こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

世界が病んでも人は優しく美しい「ヒューマン・コメディ」

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「ヒューマン・コメディ」は1943年に発表されたウィリアム・サローヤンによる小説。

 

 物語の舞台は第二次世界大戦下のカリフォルニア州イサカという田舎。そこで電報配達をしているホーマー・マコーリー少年の青春が描かれる。

 父を亡くし、兄が戦争の兵隊に取られ、ホーマーはまだ14歳なのに、母、姉、弟を養うために学校が終わると日々忙しく自転車を飛ばして仕事を頑張る。この姿を見るだけでも、昨今ではたくさんいる人よりたっぷり時間を持っているのに全然働かない若者と比べて立派だと想う。電報局で働くには16歳からでないといけないのだが、ホーマーは優秀で使える人材であり、局長からの信頼も厚いので規定よりも2歳若いのに現場入りしている。

 

 電報には祝電のようなめでたいものばかりではなく、戦時中ということもあって親族の戦死を伝える物も少なくはない。若き少年ホーマーは、もらって一つも嬉しくない戦死報告を人々の家に届けることに苦悩する。

 ちょっとした反抗期から学校では大人である教師に対して少々ひねた質問をするナメた態度を取ったりもするが、感じやすいホーマーは周りの人間や社会の動向の影響を受けて心の成長を遂げて行く。純粋無垢な良き若者である。

 

 実体験として、私もそう、同級生もそうだったが、14歳なんて言ったらゲームをしたり虫を採ったりして、ぼぅーと遊ぶだけの子供だった。しかし、ホーマーの育った環境は戦時中ということもあり、世界の動きや人の死に鈍感でいる方が無理というもの。

 兄マーカスが、これから戦場に出撃するという前に弟のホーマにーに手紙を出す。ここの兄弟の絆が実に良いものだと想う。マーカスは立派な大人だが、子供の心を忘れていないから素敵なんだとホーマーが想っているところなんかは良い兄弟感が出ている。マーカスは戦争という殺し合いに参加しているが、それでも人間を恨むことはしない。それに取り付いている狂気こそを恨むものだと手紙に記している。そして故郷に生きて帰りたいと郷土愛を露わにする。マーカスの優しさが滲み出た手紙を通しての言葉には胸を打たれた。

 これを受けてホーマーは、こんな戦争で兄が殺されるようなことがあったら自分は世界を許さないとまで言ってみせる。戦争で家族を失う怒りから出てきたこの言葉は印象的だった。

 最後にマーカスは戦死してしまう。その電報を受けた時、ホーマーの心は怒りと悲しみで溢れたが、一体どこの誰を恨めばいいのか分からない。それを電報局長のスパングラーに尋ねる所は一番印象的だった。戦争が起こること、人が死ぬことの大元は何なのか、規模の広い問答が展開される。非常に考えさせられる話だった。

 

 スパングラーが幸運のお守りとしてゆで卵をポケットに入れているというのも印象的だった。卵がそんなにありがたい物とされる地方があるのか。

 

 メインキャラのホーマーの他、弟のユリシーズの視点から展開するエピソードもある。ホーマーよりもっと子供の視点からイサカの街風景を辿るのも面白かった。何でも興味を持つ幼いユリシーズが街のあちこちをトコトコ歩いて行く姿を想うと可愛らしいと思える。

 

 根底には戦争の悲惨さが敷かれた物語だが、ホーマーが関わる人物らは病んだ世界でも毅然と生きる良き人、人情味の溢れる人達ばかりだ。学校の女教師、愉快な友人達、やさしい同僚達など魅力的な人物がたくさん登場した。動物を狩る罠に誤ってかかってしまったユリシーズを必死に助けてくれた大男のビッグ・クリスが好きだった。

 

 マーカスの死で閉じる悲しい終わりだが、それでも心温まる小説であった。 

 

ヒューマン・コメディ (古典新訳文庫)

ヒューマン・コメディ (古典新訳文庫)

 

 

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