こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

大冒険の中に人生教訓もあり「ロビンソン・クルーソー」

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ロビンソン・クルーソー」はダニエル・デフォー作の長編小説。

 

 主人公の本名はロビンソン・クロイツナエル。これのイギリス訛りがロビンソン・クルーソーの発音になる。

 

 ロビンソン・クルーソーと言えば、無人島でサバイバルライフを送る逞しい男のお話で、児童書のイメージがあった。子供の時にもなにかの機会に触れた作品だ。今回読んだのはこれの完訳版。

 確かに心躍る大冒険が描かれてはいるが、完訳版には児童向けとは思えない深いメッセージ性が含まれていた。

 

 まずは冒頭シーンに注目。まだ冒険に出る前の、実家暮らしをしているロビンソンの物語が描かれる。

 ロビンソンは外国を見て回り、一攫千金の夢を手にしたいと思っていた。彼の出発については両親共に反対していた。ここで印象的なのが彼の父による説得の言葉。この時父の唱えた精神は物語全体に生きることになる。

 

 ロビンソンは大それた野望を胸に抱いているが、彼の父は「上層でもなく下層でもなく中層階級にいることこそ真の幸福なのだ」と言う。つまりは背伸びなんてせず、大人しく地元で地道にコツコツと普通に働け、さすれば食いっぱぐれもなく普通に暮らせるということを言ってる。こういうことは現在の日本のお父さんも勧めがちだと想う。

 上層階級の者は一見裕福ではあるが、中層と下層の者にはない独特の面倒事がある。そして下層は、三段階の一番下なのだから当然食うに必死の生活となる。そこへ来ると、一番しがらみのない安寧な日々が約束されるのが中層階級に。つまりはここが一番良いポジション。ロビンソンの父はこういった内容を、わかりやすく噛み砕いて息子に説く。その様はまるで学校教師か神父様が説教を垂れているようであった。かなり道理が分かっているお堅い人物だ。

 

 ロビンソンはその言葉を理解し、感動するものの、それでも己の冒険心を引っ込めることはできなかった。結果彼は親に逆らって郷里を出奔する。

 

 冒険開始早々ロビンソンは海で嵐に遭って死にかける。

 ここで彼は父の教えに逆らった報いがこれだ、助かったらきっと実家に帰って地道に仕事をするからと神に誓って助かることを願う。

 ロビンソンは幸運なことに嵐から生還する。道中で会った大人の船乗りにも父親の言うことが正しいから家に戻れと言われる。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるということで、助かったロビンソンはまた冒険心に引かれて次の冒険に出る。

 

 そして次は海賊に捕まって数年間奴隷にされてしまう。この時にも彼は、これは親不孝の罰だと考える。

 最初に父の言葉を受け、次に嵐に遭って反省したことで、危険な冒険を止めるチャンスが二回あったにも拘らず、彼は冒険を続けてまた次の危険にあう。ロビンソンは決して学習能力が低い人間ではなく、むしろ賢い。それでも反省なく冒険に向かうのはもう一種の病気、放浪癖とも呼ぶのだろう。冒険したい衝動は理屈ではなかった。

 

 海賊の隙を見て脱走すると、次にはブラジルに渡ってタバコ、砂糖などを作って売ってはけっこうな儲けを上げる。ここでもう危険な橋を渡るのを止しておけば、彼は事業家として成功を収めていたはずだ。

 

 しかしここでロビンソンは、働き手になる黒人奴隷を欲しがった。それを叶える商売が奴隷貿易。同じ商売人仲間に協力を頼まれ、ロビンソンは奴隷の密貿易に手を出す。これを行うためにまた海に出た際、彼の乗った船は沈没し、仲間は皆死んで一人だけ無人島に辿り着く。

 

 ここからが物語の本番で、彼はこの後30年程島でのサバイバルライフを送る。

 父の教えこそが幸福への近道で正しきものと理解しながらも、冒険者の衝動はどうにも出来ずにロビンソンは来るところまで来てしまう。ここでも父の教えを思い出しながら生活することになる。

 

 ロビンソンの生命力と行動力はすごいもので、一人でも家を作り、飯を取って食うことも行う。

 ロビンソンがヤギやウミガメを食うシーンが描かれる。この時、殺したヤギの下で、その子ヤギが乳を吸っていたという描写があり、それが可哀想だった。そしてウミガメの卵は大変美味しいらしい。死ぬまでに食ってみたいなぁ。

 

 ここでは、とっ捕まえたヤギで牧場を作り、酪農も完成させる。穀物栽培も始め、粘土で土器も作る。絶海の孤島に来ても絶望する間はなく、ロビンソンは頭をフル回転させて生きるための行動を起こす。私のような世間知らずのお坊ちゃまが一人で無人島に送られたらそこで死を待つだけだろう。

 

 無人島上陸後のロビンソンは、それまで読みもしなかった聖書を読むようになり、宗教家のような深い心理を見出すことも行うようになる。

 確かに無人島に流されたことは不運だが、その中でも自分だけが助かり、いくつかのアイテムも無事島に上陸できたこと。これは不幸中の幸いで、結果自分は幸福を与えられ、神はまだ自分を見放してはいない。みたいなことを考えるようになる。まったく孤立した状態になると、人はこうした精神統一や自問自答を行うようになるようだ。

 

 20年以上人との会話が途切れた状態のロビンソンは、オウムに言葉を覚えさせることでその寂しさをわずかばかり埋めるのである。ここは素直に可哀想。

  

 無人島に近づく危険な存在が、食人種の全裸の蛮人達。蛮人達は極たまにロビンソンの島にやって来ると、火を囲んで謎の踊り行い、その後は人間を美味しく焼いて食ってしまう。普通にやることがエグい。血とかめっちゃ飛んでいる。

 

 やがてロビンソンは蛮人と戦い、食われるはずだった人間を助けて仲間にする。それからいろいろあって遂には島を脱して本土へと帰還する。

 

 無人島を脱出した後にも冒険が続く。家に帰るためにまた船に乗らないといけないけど、船とは悪い縁ばかりのロビンソンは今度は山を行くことにする。しかしここでも熊に襲われ、狼に襲われで、嵐に一回遭ったとしても船で行く方が楽だったという結果に終わる。無人島の後に山での冒険もあるとは知らなかった。

 

 30年以上も行方不明だったロビンソンは実家では死んだものとされていた。冒険の終わりには実家の両親は死んでいた。

 

  その後ロビンソンは結婚して安寧な老後を送ったとか……。

 

 

 この話を読んで心に響くのは、冒頭で父親が唱えた普通に生きることの教え。大冒険のスリルある人生だって楽しいだろう、でも危ないし疲れる。普通でいることって当たり前なようで実は難しく、それゆえ手に入れて損のない幸福だとも思える。

 それにしても、安寧に固執する父から、よくもまぁあんな破天荒な息子が出来たものだと思う。

 

 冒険譚の中に奴隷貿易カニバリズムというタブーな要素も含まれていることが印象的。この二つの要素は楽しい冒険ものには邪魔なので子供向けではない。完訳版ならではのシリアスな史実だ。

 そういえば、ついこの前遊んだゲームの「ガイア幻想紀」でも、楽しい冒険の中にこの二つの暗い要素が含まれていた。なんて偶然!

 

 こんな感じで、人生について色々と考えさせられる冒険小説だった。

 電気がなく、テレビとパソコンもない生活なんて私には耐えられないので、無人島に流れ着くような人生は歩まないようにしようと思った。 

 

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)

 

 

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