こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

「機械・春は馬車に乗って」

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 横光利一(よこみつ りいち)による十篇の短編小説が収められている。

 「春は馬車に乗って」という素敵なタイトルに惹かれて読んでみた。

 これはタイトルどおり素敵なお話であった。

 

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

 

 

春は馬車に乗って 

 病床に伏せった妻とその面倒を見る夫の物語である。

 著者の実体験を元にした話とのことである。

 妻は病状が悪化するに連れて心も荒んで夫に辛口の暴言を吐くなどのてヒスを起こしたりするが、なんだかんだで仲の良い夫婦である。

 夫が何かと理屈っぽいことを言う少々変人気質を持っていて面白い。 

 短い話ではあるが、その中で特に夫の心理描写、家の周りの風景などの自然描写も鮮やかに描かれている点がすばらしい。

 

 タイトルの由来が最後のオチとなるのが気持ちよい。読む前はてっきり春に馬車で諸国漫遊するお話だろうかと思っていた。

 物語の最後に馬車で運ばれてきたスイートピーを夫が購入し、妻に見せて鑑賞するシーンがなごやかで好きだった。馬車に乗って来た春の正体はスイートピーであった。松田聖子の「赤いスイートピー」の歌詞にある「心に春が来た日は赤いスイートピー」の一節を思い出した。

 妻は恍惚とした表情でスイートピーの花束に顔を埋めて静かに目を閉じる。ここで話は終わる。この最後のシーンで恐らく妻が絶命したのだろうと推測できる。

 春に命を芽吹かす花々と死んでゆく妻とを対比に置いて「生と死」を想起させる印象的なラストであった。

 

機械

 ネームプレート工場で働く4人の男達による喜劇であり悲劇でもある内容の話だった。

 一歩下がった場所から冷静な目で心理を見極める主人公の私、疑い深く荒っぽい軽部、軽薄そうで掴み所の無い産業スパイの屋敷、そしてお金を持たせば必ずどこかに落としてくる困ったさんの工場長といった具合に個性的な4人の人物が登場する。

 本作で一番関心が行くのは主人公がかなりクールに的確に物事を判断する点にある。なんでこんなに冷めているんだろうかと思った。自己においても他人においても人物を分析する能力に優れている。だからこそ愚物である同僚の軽部を馬鹿にしている様はなかなか爽快である。私はこの主人公にはとても共感できる。

 新入りで入った主人公を産業スパイと疑いボコボコにした軽部が次の新入りの屋敷も同様にしてボコボコにするシーンが印象的であった。暴力を前にしても主人公が冷静すぎる。

 屋敷を助けてやろうとして騒ぎに割って入ったら流れで軽部を殴ることになり、そして殴り返され最後はどうゆうわけが助けてやろうとした屋敷にまで殴られてなんだかわからない騒ぎにまで発展する。工場の暗室での三つ巴の合戦が一番盛り上がるポイントだった。

 急を要する大仕事を皆で行った末いざ給料を貰う段階になってお間抜け工場主がまた給料をどこかに落としてしまって稼ぎが消えるというショックな結末が待っていた。そして給料が消えて皆でやけ酒を喰らった時に、屋敷は水と間違えて重クロム酸アンモニウムを飲んで死んでしまう。

 話の序盤でネームプレート工場は体に害をなす危険性が潜む現場であると明らかされている。肌に害をなす薬品を扱い、薬品が発するガスを吸うのも危険とされている。そんなところにある薬をうっかり飲んだら、そりゃ死ぬわな。最後の最後で労働の危険性と苦労というのを感じることができた。

 

 

 他の収録作品の内に「御身」という作品がある。姉が産んだ姪っ子を可愛がっても愛の一方通行でその報酬が帰ってこないと落ち込む冴えない叔父さんの話であった。

 私も姪っ子を可愛がるのだが懐かない点で共感した。

 子供をあやすときに「御身よ御身よ」って言ってるのだが、この言葉ってそんな使い方するんだって始めて知った。

 この話はなんだか心温まって好きだった。姪っ子だって所詮は他人の子供である。

 

 

 馬車だろうがジェット機だろうが何に乗ってでもいいから早く春が来るといいな。