「ファイアーエムブレム トラキア776」というゲームをプレイした人はそう多くはないだろう。
まずこのゲーム、あまり知られていないと想う。
本作は1999年にニンテンドウパワー書き換えソフトとして販売され、翌年の2000年にROMパッケージ化した。世紀末も世紀末のこんな時期に発売した本作は、店頭販売されたスーファミROMカセット最後の作品となった。
この時期のゲームハード戦力図がどうなっていたかと言うと、一時期はスーファミとやりあっていたサターン、ネオジオ、3DOあたりはすっかり息を潜め、任天堂ではスーファミの次世代機の64(ロクヨン)が主力となっていた。
同じくらい勢いがあったのが一つは初代プレステ。そのプレステもそろそも「2」の到来を待ちつつある状況だった(はず)。そしてもう一つが私も大好きなセガの名機ドリームキャスト。
そんな状態ではもう時代遅れとなったスーファミソフトが2000年になってもまだ出ていたことがレア。そんなわけでトラキアは大変レアソフトでお店ではかなりの高値で売られている。
このトラキア776というスーファミラストを飾ったソフトは、これまで良ゲー、クソゲー含めて数百作のゲームを遊んだ私の経験上、おそらく一番難しかったソフトである。
時を遡ること数年前の2011年末頃、私はスーファミのファイアーエンブレム三作をしゃぶりつくそう、という企画に(勝手に)挑戦した。三作とは94年発売の「紋章の謎」、96年発売の「聖戦の系譜」そして最後が「トラキア776」。
2011年当時にはとっくにレトロゲーム扱いだったこの三作だが、持ってるだけ、知ってるだけで全くプレイしたことがなかった。レトロゲームハンターにありがちなことだが、無作為に買い集めるとそれに満足してしまい、そのゲームをやるかやらないかは追々決めるということがある。そんなわけで買ったけど長いあいだやっていなかった。
紋章の謎から順次プレイしていった。スパロボにハマってからというもの、この手の戦略シミュレーションものは好物だった。
紋章の謎は楽に突破。聖戦の系譜はなかなかきつかった。面白いけどこの難易度だと、ゆとり世代は多分投げ出す(個人的予想)。
そして聖戦の系譜よりもずっとムズいのがトラキア776。ラストのスーファミカセットだけあって手強い。実はこのゲーム、きつかったので一度は投げた。
2012年春。私は学問もやらなければ労働もしないという、世間一般に言うニートの状態を味わっていた。
そこで私は想う。学問と労働をしないからと言って、怠惰な精神で暮らして良いわけではない。生活に必要なのはメリハリだ、と。
私は約3ヶ月程、社会的にヤバいとされる一方で、忙しい労働人程羨ましがる肩書(つまりニート)を楽しんだ。
その間私が力を入れてやっていたことが、当時ファイナルシリーズのアニメ放送が完結した「灼眼のシャナ」シリーズを一作目からラストまで総復習すること、そして一度は投げたゲームである本作を絶対にクリアしてやると挑戦したことである。
二度目の挑戦では絶対に投げない。ニートな上に精神力まで脆弱なのは頂けない。人よりもこの手のことに挑戦する時間があるだけに、この手の分野を極めることに失敗する訳にはいかなかった。この立場なりに意地があったのだ。ここで再び逃げるようなことがあれば、もう私は私のことを愛せないとまで思った。
このゲームは「聖戦の系譜」の外伝作品にあたり、聖戦の系譜本編では描かれなかったがこういうことがあったという内容を収めている。主人公は聖戦の系譜にも登場したリーフ王子。
同じシリーズでも設定が違っていたりしてやり辛かった。
敵を捕虜にして武器をかっさらうことで戦況を有利に組み立てるなど、前作以上に戦略を練る頭が必要となった。
随分前のことなので詳しいところは忘れているが、とにかく難しくて敵も強かった。どこかのステージには、射程距離がすごく長い眠り魔法を使う奴がいた。これが島をも越えてこちらを襲ってくるので厄介だった。こいつにまじで腹が立った。しかも眠り状態は容易には回復できないと来ている。古い記憶の中、このことはしっかり覚えている。
死んだら金をはらって次のステージも仲間が出られるスパロボとは違い、生身の兵隊を操るファイアーエンブレムではキャラが安々と生き返ることなどありえない。仲間を残してクリアするためには何度も挑戦が必要だった。楽しいゲームなのに、頭が疲れ、神経が摩耗した。これで思ったが、私は例えば皆を指揮するスポーツのキャプテンや会社の現場リーダーなどには(その力がないとは言えない自負があるが)向かないと思った。全体を見据え、全体を活かし、生かすためにはどうすれば良いか考えることには大変疲れる。
こんな感じで人生観をも見つめるきっかけとなるのがこのゲーム。すぐれものだね!
恐ろしくプレイ時間をかけ(なにせ無為徒食なもので時間はいくらでもある)、私は遂にトラキア776をクリアした。
かつて出来なかったことが、後には出来るようになる。これは間違いなく成長であり前進。たかがゲームと思われるかもしれないが、そこははたかがゲームであっても同じこと。
私を熱中させ、忍耐の部分を成長させてくれたこのゲームのことは忘れない。
死ぬまでに再挑戦することはもうないだろう。このゲームは時間の余裕とそれなりの忍耐力を必要とし、加えて若さの勢いに任せて行うこともクリアに近づく鍵になると想う。そういうわけで歳を取ったらきっと色々な点で耐えられないゲームだと想う。
最近はレトロゲームに再び注目しているので、その流れでこのゲームに挑戦したことを思い出した。私がプレイしたのは発売から12年後だったが、人生の良い時期に出会えたゲームだと想う。
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