つい最近知ったことがある。
ここ数年で、それまでゲームソフトには必須のアイテムだった説明書の存在が消えつつある。ていうか、もうすっかり消えてしまったっぽい。
レトローゲーマーの私は、あの日の最新機器がとっくにレトロになってからやっと手にすることを常としている。
そんな私だが、2021年も下半期になってやっとPSVita、ニンテンドー3DSのソフトを購入するようになった。
両方とも本体を持っていないのだが、近々オタッキーな知人から本体を譲り受ける予定になっている。予定が正式決定となって夢のマシンを手にすることを考えながらショップ巡りを行う。その中で、ジャケットだけで判断して良さげと思ったソフトを今からでも抑えているのだ。
現在は携帯ゲーム機ならニンテンドースイッチが王座を取っているため、過去の遺産であるVita、3DSのゲームもかなりお安くなっている。
で、いくつか買って気づく。PSP、DSの頃にはそこそこ分厚い説明書がついていた。しかし、上位機種の2つのソフトに同梱されている説明書は、がっつり説明という程ではない簡易操作シートという形を取ったペラペラの物があるくらい。過去によく見た説明書のような分厚さ、派手さがない。
「え、なにこれ?寂しい」
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つい思ったのがこれ。
時代はペーパーレス。そして職人達も文字、画像を入力して印刷するのが面倒なのだろう。というわけで、紙での説明はもうおしまい。次代は電子説明書がメインで行くことになったという。そんな説明が書かれた紙がゲームケースに入っている。
紙から電子へと変わって行くまさに過渡期だったのだろう。3DSなら初期のソフトにはまだ厚みのある説明書が入っている。新しくなると、どんどん薄くなり、次には電子説明書になったからそっちを読んでとだけ書かれたレシートくらい薄い紙が一枚だけになる。そして最終形態では、電子説明書になったよ、という説明の紙すら無い。ソフト以外、ケースには何にも入っていないのだ。
先日、ゲームキューブ版を持っているくせして、性懲りもなく3DS版の「ルイージマンション」を購入した。私と同じく、どこぞの家庭の「弟」であるという点に共感出来たため、緑の彼を推してしまうのだ。
で、これを開くとソフト以外何にも入っていない。
「説明書がないじゃないか」と店員に問うと、この時代には最初から何も入っていないのだと言われた。
まじかよ。新品でソフトを購入してもチラシの1枚も入ってないとか、ペーパーレス時代も極まったものだ。
資源は有限であることから、削減は考えて当然。
でもなぁ~、ゲームを買ったら絶対にプレイよりも先に説明書を眺める。そしてプレイを想像してワクワクドキドキを高める。これがゲーム購入者のプレイ以外の楽しみでもあった。
特に我々のようなコレクトの方にばかり一生懸命で積みゲーを量産する連中からすると、紙面で中身が知れることはありがたいことだった。だからそれが無くなるとか寂しいよな~。
紙の無駄使いは駄目なんだけど、ここでは決して無駄を打ってはいないと思うんだよな。
正直いうと、中身以上に、なんなら誇大広告なくらいドッキドキする魅力的な説明書を作って欲しいんだよな。
決して単なるおまけではなく、結構クセのある構成、文体を見せる面白い説明書もあったんだよな。
読書にしても電子より絶対に実物派だからここは残念だぜ。
ここであてつけも良くないが、学校で配るプリントとかバカみたく多いから、紙の事ならあっちをなんとかしろよとかも思うんだよな、連絡事項用、授業用共にたくさん刷るんだよな。
授業をプリントでってのは、教員が黒板に向かうことへの逃げでもあるのではないか。毎年同じ内容を教えるなら、プリントにしておけば、黒板に書くこと、自分で喋る内容を少し減らすことが出来るだろう。
まさかのゲームコレクターの気づきから学校へのツッコミになってしまったな。
まぁ、教育とは遠い所でゲームを楽しむオタクをやっているので、なんだかんだ言っても関係ないから好きにして、で終わる話ではあるけども。
早くもニンテンドースイッチプレイヤーになってしまった我が兄弟達に聞けば、やはりスイッチにもソフト以外何にも入っていないと言う。説明書なんてのは久しく手にも目にもしていないらしい。
ゲームの売り方に見るこの変化にはびっくりだよな。事情を知らない者からすると、あるはずの物が欠品している商品不具合かと思ってしまう。
そんなこんなで、文明の発達に見るそれまであった良き文化の廃れを見たわけである。
命ってのは、常に創生と破壊の連続の中にあるので、嫌でもこのサイクルを見て感じることにはなるよな。
つい先日、電車の天井に釣られた車内広告が無くなったとテレビで知った。電車はあまり乗らないが、そういえば上の方を見ればそんなものがあったなと思い出す。アレって誰が持ち込んでセットするのだろう。
現在、多くの人間は天を仰ぐ事を忘れ、俯いて歩む人生を常としている。目線は下、つまりはスマホとにらめっこなのである。だから天井の広告を見ない。こういう事情から電車広告は無くなったという。ちょっと面白い大衆行動の変化の話だよな。
こうして日々変わる世界の中、今日も私は元気にやりたい事を楽しんで生きるのである。
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