とうとう我が家のポストにもあのマスクが届いた。国策として全国にコレを配るのがあまりにもアレなので、都市伝説というかなんと言うか、とにかくどこか遠くの話で自分には関係ないことのように思っていた。でも、来やがった。
手に取っての感想というと、これといった感動がない。
「へぇ~これがあのアベノマスクかぁ~」くらいに思うのみで、後は倉庫にポイッした。
普段は人から人への愛のこもった手紙なりその他贈り物を届ける郵便屋も、これを配るときには「ん?」と思ったりしたのだろうか。こんなニ枚のマスクが製造されて我が家の倉庫に入るまでの間に随分たくさんの物語があったのだろう。でも正直言ってしまうとやはりいらない。
国策としてコレを配って回ることがどうしても間抜けというか、なんだかなぁ~としか思えない。もちろん異常時だからこそやったことで、何でもないのに金を払って布切れを配って回る愚行はしないのだが……。そこら辺の事情が分かっても救済がコレかよと思うと、正直にしょぼいとは思う。こんなのでも1枚100円くらいするのかと思うと200円くれた方が良かった。
なんだろうか。悲しくなる。マスクネーミングの元ネタとなった安倍大臣並びにその仲間達が悪さをしたわけではないが、どうしてもマスクをもらっただけでは感動出来ない。しかし、大人達が懸命に考えた結果配ったマスクだ。いらないからといって捨てたりあげたり売ってはいけない。とりあえず記念に取っておこう。そして10年でも20年でもして掃除していたらコレが出てくることがあるだろう。その時には「あぁ~、あったよな、アベノマスク」とか言ってゲラゲラ笑って談笑のネタになると良い。色々物議をかましたマスク配りも、何十年後かの世界には笑える過去になることを願おう。
この間お兄ちゃんがファミコン周辺機器のパックスパワーグローブのことを話題に上げて笑っていた。「今思うと斬新で面白い商品でもあったよな~」とか言ってた。こんな感じでアベノマスクも過去世界の笑えるネタアイテムになると良い。
そういえばこれを付けている人間を今のところ見たことがない。そこらの奥さんや学生もいい感じの手作りマスクをしていたり、普通に既製品をつけている。私のことを言ってもマスクは足りているのでこれはいらない。
流行りワードをとかく産みたがるのが日本人の気質であり、とりわけそれを一生懸命やるのがマスコミ関係の者達である。
コロナ関係一つをとっても様々な流行りワードが生まれたはずだ。今年の流行りワードもコロナ関係になるだろう。そこへ来るとこの「アベノマスク」というワードはかなりヒットを飛ばしたのではなかろうか。
アベノマスクは今年の流行語としてかなり強いカードになるだろう。言葉の意味するところや誕生の経緯については取っ払い、単純にワードとして響きが良い。
関わった人間である「安倍」の名がここまでのワードにしたアシストとなっている。これが例えばかつての首相である伊藤、黒田、桂、西園寺、吉田、小泉らの名前の尻に「マスク」 を付けてもワードの響きとしては良くはならなかった。アベノマスクが強ワードであるためには、安倍大臣の存在がなくてはならなかった。
バカげたワードのバカげた分析をしていると思われるかもしれないが、こういうことを考えるとワード誕生までに運命的なドラマを感じる。
これだけ脳にインプットされやすいポップなネーミングとなった以上、次の時代になってもこのワードのことは簡単には忘れないと思う。しかし、マスクに人の名前が入ったこのネーミングが愛称、敬称よりも、揶揄、蔑称として用いられているこの現状はどうなのだろうか。いやしくも日本国の舵取り人に選ばれた男がこんな扱いをされるのかとついつい思ってしまう。今後の日本史や公民の教科書にこのマスクの名前が出てきたりするのだろうか。
今回のコロナ問題に対する政府の対応について、少なくない数の国民があれこれ文句を言っているようだ。私も二、三程の少数の愚痴なら吐いたかもしれない。
しかし、仮に私が安倍大臣やその仲間達のどれかの椅子に座っていたとしても、彼らより上手く事を処理出来たとは思えない。政治の勉強をして来たプロでもどう動けばよいか躊躇してしまう、そのレベルの異常時だったのだ。アベノマスクの文句を言うヤツはたくさんいるが、配った連中も遊んでいるわけではない。
誰から見ても予想外な問題をぶっ込んできたコロナが異常なのだ。だから政府の策が成功だったとは言えなくとも強く非難しては気の毒だ。
てな感じのフォローをしておいて、アベノマスクレビューを終わろう。レビューって言っても見ただけで使ってないんだけどね。
物で顔や心を覆うことなく全てをさらけ出すことが出来る。一刻も速くそんな社会になることを願って今日は気持ちよくシャットダウン。
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