こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

女性は寝姿こそ美しい「眠れる美女」

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 オーロラ姫が出るやつじゃないよ-

 

 川端康成作の素敵なタイトルの本だが、中身は変態チックにして人間の歪さが露になった結構ヘビーなものとなっている。

 三島由紀夫が本作を猛プッシュしている。ユーモア的には決しておもしろい筋を持った作品ではないが、ざっくり言って主人公江口を通して人間性というものを感じられる点が興味深い一作である。

 

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

 

 

 主人公の江口老人は知り合いのジジイから耳寄りな情報を聞く。それというのが裸で眠り続ける若い女と添い寝ができる怪しげなる宿の存在である。江口はノコノコと裸の女と寝床を共にするためにその宿へと赴くのだ。

 変態めが!というかこうゆう商売って法律的にセーフなのかな。いつか職質でも受けたとしたらその時にお巡りさんにでも聞いてみよう。

 

 本作に出てくるおもしろい表現が「すでに男ではなくなった老人」というワードである。美女のいる宿を利用するジジイ共は皆そういう連中である。若さを失い機能的にも終わった人間の男に対して、残酷な真実を指すまわりくどいようで直球の表現である。あくまで江口は自分は男の中でもまだそっち側に属する人間ではないと主張している。江口の若さへの執着と老いに抱く醜悪の念がわかる。江口の精神面における老いへの抵抗が描かれるには共感する。人は、自らの老いをどうしても否定的に捕らえるものだと私は想う。

 私はバリバリ現役の男であるし、そもそも老人でもない。この私もいつかは「すでに男ではなくなった老人」になる日がくるのかと考えるとぞっとする。老いるのは怖い。

 

 江口は合計6人の裸の女と寝ることになる。この作品は江口が観察する眠っている女達の所作とその女達を通して江口が思い起こす過去の記憶の二つが交互に語られる構成となっている。鑑識眼がある江口による娘達の寝姿レポートはかなりリアルな内容でどうしようなくエロく感じる。

 

 江口の相手する女は皆必ず最初から最後まで眠りの中にある。江口は女の寝顔からこそ若さを感じる。真に若さを感じる瞬間、それは寝顔に出るのかもしれない。じっくり若い人の、それも女の寝顔などは観察したことがないので共感はできないが、私が知らないだけの真実なのかもしれない。

 

 寝ている人間から若さを感じ、生と性を感じていた江口だったが、最後のシーンは一緒に寝ている女が死んで冷たくなってゆくという終わり方であった。火を燃して最後にはしっかり鎮火した、というような終わり方であった。

 

 昔読んだ猟奇的殺人を用いた推理もの小説に死体愛好家という変わった肩書きの男が出てきた。お互いに意志を持っての交渉が出来ない点で、本作のように眠ったままの女に満足するというのも死体愛好家と少し似た要素があるのではないかと思える。

 

 とりあえず、変態性を感じ結果的にどうゆうわけで何が言いたいのかの着地点がいまいちわからない作品であった。

 

 同時収録の「片腕」「散りぬるを」の二作も読む者を困惑させるような内容のものである。特に「片腕」については主人公の男がある娘に片腕を貸してくれと頼んで娘の片腕をお家にお持ちかえりして腕とおしゃべりしたり、自分の腕と娘の腕をはめ変えたりとワケワカメな内容である。こいつを一体どういった心理で何を想って書いたのか謎である。作風にクセがありすぎる。しかし、娘の腕を持って帰って自分の腕と交換してはめるというところになにやらフェチズムを感じる。なんだろうか、若さと女子を感じたかったのだろうか。私の浅い考察ではそんなバカげたことしか言えない。

 「散りぬるを」は女性二人を殺した男の供述を元にして男の心理を辿っていくみたいな物騒極まりなくてそして所々でワケワカメな話であった。

 

 この川端と言う男、所謂鬼才である。ゆとり世代が読んで楽しい代物じゃない!

 

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