次にどういった行動を取るか、それが重要だと教訓になる作品だ。

 ラネーフスカヤは、自分の土地の農夫であったロパーヒンから桜の園を別荘用地として人に貸し出せば、そこから金が取れて家の建て直しが効くと勧められるが、裕福だった時のまま態度を変えず何も行動しない。

 財産的危機を感じていない様を見ると金持が普段の買い物をする時に財布の中身とカゴに入れる商品の値段を全然気にしないあの余裕から来る危険性のことを思い出す。

 自分だって本当は金が無いのにラネーフスカヤは浮浪者に小遣いをやったりもする。人が良いのもあるのか自分の身分がわかっていない行動をとる人物であった。

 

 兄のガーエフはペラペラとよく喋る煩いオッサンだが、結構気に入った人物でもある。

 ガーエフが家にある本棚に制作日が記されているのを見て、その日付が丁度100年前と気づき100年もの間我が家で勤めを果たした本棚に対して感動の意を述べるといったシーンがある。詩人的発想で感動するこのセンス、私と近しいものがあると共感した。

 そして姪っ子のアーニャに対して「お前は姪どころじゃない、私のエンジェルだ」と猫可愛がりするシーンがあるが、これにも共感できた。姪が可愛いというのは私にも覚えがある感情である。

 

 母や伯父が過去に捕らわれて未来に目を向けないのを描くのと対比して娘のアーニャは若ハゲが来ている大学生のトロフィーモフと結婚して土地を出てから自立しようと来る未来に向けて新たな一歩を踏みだす。 

 最終的に桜の園は農夫のロパーヒンに買われてしまう。ロパーヒンの祖父も父も農奴としてこの地で働いてきたのにそんな一族の末裔が地主にまでのし上がる大逆転を見せた。そしてラネーフスカヤ達が揃って土地を出て行く最後を迎える。家にお別れするシーンは悲しかった。

 過去に生きる人物と未来を歩み始める人物を見て、崩れ行く過去の栄光と次なる新たなる時代の流れという諸行無常を描いた作品であると感じた。

 

 キャラクター同士の絡みがコミカルにして悲劇的なものまであって面白い。同じ場面に一同が揃って交錯するドラマが生まれるので飽きない。集団による戯曲なので特に誰が一番目立つ主人公という位置づけはなく人物皆に見せ場がある。小説ばかりで慣れているとこういう戯曲はまた違った楽しみ方ができる。

 

 三人姉妹

 こちらも「桜の園」とテーマの根っこの部分が似ている。

 片田舎で暮らすオーリガ、マーシャ、イリーナの三姉妹がとにかく昔暮らしていたモスクワに帰りたいと願って、冴えない日々を送っている。現状に満足のいかない生活をする奴ばかり出てくる。三姉妹は栄光のモスクワ生活に戻れば現実の不満の一切は解決されるはずだと考えている。

 三姉妹の父が軍人だった繋がりで家を訪れる者は軍人ばかりである。この軍人共が揃って覚えにくい名前をしている。

 マーシャの夫クルイギンと哲学めいた絵空事をウダウダ述べるヴェルシーニンがうざいし煩い。

 三姉妹+長男のアンドレイの一家である。アンドレイの嫁ナターシャを三姉妹は良く思っていない。ナターシャがストーリーが後半に進むにつれ態度がでかくなっている。

 後半でオーリガが「結婚は愛でなく義務で行うもの」と妹のイリーナに説いて愛の無い結婚を勧める。オーリガの意見が良いか悪いかは知らないがこの言葉は印象的だった。

 

 この作品でも現状と向き合うのとは視点が違うモスクワ頼みな現実逃避を行うことから「桜の園」の過去の栄光にすがる愚物達を思い出させる。

 それにしても仕事や恋などの悩みを持つ者たちが一つ所に集まり、まるで傷を舐めあうかのように不満を良い交わす不毛にして哀れなやり取りを見れば現代日本に生きる人々とも重なるではないか。第三者目線でシニカルに物語を楽しむことができる。

 チェーホフは悲劇路線のストーリー展開をしておきながらその上に愚かな人々を登場させることで一味違った喜劇の見せ方をする高等テクニックを持っている。