日々忙しいので、流れ行く時のカウントを怠っていた。だから気づくのが遅れた。なんと今年はファミリーコンピュータ、通称ファミコンの40周年記念イヤーである。めでたい!
マジかよ、40年も昔の発明なのかコレ。その割には結構最近に始めて最近まで遊んでいたような~。
私のお家では、最新の何かを子供に与えることをしない。上の代を無事生き抜いた何かが降りて来て現行で活躍することになる。つまり親とか親戚が楽しんで不要になった物がこっちに周ってくるパターン。
wiiが出てもファミコンやスーファミ、あとはセガサターンとかドリキャスとか、とにかく当時の段階でレトロなおもちゃ達で遊ぶこととなった。
その昔の子供達にとって良いものなら、現代でも未来でも子供にとってきっと良いものだ。つまりは、子供に与える娯楽なんて今も昔も新しく考えなくてよくない?というのが我が家の大人達の方針だった。良き教育とはなんぞ?という事をたくさん考えてその答えに辿り着いたらしい。おつかれ。
そんな感じで親が楽しんだ漫画やゲームをこちらも楽しみまくっていた。お陰様で世の流行りが分からず、同級生とゲームの話題がまるで合わない。
でも恨み言など皆無。なぜなら自分が生まれるよりも前の発明達に触れてとても楽しかったから。中でもファミコンは、本来ファミコン世代からめちゃくちゃ外れていている未来人間の私を虜にした大発明だと言えよう。
ファミコンならざっと数えても300本は遊んできた。それだけ遊んで目が悪くなることもなく、その昔はやればバカになるとも言われたマシンで遊びまくっておいて学業も問題なかった。むしろ成績上位者だったくらいだ。ドンキーの計算ゲームをはじめとしたお勉強ゲームだってあったことから、頭の体操にも使えた。さすが家庭用コンピュータ。今こうしてパソコンキーでバカ話を打っている技能だって、ファミコン周辺機器ファミリーベーシックで会得したものだ。学校で情報の授業をやれば、キー操作が速いヤツでも有名にもなれたぜ。と、自慢も言っておこう。
そんな私よりずっとすごいと自慢できるのがファミコンだ。今回はこいつとの思い出を語りたい。
40年も地球にいるんだものな。本日だとじいさんからガキまで、色んな人の記憶にファミコンは登場するはず。ならば私1人でもたくさん語れるってもの。
私が物心ついた人生の割りと早い段階で、父が「何かいいもんあるぜ!」と言って私を自室に誘い込むことがあった。いいもんなら何でも掴みたい。それは万国のガキ共通の衝動的欲求だろう。なんなら今だってそうだ。
で、父が見せたのはデカい段ボール箱。この時私は、箱に犬が入っていると思ったのだ。それ以前に犬が欲しいとか犬と遊んだという話の前後が一致するやり取りが親との間に皆無だったのにも関わらず、なぜか犬が入っているとめっちゃ期待したのだ。何の脈絡もなく突飛な事を言ったりやったり思考したりってのが、ちびっ子の有するファンタジー要素だな。あの日の自分、ちょっとおバカって思える。
そして開かれたデカい箱の中身はもちろん犬ではないのだけど、犬以上に惹きつけられる輝きを放っていた。
一色は白、そして相方となるもう一つのカラーは、純粋に赤と呼ぶには濃い小豆色。白と小豆のツーカラーで彩られた謎の機械があるではないか。
「これは何さ?」と尋ねれば「ファミコンだ!」と返ってきた。耳に残るその響きは、後に永遠の記憶になるのだ。これぞ運命。
初めて見た時には「マジで何これ?犬じゃないじゃん」としかならなかった。しかし聴くところよると、テレビに繋げばとんでもなく素晴らしい世界がソフトの数だけ存在するとか。父だってプレイしたソフトもいくつかある。その話を聴いてワクワクしないガキはいない。
ワクワクしながらお次はソフト紹介を聴く。これはスターターセットとしては最強くらいの組み合わせだったのかもしれない。一つ一つ買い集めるなんて話ではない。初っ端から既に50オーバーの本数が揃っていた。よく揃えたものだ。親の用意の良さにグッジョブ。
すげぇ、すげぇぞ。やる前からだってこれだけ並んでいると何かすごいとなるのが生命の直感。この時私は震えたのだ。
数の次にワクワクするのは、各ソフトが実に勝手気ままに纏うボディカラー。これがキラキラ光ってとても綺麗に見えた。
思えばこんな自由な仕様ってファミコンくらいじゃないかな。スーファミやゲームボーイなら基本的にソフトは灰色。他のゲームソフトだって並べればそれとわかるように、だいたいが形状、カラーを同じものにしている。
ファミコンはソフトを出す会社ごとに色やソフトのデカさまでいじっている。この調和の無さが生むカラフルさが、芸術的に映えるのだ。
初対面時に目に飛び込んで来たカラフルなソフト郡の輝きは未だに忘れられない。あのカラフルさが良いんだよな。並べて上から眺めると意味なくワクワクする。
一発目の段階からローンチタイトルの一つだったドンキーコングがあり、バカみたくヒットしたスーパーマリオブラザーズもあった。他にはスペースインベーダー、テトリス、グーニーズ、ロックマン、ボンバーマン、高橋名人の冒険島、グラディウス、スーパーモンキー大冒険(かっ飛びクソゲー)、星のカービィ、パーマン、アイスクライマー、レッキングクルー、スーパーチャイニーズ、キャプテン翼、北斗の拳、ドラゴンボール、バトルトード、ミラクルロピット、ファミスタ、ロードランナー、ドラゴンクエスト、信長の野望、チャレンジャー、スパルタンX、ファイナルファンタジーなどなど、一瞬でもこれだけ思いつく強いラインナップ。思いつかない他の分も合わせてとにかくたくさんあった。
めっちゃ遊んだなぁ。ロードランナーなんて朝飯を食ったら昼飯が出てくるまで遊んでいたし。
これは確実な事だが、自分が推した物が人から受けると絶対に嬉しい。親も間違いなくそこの点には満足していた。というか私がまるでスポンジ人間のごとく大人から与えられた物に拒否反応を示した事がほぼないのも確かな話。向こうとしてもこいつは何を与えても最大限それで楽しむ、だから選ぶのに頭を使わなくて良いくらいに思っていたたはず。母なんかは飯だけ与えておけば後は面倒のない子供だったと言ってたし。というわけで、世話する上で大人が楽できるくらいに楽しいの努力家なり天才だったらしい。大人しく遊ぶのが私の生きがいだった。
ファミコンなんて我々の時代から見れば全てしょっぼいものだが、それでも楽しかった。
技術的にも容量の問題でも作る上でかなりの制限があったはず。そんな無駄が許されない中で「楽しい」を生むのに必須な物を最大限ぶちこんだこの軽いソフトに大きな夢を見た。素晴らしいカセットゲームが大量にあった。
聞けば公式に発売されたファミコンソフトは1000本くらいあるらしい。人生をかけても全部遊ぶのは難しいだろう。私の人生だと300くらいが限界だった。
にしてもすげぇ数作ったんだな。それくらいに、作ればいくらかは客が集まるという希望たっぷりのコンテンツだったのだろう。これのヒットが無ければ、今のように家庭にゲーム機が普及することはなかったのかもしれない。
ファミコンとは同期くらいのSG-1000とかにも手を出したが、やはりファミコンが偉い!と思う。セガっ子でもあるけど、ファミコンの持つ「無限」の概念に近づいた可能性は絶対にすごい。
そんなファミコンは今でも我が家にある。というかいる。
いつしか数が増えて今は3台あるし。どっかのタイミングでどっかから流れ込んで来たのだろう。いらなくなったおもちゃ、ゲームの無料引受人の活動もしていたので(←大げさに言うだけで、単に人に「くれくれ」言ってもらって来ただけのこと)、気づけば誰かが何かを我が家に持ち込んでいるということもあるのだ。だから勝手に増えている。
後には所謂3色ケーブルをテレビと繋いで遊べるニューファミコンも投入することになった。こちらは結構画質が良い。音も良い。なので今遊ぶならこっちだな。
このニューファミコンだが、正月くらいに中古屋に行ったら箱付きが1万くらいで売られていた。マジかよ、これに今1万円出すヤツいるのか。
私の人生形成、または人格形成においてもファミコンは一役買ってくれている。今でもファミコンが大好き。
先日もなんとなくキョンシーズのファミコンソフトを起動してみたし。今だとキャラが街を歩くスピードが遅いし、会話時のメッセージ送りも随分とのろく感じる。時短の頭で生きる現代人にあれをやらすのはキツいかも。今のゲームは諸々が簡略化してストレスフリーなんだな。
今更やる気にならないソフトもあるっちゃあるし、ファミコンは全体数が多いだけに内容を知らずにジャケ買いすればクソゲーに当たる率も高かった。だから死ぬまでもうやらないソフトも出てくるはず。でもこれらは全部残している。
最近はレトロブームでこういったクソゲー達も価値が上がっているとか。まぁ売らないけどね。最近ヤフオク出品を始めてみたが、思い出のゲームソフトはどうにも手放す気にならない。
ソフト一つ一つに、これを遊んだ時にはこういう事をやっていたなぁ~と思い出せる心のアルバム的役割がある。クソゲーだって大事な記憶のピースの一つなのだ。
まぁ大人しくお家でファミコンをして大きくなって来たことで教養もいくつか得られたし、大きな成果は不良になる隙を潰せたこと。お陰様で不良の時代の到来なく、心身共に完全にクリアな青春が完成しました。
その昔には、未だにルールが良く分からん花札とかを出していたらしい任天堂さんが、進路を切り替えてこういったスーパーコンピュータを売る会社に育って良かった。私がグレなかったことを思えば任天堂にも感謝。歴代の遊べるソフトが多すぎることで、未だにスイッチに辿り着いていないけど、今後も良い発明をたくさん産んでおくれ。正月にやっと3DSを親戚からもらったのだが、今は忙しくてそれもまだ遊べていないし。
すっかりおっさんの年齢の40歳になったファミコンだが、これからも配信ゲームとかで皆に遊んでもらえるはず。ファミコンよ、22世紀まで人々の記憶に残れ。
ありがとう。テレビゲームよ不滅なれ。
以上、地球最後のレトロゲームマスターの戯言でした。 おわり
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