こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その49「オタクなりの家族との付き合い方を考えよう」

f:id:koshinori:20170607205753p:plain


 

 私は自他共に認めるまぁまぁなオタクである。オタク文化のものは色々好きで、かなり幅広く楽しんでいると思う。これだけ楽しんでいて幅が狭いとは思えない。

 

 オタクならありがちな特性の一つが収集癖である。例に漏れず私にもそれに当てはまる。自室にはなかなかの量のお宝が眠っている。幸運なことに、一人部屋にしては結構な広さのものを与えられている。さまざまあるお宝がこの部屋から外に出ることはないので、家族共有スペースを侵す心配はない。というか、持ち出すこと自体が心配なので、自分で持って出ない、誰かに何かを貸す、あげるということもない。一度我が自室に入ったグッズはまず外に出て行かない。物を大事にするから物持ちが良い、あとはケチだからということも手伝って購入したあれこれはまず売らない。となると、数は増えるだけで減ることはない。オタクではないただの人間が見ればビックリなものが、ビックリする数あるわけだ。

 

 私はどこかの肩身の狭いオタクのように、オタクであることを家族やその他に隠すことはしない。もっと言うと出来ない。滲み出るのだ。そんな訳でフルオープンオタクである。

 アニメ、ゲーム、音楽などなど、それらが好きなことを周りに隠して生きることは、きっと疲れるだろうし、楽しくないだろう。そしてなにより思うのが、他の者はともかく、それをする自分なんてダサいということ。勘違いしている者も多いが、オタッキーなあれこれが好きな事がダサいのではない。それを好きなことを隠している後ろ暗さこそがダサいのだ。私はスマートに生きたいので、とにかく己が信じる「ダサい」を己の中に宿さないことを常に心がけている。

 

 オタバレはしている。逆にそうでないと私ではない偽者だと思われるくらいに家族は私の中のオタクを信じている。でも知られていないこと、わざわざ教えて周ることもないこともある。

 自室に自分以外の家族の誰かが頻繁に出入りして何があるのかじっくり見て回るなんてことはあまりないだろう。なんとなくこんな物を持っているとは予想がついていても、我がコレクションの端から端までを知るのは自分オンリーなのだ。

 

 ある日のことだ。故あって、私がいない時に家族が私の部屋を確認することがあった。私としては、別に見られて困るもの、恥ずかしいものは所有していないつもりだ。向こうが見せてと言ってきたら、家族の誰にだってコレクションを見せてやっても良い。むしろこちらから自慢したいくらいだ。

 主にゲームを収納しているコーナーがあるのだが、それを見てしまった両親がマジで驚愕という感じになった。

 私は様々なハードのゲームソフトを持っている。乙女ゲーだけはやらないので所有していないが、それ以外のジャンルならマジで何でもある。

 知らない内にたくさんのゲームを持っていた我が子の真実を知って両親はビックリしたわけだが「なんだろうコレ、面白い」と思った。

 

 マリオやボンバーマンみたいなガキからおっさんまでの人気タイトルもあれば、少しお兄さん向けの恋愛ゲームもある。いわゆるギャルゲーね。これを見て、特に父はどんなことを思うのだろう。といっても、私はラブに関しては、両親が私を作るべく体を重ね合ったその行為を求めないので、齢18のボーダーがあるゲームは持っていない。全てコンシューマータイプのものなので、誰の目に触れてもまたは中身をプレイしても安心なのだ。

 しかしPS2あたりで出たギャルゲーの初回版はデカい箱に入っているので、ゲームコーナーを覗けば一番に目につくんだよな。両親としては、何かいけない物を見たような感じになったのかな。両親の反応は、当時側にいた私のお兄ちゃんからの伝聞で知っただけで、本人たちはそのことに触れてこない。ギャルゲーもなかなかの本数を所持しているが、全体の2割にも及ばない。

 

 反応が気になるのでこっちからコレクションを見た感想を聞いてやった。まぁ褒められはしないが、激しく否定もされない。ただびっくりしていた。

 コレクションがたくさんあることを指摘されたが、これらは一つも捨てることなくガキの頃から集めたものだ。私が労働し、金を集めて手ずからゲットしたものもあるが、かなり前に親が買い与えたものも相当数ある。親としては、自分達の給料がこれだけになったのかと感慨深く思うこともあるのかもしれない。母などは、ガキの頃に小遣いをあげすぎていたのかもと言っていた。まぁ悪くない金額もらい、こういったグッズに変わっているのは本当のことだしな。親にも色々感謝だ。

 

 オタクへの質問でよくあるものといえば「そんなに集めてどうすんの?」だが、長年収集癖人間と付き合っていると、そんな質問は意味がないと気づくもの。どうするもこうするもない、集めること自体に快楽を見出しているのがこういう人間なのだ。呼吸しないと死んでしまう哺乳類に「そんなに息ばっか吸ってどうすんの?」と聞くようなものだ。どうするもこうするもそうしないと死ぬからやっているのだ。そんな訳で、家族が私にたくさん質問を飛ばすことはない。

 

 こんなことがあって思う。家族からオタクを否定される者は、可愛そうで気の毒だと思う。きっとつらいだろう。だが、真のオタクとは、周りに有無を言わさず貫く力があるものだとも考える。私はこれに尽力してきた。

 

 オタクバレで家族と揉める作品をいくつか思い出す。

 忘れもしない10年前、我々妹萌え勢の脳天に雷を直撃させたこの手のジャンルの黒船「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」が放送された。作中序盤、妹ヒロイン桐乃がギャルゲーを所持していることが判明する。女子だってこの手のゲームをやったって良いのだ、おかしいことではないのだ、ギャルゲーはなにも男子だけのものではない、という女のオタクに向けての希望的メッセージ性が読み取れる良い展開、良い作品となっていた。そんな妹のオタバレを守るため、優しい京介お兄ちゃんは、これは自分の所有物であると父に宣言して妹を庇う。で、なんだかんだあって父に殴られる。我が子がこういうゲームをすること、オタクであることというのは、一般的なお父さんの意見としては好ましいものではないようだとも思える展開だった。家族へのオタバレはリスクがある場合が少なくない。

 

 かなり最近の作品でなら、二年程前に話題となった「トクサツガガガ」 もそうだ。松下由樹演じるお母さんは、主人公ヒロインである我が娘のオタク気質をどこまでも否定する鋼の意志を持っている。それにより、幼少期から主人公のか弱きオタク心は圧迫されることになる。マジで可愛そう。

 後半で主人公は、母を取るか、オタク道を取るかの大きな選択を迫られることになる。勝手にオタク雑誌を焼く、フィギュアも始末してしまうとんでもない母の頬を、大人になった娘がビンタする展開はショッキングなものだった。私が母に持つ恩というのは、合衆国をも飲み込む程広く大きなものなので、もしも母にオタクを否定され、我がお宝に手をかけられたとしても、さすがに手をあげることは出来ないだろう。ただ泣くだけだろうな。

 

 このような作品群を見ると、私は絶対に上手くやっている。私がすること全てを家族は「理解」、またはこの場合なら横にイコールを置いて「諦め」ている。だから私はのびのびとオタク活動が出来る。「俺妹」「トクサツガガガ」を見ると、家族に隠れてコソコソ行うオタク活動って嫌だなぁ~と素直に思える。私もそれなりに努力したが、理解ある、または簡単に諦めてくれる家族にも感謝だ。

 

 ここで私の矜持を示したい。

 私は、他の者が良いと言っても、社会広くが良いと認めたものでも、己でしっかりチェックして判断したものしか「良いもの」と認めない。良い悪いのアンサーと価値観の真実性は自分の中にしかないと信じている。

 それはあっちの人間もこっちの人間も同じこと。私が「これが良い!」と叫んで楽しくあれこれの物を収集しても、価値が分からない奴にはゴミでしかない。

 肝心なのは何があっても我が人生をかけているコレは良いものであると自分が信じ、他者の前でもその意志を強く見せること、貫くことである。否定意見を突っぱねる暴走ぶりを見せる勢いでいかなければ回りを納得なり黙らせることは出来ない。

 

 我々より長生きしてたくさん学んで来た母や父やその他でも、ことオタク文化に関しては、学校にちゃんと行ったとしてもまず学習していないだろう。自ら学んででもない限り、この分野オンリーにおいて奴らは門外漢、未開人、蛮族同然なのである。だから魅力が分からない奴らに対しては、「お前達が知らない魅力を私だけは知っている」のテンションでどこまでもマウントを取りにかかれば良い。これをやる図太さと覚悟も必要。まぁ私は普通に生きてそんな感じだから別段腹を決める時間はいらなかったが。とにかく、オタクというのはこんな感じで一つの覚悟なり、他者の介入があってもちょっとやそっとで折れない太いテーマ性を持って生きなければならない。

 

 このような立場を家族の中で勝ち取ることが出来ないオタクであればその程度の者ということになり、オタクとしては三流である。

 

 オタクだって覚悟を決めて生きている。オタク舐めんじゃねぇ!と言いたい。

 

 てなわけで、大手を振ってオタクをやるという今の環境について、これが幸福なことと思え、そこに至る個人の努力の過程はこんなものだったという振り返りを行った。

 

 勝ち取れ!オタクの王座!

 スポンサードリンク