こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

狂気とエロス渦巻く世界へ誘う「マダム・エドワルダ / 目玉の話」

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 バタイユ作の眠い夜でも読めば目が覚めてしまう程に衝撃的な一冊がコレ。

 内容の濃い2篇の短編が収録されている。 

 

 両作品の詳しい内容についてはここでは触れられない。なぜかと言うと、この本の内容がこの世のエロスと狂気、そして溢れんばかりの変態性を集約した驚異的なものとなっているからである。

 人によっては読んで気分を害すると思われる描写が含まれている。

 

 ざっくりな内容を言うと「マダム・エドワルダ」はそういう名前の娼婦と主人公男性とのあれこれのお話である。満ち溢れるエロスと神秘性が融合した不思議な短編であった。すごく短い話であっという間に終わるが、その割に記憶に残る一作である。

 

 「目玉の話」は主人公男性とヒロインのシモーヌ、そしてサブヒロインのマルセルの淫らな関係を描き、その中で卵、目玉などの球体物質に対してシモーヌがエロスに絡めた異常なまでの執着性を見出す狂気を描いた作品である。特にこちらの一作は犯罪性と突き抜けた変態性が入り混じったカオスなものとなっている。

 主人公とシモーヌとの間で繰り広げられる男女の性的遊戯がとにかくアブノーマルなものである。アブノーマルに対して少々の興味心と強い耐性を持つこの私ですらも圧倒される内容のプレイが展開する。作者バタイユのこの手のことに関する豊富な人生経験と知識が垣間見える。

 本作のメインヒロインのシモーヌに関しては、尋常ならざる性の欲求を持った狂人的一面も見られるが、彼女を通して性はもちろんだが溢れる生をも感じることが出来る。生命力に満ち溢れた女性として見ると魅力的人物に思えた。そういう訳で絶対におかしい人なのに目が離せないという謎の引力で私の目をひきつけたのがシモーヌであった。

 

 先日読んだヘミングウェイの「日はまた昇る」と同様に「目玉の話」でも主人公達一行が闘牛を見物するシーンがある。同じ闘牛でもこちらでは闘牛に対して沸く興奮の源が何だか違っていた。なんたってエロス的なものが関わっているからである。

 目玉の話の主人公の親の設定などにはバタイユ本人の自伝的要素も含まれていた。

 

 エロスとは情欲から生まれるも人間の持つ高尚な何かであると私は考えていた。この一冊から漂う狂気的なエロスは私のエロスの価値観を抜け出た新世界のものであった。

 良くも悪くも新しい扉の向こうの世界を見せてくれた不思議な魅力を放つ一冊であった。

 

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 エロスの新世界を見よ!

 

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