こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

人間性の美しさも醜さも描かれる芥川の名作「地獄変・偸盗」

 

 

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芥川龍之介の文才光る人間味溢れる物語二本であった。

 

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

 

 

まずは「偸盗」の感想

 偸盗(ちゅうとう)とは盗人のことで、とある盗賊団の織り成す人間ドラマをる綴った作品であった。愛憎劇あり、三角関係もあり、心振るわす兄弟愛ありと物語の筋よりも良くも悪くもの登場人物の人間性に魅せられる一作だった。良い奴もいれば、クソみたいな奴も出て来るので人間の持つ心の善と悪、美しさと醜さといった両面を見ることが出来た。 

 妖艶な美女の女盗賊沙金に手玉に取られる太郎、次郎の兄弟は同じく沙金を好きになったことで三角関係が出来る。この沙金というのが悪い女で所謂妖婦という奴である。やっぱり美人だからということを武器にして男をたらしこむ術を心得ている。

 盗みに忍び込んだ先で兄の太郎に危険な場を割り当てて、あわよくば死んでもらおうという狡猾な謀を企みを弟の次郎に吹き込む。そして邪魔な太郎を消して次郎と一緒になろうではないかと持ちかけてくる。ここで太郎を捨てる選択をしたということはわかったが、かと言ってもやはり言動の怪しい女で次郎の方へも果たして思いがあったのかどうか分からない。次郎も忍び込んだ時に大変深手を負うことになって恐らくこっちも消してしまおうとしたのではないかと思われる。忍び込む先である敵方とも女の武器を使うことで通じ合っている。人を操ることを心得ているし、情報収集能力も高く盗賊としては一級品の女である。綺麗な女の人だけれど腹の中は黒い黒い。まずこの妖婦沙金の姦計を巡らす頭のキレの良さがクソ女特有のものであって印象的である。

 この沙金の養父の猪熊の爺というのもクソ野郎である。養女の沙金にお熱を上げて自分の娘を襲ったりする。おまけに女中の阿漕に暴力を振るうし襲って子を産ませるといった暴挙にも出る。娘狙いで婆さんと一緒になったようなものである。この爺さんも頭の回転が早くそれに対して詭弁を弄して自分のクソな行いを肯定化しようとする。嫁の猪熊の婆はこんなどうしようもないジジイをしっかり愛している。盗み入った先で猪熊の爺が侍に殺されそうになったのを身を挺して助けて殺されてしまうが爺は嫁に見向きもせずに逃げてしまう。一途な婆さんが可愛そうでならんかった。

 後半は盗賊一味総出で屋敷に忍びこみ盗みを働いて引き上げる時に敵に包囲されて盗賊とお侍とで苛烈極まる大捕り物を繰り広げる。ここの盗賊一味に脱走劇の描写がリアルに脳内に画が浮かび上がるようにしっかり描写されていた。危機迫る緊張感が両陣営に広がるのが伝わる。

 沙金の計略を潜り抜けて兄の太郎は敵の馬を奪取して無事に敵地から引き上げることが可能であった。兄とは逆に弟の次郎は敵の放った大量の番犬に襲われて死の瀬戸際に立つことになる。恋敵ということもありお互いに「死ねばいいのに」と思っていた兄弟であったが、脱出の途中で次郎の危機的状況を目撃してしまった太郎は、このまま放っておけば邪魔な次郎が犬にかみ殺されるからシメシメと思う反面、兄弟愛から見捨てて置けないという二つの感情が闘うことになる。窮地に追い込まれた先で兄太郎の兄弟愛が目覚め、太郎は次郎を馬に乗せて犬共から弟を救うことに成功する。憎み合うことで影が差していた兄弟愛が、この土壇場で再び明るみにでたのだ。美しい兄弟愛に感激した。私も愛すべき兄弟がいるので時々は喧嘩をしても太郎、次郎を見習って大変な時は助け合おうと思ったのである。

  芥川は本作をメロドラマ風な仕上がりの駄作と評したと言われるが、私は本作にも登場し芥川の代表作のタイトルとなった「羅生門」よりも本作の方が好きである。

 

 

お次は「地獄変」の感想

 地獄変は主人公の画家 良秀の手がけた屏風絵のタイトルである。

 この傑作「地獄変」を手がけるまでの良秀の狂気にも似た芸術への執着の日々を描いた作品であった。

 良秀は確かなる絵描きの才能を持っているが、醜い容姿にマッチした高慢ちきな性格の持ち主である。周りにはめちゃめちゃ悪口を叩かれているのでハイステータスに人格が追いついていない残念なジジイであるとわかる。そんな良秀だが娘は大変可愛がり大事にしている。娘は幸せなことに父親に似ず可愛かったので殿様の御眼鏡に適い殿様の屋敷住まいをする事になる。良秀は殿様相手にも臆せず娘を返すように言うのでこの親バカ魂はすごいと思う。

 良秀は芸術に対して「実際に見たものしか書けない」というリアリズムを持っている。殿様に地獄変の制作依頼を受けてからは、鎖に縛られて苦しむ人間、鳥に襲われる人間を書くために実際に自分の弟子をモデルに使ってそれらを演出するという狂気染みた制作過程を辿っていった。モデルに使われた弟子はあまりにも残酷な仕打ちなので殺されるかもしれんとビビッていた。

 良秀が燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女が書けないという相談を殿様にしたところ、殿様の手によって牛車を燃やす手はずが整う。牛車の中には良秀最愛の娘が乗っていた。良秀はその状況に驚きはするが火が付けられると芸術のための情報をこの目に焼き付けるという職人モードに入り助けもせず黙って娘が焼け死ぬのを見守る。この時に可愛い娘を死なすという犠牲と地獄変完成への芸術人魂が天秤に掛けられた結果、後者の方が目方が多かったのだ。私は人の情を捨ててまでも芸術を極める方をとった良秀を芸術の虜となった恐ろしき狂人だと思った。

 一本筋が通った芸術の天才の話であり、素直に道徳が危ないと思わせる作品でもあった。非凡人は凡人の道徳を越えた行為を行っても良いと考える非凡人が主人公の小説「罪と罰」を彷彿とさせた。

 娘をモデルとして焼き殺した後に地獄変は無事完成する。完成後に冷静になって罪悪感を感じたためか良秀は首をつって死ぬという後味の悪いエンドであった。行き過ぎた職人魂を持った男の話だったが、天才というのがそこまでに一つの事に集中し執着することに納得できるところも少々ある。一旦手をつけたことをおいそれと途中で投げ出すユルい若者は良秀を少しは見習いなさいと言いたくなる。