こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

重要なことは二度起きる「郵便配達は二度ベルを鳴らす」

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郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、1934年に出版されたジェームズ・M・ケイン作の中編小説である。

 

 本作を実写映画化したものがBSで何度も放送されていることは知っていたし、印象的なタイトルに興味も持って記憶もしていた。しかし色々と都合がつかず、気にはなってもチェック出来ていない作品だった。というわけで、コロナウイルスのために外出を控えた方が良いこの機に家に引っ込んで楽しむならコイツだ!と思って手にしたのがこの作品である。

 感想を率直に言うと、なかなか面白いクライムものだった。令和時代にはすっかり古くなった作品だが、「おもしろい」は時を超えるというわけで、古くとも面白い作品だった。

 

 

 流れ者の主人公青年フランクは、旅先で働くことになったレストラン店主の嫁のコーラを気に入る。二人はすぐに惹かれ合って男女の関係になり、邪魔になった店主のニックを自動車事故に見せかけて殺害しようと計画する。計画通りニックを始末した後には二人の平和な生活が待っていると思いきや、今度はコーラが本当に自動車事故で死んでしまう。生き残ったフランクが全ての首謀者だという判決が出て、フランクは迫る死刑を待つことになる。

 

 作品内容は男女の不倫関係から邪魔となった夫殺しに始まり、最後は殺した方も死を迎えてお陀仏という「人を呪わば穴二つ」の言葉通りに締めくくられるものになっている。それを主人公フランクの一人称視点で追っていくスタイルが取られている。淡々と殺しの記憶を綴るこの手口が、かつて読んだカミュの「異邦人」のようだと思ったら、そのカミュも本作に影響を受けて作家活動を行っていたという。

 

 フランクの視点で語られる割には彼の心理描写が薄い。他の人間についてもそうだ。余計な説明文がなく、会話文も多いイメージだったので内容は入ってきやすい。しかし、登場人物の心理がやや分からない部分も確かにある。

 

 フランクは自他共に認める流れ者である。性分として一つどころに留まることが向かない人間なのに、コーラには執着し、一度は街を後にしてもまた結びつくことになる。恋だ愛だというのは青天の霹靂とも言い、放浪癖がある者でも、ある日急に一生の愛のありかを見つけてそこを生涯のねぐらとすることもあるだろう。でも、こんなにも急に流れ者のフランクが、一人の女との関係にこだわるなんてことがありえるのだろうか。しかも殺しを犯してまでだ。男女のあれこれは令和になった今でもやはりラビリンスというわけで、フランクの心理の是非をしっかり問うことは不可能なのかもしれない。

 

 危険に手を染めてまでものにしたコーラとの未来なのに、後半ではピューマブリーダーの行きずりの女と関係を持ったこともあった。フランクからコーラへの愛の真実性がどういうものなのかと疑ってしまうこともあったが、終盤の牢屋で書かれた彼の手記によれば、コーラに対する彼の愛は真実のものと納得もできる。ふらふらしている悪漢のようで、彼は愛に生きた男とも取れるっちゃ取れる。このフランクという男の心理が読めそうで読めないから曲者なのだ。しかし愛だ恋だってのは芯がしっかりしていそうな感情なようで、その実中身はへにゃへにゃということもまた真実、なような気がする。結局男と女のあれこれの全部は現代になっても解明が追いついていない。どちらにせよ、死に迫るくらい危険な男女の駆け引きにはスリルと興味を感じたのは事実である。

 

 巧妙なトリックを用いてフランクとコーラがニックを死に追いやるサスペンス要素も見所で、その後二人が弁護士にあれこれと聴取を受ける展開もリアルで興味深かった。

 二人の弁護士が登場して弁舌さわやかにフランクの心をかき乱す。やはり頭はぐるぐる、舌はべらべら回すのが得意なのが弁護士だと分かる。裁判のシーンもなかなかの迫力だった。

 

 フランクとコーラとのラブシーンで一つ印象的なプレイがあった。二人がキスするシーンで、コーラの方から唇を噛んでとおねだりが入り、フランクはキス時にコーラの唇を噛む。コーラの唇は出血し、流れた血はやがて首筋を伝うという描写がある。男女の交わりの方法には、互いの趣味や相性によって様々種類があるが、私の知るところではこれは初めてのプレイだった。コーラの方から「噛んで、噛んで」と言って激しく求めていたので、痛みを快楽に変えていく殊勝な性癖の持ち主だったのかもしれない。一つ勉強になったラブシーンであった。

 

 本作の最大のインパクトは、結局のところこのタイトルだと思う。本の中身を知らずに手にとっても「なんか名作っぽいタイトル」と思えるだろう。個人的には好きな良いタイトルだと思う。

 しかしこれが謎で、作中に郵便配達員が出てくるわけではなく、家のベルが2回鳴らされるシーンがあるわけでもない。タイトルになっているシーンがないのだ。謎だ……。タイトルと中身が一致していないこの妙なバランス感もまた印象的な作品だった。読み進める都度にタイトルとなったシーンがいつ出てくるのかと期待していたが、結局そのシーンが来ないで終わった時にはすぐにタイトル設定の謎を調べた。なんでこんなタイトルになったのかはググれば詳しいことが分かる。

 

 

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人の夢や希望がテーマ「美少女戦士セーラームーンSuperS」

美少女戦士セーラームーンSuperS」は、1995年3月~1996年3月まで放送した全39話+スペシャル回1話のテレビアニメ。シリーズ第4作目作品である。 

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内容

 うさぎ達が皆既日食を見た後、街の真ん中に突如としてサーカス団のテントが出現する。皆が暮らす街に現れたデッドムーン・サーカス団は、人間の綺麗な夢に住み着くというペガサスを狙って活動する。

 闇のサーカス団が街に根城を築いた頃、ちびうさは夢の中でペガサスに出会う。ペガサスからもらった新たな力を用いてセーラームーンとちびムーンは、街で悪さを行うデッドムーンの連中と戦う。

 

感想 

 前シリーズの「S」では、人の綺麗な心の中にある結晶を狙って敵が侵略行為に出た。今回敵に狙われるのは、人の綺麗な夢が具現化された鏡となっている。日本転覆や世界征服を狙うよくある悪さではなく、人間の持つ心や夢という抽象的なものが狙われるのが印象的だった。

 

 今回はうさぎや他のセーラー戦士達よりも、ちびうさが主役といった感じの作りになっていて、彼女を中心としたストーリーが多く見られた。ちびうさとペガサスの心の交流が濃く描かれ、その中でちびうさは自分の将来のことや色恋など、思春期特有の問題に触れて着実に心の成長を迎える。

 たくさんの人間が見たであろう番組だが、最も多かった視聴者層はおそらく女児だったはず。うさぎちゃん達中学生からシフトし、もっとチビのちびうさの心理描写を多く取り入れたことで、チビッ子の視聴者に寄り添った内容になったのではなかろうかと考える。

 

 今回シリーズでは外部太陽系戦士はお休みしてもらい、おなじみの5人とちびムーンの6人体制でストーリーが進む。そして新たに、アルテミスとルナの未来の子供として子猫のダイアナが追加キャラで登場する。ちっこくて可愛い猫だった。

 

 テーマに人の「夢」を持ってきた点が興味深く印象深くもある点だった。

 セーラー戦士達それぞれも将来の夢を語り、考えるシーンがある。ちびうさは自分が子供であることを窮屈に思って速く大人になりたいと願う。

 偶然にもうさぎとまもちゃんのキスシーンを見てしまったことで、ちびうさはあんなのでもうさぎは一応自分より大人なのだと思い、自分はまだ子供だと実感する。こういう繊細な子供心を描いたのが良かった。基本はコミカル展開で行くけど、今回は時としてハッと目が覚めるような展開もあった。

 

 大人になりたいというちびうさの願いが叶って、うさぎとちびうさの年齢が入れ替わるという、アニメ「あさっての方向。」みたいな回があった。この一回のみは大人になったちびうさ、またはちびムーンが楽しめる。大きくなったちびうさもまた可愛かった。これまではチビだからというころでスルーしていたが、考えてみるとちびうさは男子がだいたい好きになるピンク髪ヒロインなので、ヒロイン力はやはり強い。「SuperS」ではちびうさの可愛さが更に伝わり、それゆえもっとちびうさを好きになる。

 

 闇のサーカス団メンバーは、ペガサスが潜んでいるであろう綺麗な夢を持つ者にあたりをつけては、心の鏡を狙ってくる。人の綺麗な夢が具現化された鏡に顔を突っ込んでペガサスを探すのだが、この時の鏡の持ち主の表情がなんとも色っぽいというか、苦痛も快楽も伴っているのか?という反応をしめす。夢の鏡に顔を突っ込まれるのは恥ずかしかったり、くすぐったりもするのかもしれない。

 

 デッドムーンサーカスの幹部として、前半はアマゾントリオ、後半ではアマゾネスカルテットが登場して活躍する。それぞれの幹部達もそうだが、今回シリーズで登場する何かしらの曲芸を行うサーカス怪人はデザインから中身までかなりコミカルも連中が多かった。

 

 アマゾントリオはタイガーズ・アイ、ホークス・アイ、フィッシュ・アイの三人で構成されている。こいつらが小競り合いをしつつもなんだかんだで仲良しなのが見ていて面白い。多分サーカス団員の憩いの場なのか、三人はいつもバーで会議を行っている。

 

 綺麗な夢を持つ候補者の写真が何故か用意されていて、三人は写真のターゲットにお近づきになり、油断させたところで心の鏡を抜き取る。こいつらが相手の油断を誘う方法というのが平たく言うとナンパ術なのが面白い。ここの上司であるジルコニアというババアにも「お前達からナンパを取ったら何が残る?」とか言われていた。

 アマゾントリオはイケメンだし、様々あるやり口が上手なので、セーラー戦士や大阪なるちゃん、うさぎちゃんのお母さんもターゲットにされたことがある。

 

 ターゲットの写真の内、タイガースアイは若くてピチピチのギャル、ホークスアイは熟女、そしてフィッシュアイはなんと同性であるイケてる男を狙う。趣味は三者三様である。

 

 三人共容姿端麗な男子なのだが、見た目も口調もかなり中性的。中でも意外なのがフィッシュアイのキャラ性だ。フィッシュアイはほとんど女子の見た目をしている。男性ターゲットに近づく時にも女装している。すごかったのが、この容姿と中身を持つキャラを石田彰が演じていたこと。高い声で演じていてテロップを見るまで誰の声なのか分からなかった。若き日の石田彰がいわゆる両生類ボイスで行ける役者で売っているとは知らなかった。今で言う蒼井翔太村瀬歩くらいに女子の声がいけてた。ザフトの王子様のアスラン・ザラと同じ役者が演じているとは思えないギャップがあった。

 

 そうなると作中一美少年のまもちゃん(地場衛)がフィッ・シュアイの目に止まらないはずはなく、フィッシュアイがまもちゃんに本気で恋する色っぽいエピソードも展開した。セーラームーンジェンダーの面ではなかなかのフリーぷりを発揮しているのでこういうこともある。

 

 フィッシュ・アイが女性と思った状態でも「俺はうさこにしか興味がない」と言って振るまもちゃんが男らしい。

 

 振られたことでもっと恋や夢というものを意識したフィッシュ・アイが、自分達デッドムーンには夢がないと自覚する流れが印象的だった。セーラー戦士達だけでなく、敵側でも「夢」について言及する流れが興味深い。

 タイガース・アイは、夢がないことをフィッシュ・アイに指摘されるとそんなのがあったら面倒くさいと吐く。それも確かなんだなと頷いてしまう問答だった。しかし、それが無ければつまらないというのも人の道である。

 

 後半では、アマゾネスカルテットの4人とセーラー戦士達が揃って成人式のボランティアを行う回がある。成人式というわけで、セーラー戦士達は成人後の夢をそれぞれ語るが、これに対してアマゾネスカルテットは、大人になれば煩わしさが増え、不自由になることから子供のままの方が楽しいというピーターパンシンドローム的考えを述べる。この問答には考えさせられる。だからかなのか、アマゾネスカルテットはややロリな見た目でうさぎちゃんたちよりも少し子供っぽい。大人になることを放棄した彼女達の容姿は成熟した女子のそれではない。でも胸が結構あったりする点が頭に「やや」をつけてのロリなのだ。この4人はガキからお姉さんへの過渡期のリミットにあるのかもしれない。チビだけど胸が結構あるという点に戸惑う4人だったが、とりあえず皆可愛かった。

 

 デッド・ムーンのボスのネヘレニアは、自らの老いを恐れ、若さとそれに伴う美に執着する。アマゾネスカルテットが子供であること、または大人にならないことに執着するモラトリアム的考えを述べたように、ネヘレニアも「時」に何かと執着していると感じた。こういうことって大きくなると一度は皆考えるのではないかと思う。夢とか時とか老いとか若さとか、これらは引っくるめて心の成長によって考える事柄だと思う。目には見えない抽象的な事柄をテーマに据えた今回シリーズはこれまでと違ったテンションだが、良い方向性で来たものだと思えた。

 

 

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世界の闇を見る船旅「闇の奥」

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 コンラッド作の中編小説「闇の奥」を読んだ。

 映画「地獄の黙示録」の原作となった作品である。ちょっと前にBSでやっていたなと思い出す。

 

 本編は船乗りマーロウによる昔語りとして展開する。マーロウの達者な語りには引き込まれるものがあった。しかしよくもここまでべらべらと喋れるものだ。

 

 象牙交易の権力者クルツ氏を迎えにいくため、マーロウはアフリカ奥地の河を遡る船旅に出る。

 クルツ氏の登場はかなり遅れてやって来る。旅の途中でマーロウが出会う人間からクルツの情報が語られるが、そのどれもこれもがクルツ氏を上げる情報だった。情報は増えてもクルツ氏の全貌がなかなか見えない中で、一体どれほどのカリスマ性を持つ人間なのかと期待して読んでいた。クルツ登場を焦らすこの流れがちょっと面白かった。

 

 しかし、いざクルツ氏が登場してみれば、その正体は妄執的なまでに象牙を求めるワーカーホリックというか、狂人めいた男だった。自分の女もほったらかし、象牙ゲットのため人生を使い果たした儚い命がクルツという男であった。労働は程々にして一生懸命向き合わなようにしている私は、疲れない生き方を実現するための黄金比の力配分を心がけている。狂ったように仕事をしているクルツを見ると胸が痛んだ。

 

 本編はただワクワクするだけの冒険ものではない。

 クルツ氏にたどり着くまでの旅の中で、マーロウは世の黒々しい真実を目にする。象牙に魅せられた白人が、黒人をこき使う植民地支配などの差別表現が見られ、そこから当時の世の中の闇の部分が見えた。数人の奴隷同士が鎖で繋がれた状態で、ジャラジャラと音を立てて行進するような描写は生々しく痛ましいものだった。

 不気味な森の奥に住まう未開人から船を守るために激しい戦闘を繰り広げるシーンもあった。

 

 冒険譚に絡めて当時の世の悪を暴くという風刺がかった仕掛けが「ガリバー旅行記」のようで良かった。皮肉やディスリが含まれながら展開するマーロウの昔語りには強いメッセージ性を感じた。

 

 お金儲けばかり考えて心身共に健康を失って死に向かう命は虚しい。清く正しく生き、程々に仕事はサボって、もとい休憩を取りながらやろうと思った。

 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

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