こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その18「わらしべ長者になりたい私とバカを見る程正直な私」

 

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 保育園に通っている時に先生に読んでもらった昔話に「わらしべ長者」という話があった。ある男が一本の何でもない藁を藁以上に価値のある物に交換する。藁と交換して得た物は会う人会う人とまた交換する。交換する毎に得た物の価値が上がっていく。交換を繰り返してやがては豪邸を得るというお話であった。藁しべ長者、それは物々交換の頂点に達した男の話である。

 最近スーパーで買い物をした時、幼い頃に知ったわらしべ長者の話を思い出すきっかけとなる出来事が起こった。

 私はその日小腹が空いていた。何か食いたい。夕飯前なのでそれは軽くて安い物ほど良い。そして私はその時なによりも餡子が舐めたかった。以上の理由から私は小さてく餡の入った饅頭を買うことにした。おまけにそれは半額であった。

 それのみを持ってレジにいった。私は500円商品券を持っていた。70円くらいの饅頭の半額だから35円くらいの支払いになる。お釣りが出る商品券だったのでお釣りがかなり帰ってくることになる。帰ってきたお釣りを持ってまた別の店で買い物できるなと考えていた。

 計算していた倍以上のお釣りが帰ってきた。店員が500円券を5000円券と間違えて打ち込んでいた。お釣りは4900いくらとなり元々の500円の10倍くらいが帰ってきた。

 この瞬間私は「しめたぜ」と思ったがそのあとすぐに、このお釣りをもって帰ることへの罪悪感を抱いた。私はその時祖父の言葉を思い出した。

 私の祖父は私に向かって「徹頭徹尾善人であれ、無理ならせめて悪事に手は染めるな」と私が幼い頃からよく言っていた。祖父は社会に出てからの失敗は一度であっても許さない。学校の発表会と違って社会に出ての失敗は責任を問われる取り返しがつかないことが多いとも言っていた。仕事においても部下の失敗に厳しかった祖父だが特に厳しく見るのは犯罪についてだった。犯罪を犯したなら壁の向こうの暮らしの中で罪を償うなんてことはしなくて良いからその時はすぐに腹を切れと言われた。私はこのような教えの中で育てられた。あらゆる罪人を収容し更正させる施設の存在意義を根っこから否定する考えである。私は祖父のことを厳しくもあり高潔な人間だと想う。幼き頃からあらゆる大人達を馬鹿にして育った私だが祖父のことは尊敬しているのだ。

 こんな感じの祖父とのエピソードを間違った額のお釣りが出てきてから2秒とかからない間に思い出した。

 私は素直に「今払ったのは500円であり5000円ではないのでしっかり確認してくれ」とレジの店員に話した。4900円程の釣りは450円くらいにまで減った。

 私は4000いくらのケチな金額を店から黙って持って帰るほどに生活に困窮している身では無い。ただ、明日財布を開けば金が一円でも増えていれば、明日米びつの米が一粒でも増えていればと考えるとちょっとの得がありがたくなるのだ。だから計算していたお釣りの額よりも一円でも多く帰ってきたら当然ありがたい。そういう訳で誤った高額のお釣りを貰った時に私の中で天使と悪魔が闘ったのだ。

 私はお釣りの額が間違っていると100パーセントわかっていたがその上で持ち逃げると刑法上でどうなっているのかはわからないが多分犯罪になるのだろうと想った。犯罪のワードが頭にチラつくと祖父の言葉を思い出す。

 危うく私は偽わらしべ長者の罪を背負うところであった。他の人なら罪を償う余地があるが、私が罪を犯した場合は祖父の厳しい教えに従うと即腹きりなので危なかった。

 私はその日、祖父の厳しいながらに正しい教えに感謝しながら祖父が私用に購入してくれたちょっとお高い通販の生ラーメンを啜ったのだ。あれはスーパーで買った饅頭以上に美味かった。ご馳走様。