こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その15 「ニートの季節感」

 

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 SMAP抜きの寂しい紅白を見たのが昨日のことのように思えるが暦の上ではあれからしっかりたっぷり8ヶ月もの時が過ぎた。

 街では楽しい夏休みという名の魔法に約一ヶ月程たっぷり魅せられていた学生連中が魔法を解かれ、不景気な面をさげて道行く姿を見ることができる。魔法はいつか解けるという厳しい現実を大人になる前に理解させるためにあの期間は設けられているのだと私は考えている。

 夕方の涼しい風に吹かれてコンビニエンスストアに公共料金の支払いをしに行くと一人の知り合いにばったり会った。そいつのことは記憶の端くらいに置いていたが再び記憶の端から中央に据えてしみじみ思い出すに値するような人物では無かったのでこのまま記憶から消えてしまっても一向に構わなかった。そいつというのがどこでどういう出会いをしたかまでは覚えてもいないような人物なのだがとりあえずニートの読書家というとてもわかりやすい肩書きを持っている怪人物なのである。夏目漱石の本で言うところの高等遊民という奴である。出る所からは非難の声が出るような肩書きだが労働を好まず読書を好物とする私としては素直に羨ましい。

 そんな彼からニートの読書家ならではの8月から9月に変わった時候の挨拶的なちょっと変わった話を聞いたのである。

 一般の社会人では逆立ちしても叶うことがないであろう「有り余る時間を手にする」という望みを何の努力もなく手にした彼は日中からブックオフ古本市場などの本屋に行き読書をすることを習慣にしている。日中のお店、それは休日と違って静かであるという。彼にとってその時間帯のその店は聖域に匹敵するとのことである。おおげさな物言いだ。しかし8月になると彼の聖域は荒らされることになる。何故なら夏休みに入って子供達が毎日うんさかわんさかやって来るからだ。自転車置き場が満員で店に入る前段階で不愉快な思いをするし、いつも寄る本棚の前に子供がたくさんいて邪魔で本が取れないし、子供らは互いに本やゲームの批評を大きな声で行うので煩くて気が散ると言う。私から言わせれば買いもしないのに毎日のように店に立ち読みをしに来る奴が偉そうに何を言うと思えるが話しを聞けば彼の怒りに頷けないこともない。とは言ってもどっちが良いか悪いか判別しようのないお話でもあった。

 ちなみに読書家の彼に今は何を読んでいるのかと問うと「とっても!ラッキーマン」だと答えた。私の方にも何を読んでいるのかと聞いてくるので私は漱石や太宰や鴎外を嗜んでいると答えると彼は「え!その人達ジャンプで描いてるの?」とトンチンカンなことを言う。彼は読書家と言っても読むのは漫画のみの狭い範囲での読書しかしない似非(えせ)読書家であった。

 今は9月に入っている。彼にとっても私にとっても学校というのは比喩表現の下に徒刑囚の収容所と置き換えて表記して差し支えない施設であり、その収容所に昼の内は彼の怨敵である学生連中はぶち込まれているわけである。彼にはそれがとてもおもしろい話で「聖域にまた帰れる」と言って色の悪い薄い唇に下卑た喜びの笑いをのせるのである。こんな困った恨み言を呟やく奴に「ざまあ見ろ」と思って見られている9月の街行く学生が気の毒である。それと同時に目の前の似非読書家もまた気の毒である。

 少しばかり変わった話を面白く感じたが同時に何か残念な気持ちにもなり、二つの気持ちの内後者の気持ちの方が打ち勝って結果的に私は何かがっかりしたように肩を落としてコンビニエンスストアを出て帰路についたのである。

 移り行く季節の中でどのようなことを感じるのかは人によって実に様々であると感じた。