こいつが絡むことで法隆寺が賑わえば、猿と蟹が命懸けの争いだって始める。そんな日本式禁断の果実が柿である。←説明に誤りがある可能性あり。
同級生の8人に一人くらいが「肺」と間違えて読み書きすることがある。そうして人に赤っ恥をかかせて成績を落とす原因にもなるのもまた「柿」というワードが持つ特徴だと言えよう。いや、やっぱりこれについては間違うヤツらが悪いかも。柿は悪くないよね。
で、この秋が実らせた美味しい果実が食卓に舞い込んで来たわけだ。となればしゃぶり尽くして消化したく思うのが当然のこと。
11月後半になって柿をゲッツしました。その昔は木に登ってもぎもぎフルーツのごとくもぎり散らかして食っては土地の持ち主(ジジイ)に叱られもしたが、今は私もすっっかり大地の人。そこから足を離すターンが減った減った。もう木登りなんてしないし、よくよく考えれば以前やっていたことは普通に犯罪だった。一応少年法の庇護の下の恩恵だったのか、お叱りだけで捕まりはしなかったなぁ。まぁ10歳以下の頃のことだからね。柿を取って食って捕まるとは思わないじゃないか。
そんな木の上の果実が、木登りをすることなく食える。これは嬉しい。というわけで人からもらったことに感謝です。
これが美味い。本当に美味い。美味いから早く皮を剥いて次の一口が食いた過ぎる。そうして腹ペコ熱のため皮を剥く作業が横着になるというか、集中力が欠けて危なかった。今ならそう振り返ることが出来る。
いや~しかし美味いものだな。本当に1年の短い間しか食えるターンがないからな。まぁフルーツなんて小遣いじゃ絶対に買わないし。柿なんて貰い物以外で食うことはないなぁ。こうして貰えると大変ありがたい。この時期だけのレアな味覚なんだよ。
こうも美味いとなるとそりゃ猿や蟹も命懸けで争うわけだと納得だな。その昔「さるかに合戦」という規模の小さな戦争があったのさ。
思い出したので、さるかにについて触れていこう。結構好きな話なんだよね。
猿がその悪魔的な美味を知ったことで独占を考え、他に分け与えるという心の余裕が消えるほどの欲望に取り憑かれたのが事の始まりだ。柿にも宿る「美味」という名の魔力がある。
柿は割とぎっしりと内容が詰まっているのでなかなかに重量がある。その重量に速度を加えれば破壊力を宿した武器となり得る。その理屈のもとで蟹のお母さんは潰れてしまう。柿で潰れて死んだってことね。猿も酷いことをするぜ。これはお母ちゃん子の私としては悲しくなっちゃう導入でした。
私なら関係者全てを皆殺しにして柿の木を独占出来るな。それぞれのぶっ倒し方について考えてみよう。
猿はバナナをちらつかせて近くにおびき寄せる。低い位置にバナナをセットして目線を落としたそこにかかと落としを食らわせればゴートゥーヘブンかヘルかで話を終わらせることが出来る。
蟹は横移動しか出来ない。そこを運動靴の「瞬足」なんて履かずともそもそも瞬足の私が光となってストレートに突っ切ればもうバラバラだろうに。
蟹の仲間達も所詮はザコだ。蜂はジェット噴射の殺虫スプレーでお陀仏。馬糞は乾いた砂をかければ滑り効果が死んでタダの糞に成り下がる。臼は上からコンクリ攻めにして動けなくする。
栗の弾け攻撃については、今の時代なら家に囲炉裏なんてないから発動が困難だし、仮に弾け飛んできたところで私の光速の回避能力があれば余裕で避けれる。シャアの言う「当たらなければどうということはない」をそのまんま体現してやって無事決着だ。栗も最後は美味しく食ってしまおう。
これにて柿の木制圧で食い放題。柿を食いながらも戦略イメージが捗る捗る。
というバカ丸出しな妄想をまんま家族に話すと「お前、美味いもんだけ食ってれば幸せでいいなぁ」と言われた。そうさ、美味い物を食って腹が膨れてよく眠れる夜を迎える。それだけで人は幸福なのだ。
というわけで柿が美味い話でした。私のイメージをそのまんま記したさるかに完全攻略法については、参考意見に留めるのみで決して実践しないでください。猿や蟹を痛めつけるのは道徳的にも法律的にもアウトですから。
秋は皆仲良く柿の木の下、そして地球の上。コレを合言葉にやって行こう!
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