「街の灯」は、1931年に公開されたアメリカ映画。
喜劇王チャールズ・チャップリン主演のコメディ映画である。
この映画を見るのは今回で3回目。学校教師のおすすめ作品で、授業時間に見せられたことがあった。素敵な作品だったのでいつまでも心に残っている。コロナ自粛中にテレビで放送していたのを再び視聴した。何回見てもやはり楽しい作品だ。
大昔の映画なので俳優のセリフが入っていない無声映画となっている。セリフは最小限に抑え、たまに数文字が字幕で出るのみ。軽快なBGMをバックに、喜劇王チャップリンが体のアクションのみで笑いを生む。
声はなくとも「こんなやりとりをしているんだなぁ」というのがだいたい伝わる。その点が素晴らしい。
俳優の演技としてのセリフなんて映画のおまけに過ぎない。セリフに頼らずとも、視覚で伝わる全部をやり切ることで、映画の魅せ方は無限に広がる。
技術的に乏しい大昔の世界でもこれだけのことが出来る。新時代となった今それを知ることで、改めて映像表現に無限の可能性を感じた。チャップリンが我々に教えてくれたことは大きい。
話の内容は、チャップリン演じる浮浪者が、盲目の花売り娘に恋をするというもの。男が花売り娘を助け、互いの絆が深く結びつく展開をコミカルに描いている。
家賃や目の手術代で困る娘のため、男は一生懸命働いてお金を工面しようとする。最終的には危険なボクシングの闇試合にまで参加する。
もうひとつの見所は、妻が出ていったショックで自殺しようとする富豪を浮浪者の男が助けたことで展開する物語。一文無しの浮浪者と金持ち富豪のデコボココンビが巻き起こすコメディ劇も面白い。
富豪は酒に寄った時のみ浮浪者を親友として迎え入れるが、素面の時には「誰だお前は?」といった感じで忘れてしまう。アルコールで結ばる希薄な友情を描いたこの設定が面白い。
都合よく記憶がなくなる富豪の設定は、主人公が強盗と間違われて投獄される後半展開に活きてくる。
平和記念の像にチャップリンが寝ているという掴みのシーンから、彼が刑務所を出て娘と再会するラストまで、コミカルでテンポよく描かれている。退屈なく疲れずに見れる作品だ。
笑いの要素がしっかり詰められている点では高く評価出来る。
富豪が海に飛び込んで自殺しようするシーンでは、富豪を助けに入ったチャップリン演じる男の方が危うく溺れ死にそうになる。なんとか丘に上がった後、またトラブルがあって同じシーンが繰り返される。日本のお笑いでいうところの「天丼」の技術が使われていて面白い。
助かった二人が酒を飲み交わす時、グラスに継ぎ終えたボトルを富豪が下に向けて持つことで、残りの酒がすべてこぼれてしまう。富豪は酒がすぐに無くなったと錯覚してまた酒をとりに行き、次にも同じことを繰り返して酒を無駄にする。シュールなボケを繰り返して見せるこのテクニックは、決して難しいことをしているわけではないのに、面白くてクスリと笑えて関心してしまう。
これが先人のお笑いの技術かと思って見ていた。
後半の八百長ボクシングのシーンはイチオシの爆笑パートである。
相手選手に腕っぷしで劣る男が、あの手この手でとにかく戦いを有利に、そして面白く運ぶ名一番となっている。 レフェリーを盾にしてまで逃げる戦法はアイデアもの。というか、小細工無しでも男だって結構強かった。しかし健闘むなしくKOされてしまう。
これまで見てきたボクシングの試合だと、「はじめの一歩」の鷹村とブライアン・ホークの試合と並んでコレが一位の名勝負だな。
強盗と間違われて投獄された男が表に出てきた時、花売り娘の目は見えるようになっている。娘は顔を見たことがない男の存在に気づいて、二人は無事再会してエンドとなる。
展開も面白く、最後は嫌味なく爽やかに終わるのが良い。
チャップリンの愛嬌たっぷりな振る舞いは時を越えて楽しい。人生において同じ映画を2回以上見る機会はあまりないが、この映画は時を越えて良いもだ。楽しい気持ちになってよかった。
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