こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

良いも悪いも含めてが人生「女の一生」

 

 

       f:id:koshinori:20170703084918p:plain


最近はすっかり涼しくなり、本を読むにはもってこいの秋の夜長が楽しめるようになった。そんな読書好きにはウェルカムな時期になったのに私生活が色々と忙しい。腰を据えて落ち着いて本読みが出来ないことにはストレスを感じる。

 

 音楽を聴く、動画を見るといった他の趣味は「ながら」でもなんとか出来るが、読書ばかりは本だけに集中しないと楽しめない。ながらを封印して専用の時間を設けないといけない読書という趣味は忙しい社会生活でやるにはなかなか難しい。でも読みたいので必ずやりたい趣味でもある。

 

 そんなわけで、忙しい合間を縫って最近読んだ本がモーパッサン作の長編小説「女の一生」である。

 

 モーパッサンの本といえば、3年くらい前に「脂肪の塊」という短編を読んだことがあったのを思い出した。あの話は主人公女性が理不尽で可哀想な目にあい、読後には「なんか腹が立つ」という感想が吐けるものであった。

 今回読んだ「女の一生」も主人公女性ジャンヌがその長い人生の中でなかなか可哀想な目に合う物語だった。しかしこの物語は長いけどドラマチックで退屈しない面白い本だった。

 

 物語の最初は、ヒロインのジャンヌがまだ恋に恋するウブなねんねという段階から始まる。痛い目に全くあっていない初期のジャンヌは人生に希望を抱くピュアな少女として描かれる。この出だしからあんな未来になるとは想像出来なかった。

 

 修道院を出てからジャンヌはジュリアンを夫に迎え結婚生活を始める。相手のことを大して知らない内に結婚し、その後は結婚生活や「男」を知るということに躊躇し苦悩もする。夫婦でのベッドのやり取りでジャンヌがジュリアンに不快感を示すシーンは印象的だった。ジャンヌとジュリアンの夫婦愛が冷めていく展開も描かれる。

 

 誰だって希望の未来が待っていると信じて結婚するのだろうが、この二人はそうはいかない。ジャンヌが夢見がちで世間知らずのお嬢様だったからこうなったのだろうと想う。私は夫のジュリアンがすごく嫌いだった。

 

 夫婦の「愛の結晶」と比喩される息子のポールを儲けるが、ジュリアンは息子を毛嫌いして可愛がらない。その一方でジャンヌは息子こそ惜しみなく己の愛全部を捧げることが出来るものとして大事にする。

 ジャンヌが息子をたっぷり愛す間に、ジュリアンはよそに女をつくっていた。まずジャンヌよりも先にジャンヌの乳姉妹にして家の使用人であるロザリを妊娠させ、その後はよその伯爵夫人ともデキていた。

  

 ここまででもジュリアンがクソ野郎ということはよく分かるが、よその家庭でもよくあるように結婚後にはそれまでと大きく態度を変え、威張りくさってうざい男となる。ジャンヌの両親にも口答えするし、使用人の少年マリウスをボコボコに殴ったりとクレイジーぶりも発揮する。そしてまだ良くないことがすごくケチであるということ。

 身分の高い者に上手いこと取り入ろうとする一方で下にも見ているというコンプレッスある男の一面も描かれた。嫁だって常に下に見ている。なかなか根性の悪いクソ男だった。

 

 だからこそあんな最後が待っている。ジュリアンはよその伯爵の嫁と不倫していて、それを知った夫は、二人が逢引していた小屋を怪力で倒した。そのまま小屋ごと二人は坂道を転げ落ちて死ぬ。自然の事故と処理されるが真実はしっかり復讐劇となっている。ジュリアンの素行がとても悪かったからここはスッキリした。

 

 しかし悪い夫がいなくなってもジャンヌの人生は失速を止めない。せっかく大きくした息子のポールがグレて学校は落第でダブりまくって二十歳でまだ高校生をやっている始末。そんな出来の悪い息子もいつしか家に寄り付かなくなり、後半は女の家にしけ込んで登場しない。ジャンヌにはちょいちょい手紙を送ってよこすが本人は全然家に帰ってこない。

 

 ジュリアンもそうだったけど、この息子もなかなかのクソ息子だ。よそで女を作り、ギャンブルで負けて借金を作り、会社を作ったけどダメになってまた借金をする。そんな具合で家族に迷惑しかかけない。最後には作った女が死んで、儲けた女の子の赤ちゃんだけを家に送ってよこす。ポールの女の葬式が終わればポールもジャンヌの下に帰るという流れまで来て終わる。

 

 最後にロザリが「人生は皆が想うほど良いものでも悪いものでもない」というセリフを言って終劇となる。

 ロザリは、ジュリアンの子供を身ごもってからよその男と結婚させられ、長らくジャンヌの住む屋敷には帰らなかった。ジャンヌもだが、ロザリも人生のあれやこれやの切苦労を経験している。そんな彼女が最後に口にした人生観はなかなか胸に響くものだった。

 

 ジャンヌの家族には明るい父と肥満体型で気分が沈みがちな母、そして空気のような叔母がいた。これらが次々と死に、夫も死に、息子が出ていって一時は一人になるが、最後にはロザリが戻って来て助けてくれる。

 まだそんな歳ではないのに、人生に絶望して神経衰弱になったことでロザリから早くも介護されるようになったジャンヌがかなり可愛そうだった。

 

 ジャンヌを追い込む可哀想な出来事といえば、母が死んだ後に発見した手紙のことがある。ジャンヌの母はこれまでもらった古い手紙を保存していて、なにかとそれを引っ張り出しては感傷に浸りがちだった。母の死後、その手紙をジャンヌが読むと、それは母がよその男と不倫している内容だと分かりジャンヌは激しいショックを受ける。尊敬して愛した母がジュリアンと同じく不倫していたと知ってさぞショックだったろうと可哀想になった。

 

 一人の女が身を持ち崩すまでを描く一方で、爵位のある者達との関係が面倒ということ、宗教的あれこれの面倒があるということも感じた。

 教会の神父が登場するが、途中で登場する二人目の神父が飛んだ不良神父で、犬を蹴り殺したりする。宗教者も荒いことをするから信用ならないと思えた。あのシーンは酷かった。

 

 破滅を辿る物語とも言えるけど、最後に孫娘を抱いたジャンヌは人生に希望的何かを感じたとも思える。

 

 一人の女が身を持ち崩す過程を描いた点では、以前にも読んだ「ボヴァリー夫人」と近いものがあるとも思った。あとがきを読めば「ボヴァリー夫人」の作者フローベールモーパッサンは親しい仲だったと分かる。

 

 こんな絶望へと向かう人生の物語を書いた時にモーパッサンがまだ30代だったことに驚いた。30代の若さならもっと元気な作品を書くだろうと想うところだが、こんな話を書く辺り、彼も早熟で絶望を知る人生を歩んだのだろう。

 

 最後にロザリーが言ったセリフのように人生はそれほど良いものでも悪いものでもない。色々あって丁度良いバランスのはず。そんな感じで今後も肩の力を抜いて生きていこうと思った。

 

女の一生 (光文社古典新訳文庫)

女の一生 (光文社古典新訳文庫)

 

 

スポンサードリンク