こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

おい、山根ぇえ!じゃないよ「山の音」

 

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 川端康成作の「山の音」です。山の音(おと)と読むらしい。

 

山の音(新潮文庫)

山の音(新潮文庫)

 

 

 主人公の老人 尾形信吾は、ある日の夜中に聞いた遠く吹く風の音のようでもあり地鳴りのようでもある「山の音」を死の宣告に感じた。このようにして物語はなにやら不穏な幕開けを迎える。

 

 信吾が歳のせいもあってか感性豊かな老人に描かれている。目にした少ない情報から様々な記憶や風景を呼び起こす詩人的なセンスを持ちそろえているように思える。突然耳にした山の音に対してそんなに深い意味合いがあると思うところなどがそうである。

 60を過ぎた老人が主人公のお話とは私がこれまで読んだ中では珍しい。迫る老いから来る不安や沈鬱を感じさせる要素が作品の所々に散りばめられている。まだまだ老いや死を予感した経験の乏しい私からすると老人ならではのものの感じ方が新鮮であった。

 信吾の夢のシーンが数回描かれることからよく夢を見る老人だなとも思った。これも生活の中の不安やストレスからくるものであろう。元々は妻保子の夭折した美しい姉に憧れを抱いていた信吾はこの歳になってもまだ残る恋心からその保子の姉の夢も時折見ることになる。歳をとっても恋慕の美しい記憶はずっと残っているということが素敵であると思った。

 作品は信吾を大黒柱とする尾形一家内の出来事を主に描いた家族劇である。家族構成は信吾と康子の老夫婦、その息子修一と菊子の若夫婦、中盤からは離婚して出戻ってくる修一の姉の房子とその二人の子供が加わる。

 家庭内は平和と言えば平和なのだが、平和の表面下にいつ崩壊へ向かってもおかしくない崩壊因子を孕んでいるとも考えられる。

 信吾が高齢のために物忘れが激しくなり、突然ネクタイの結び方を忘れる、火をつけて吸いきらない内に次のタバコに火をつけて気づけば長いままのタバコが数本灰皿に並ぶことがある、ミスって湯飲みの横の灰皿に茶を注ぐことがある。このようなことから大黒柱が耄碌してきているのがわかる。

 息子の修一が最低なことに可憐な嫁菊子を持ちながらどこぞの戦争未亡人と不倫している。家族内にそれは知れていることなのに皆即解決に乗り出さず、様子見にしてずるずると問題を先伸ばすことになる。その間も皆修一に遠慮して直球でその話題をガッツリ振ることはしない。そういう事情の下で上っ面はあくまで穏やかで口論や喧嘩もせずで見ていて気持ちの悪い均衡の保ち方をしている。そこに家庭の不和が明らかとなっているのに妻の菊子はどこまでも夫を許すことをして拒絶をしない、親の信吾はズバッとキツイことを言ってやれと思うのだがなかなか動かずでこの修一の不貞問題にはイライラした。そうこうしているうちに相手の未亡人に子供ができたり大事となった。

 出戻った信吾の娘房子の夫が後に心中を謀るが失敗する。信吾の娘の方でも離婚という大きい問題が浮き上がる。オマケに孫が二人も住み着けば扶養するのも大変なことであるので問題だらけの家となった。

 信吾は決して冷淡で無責任な男ではない。それでも息子の素行改善、菊子の堕胎、娘房子の離婚、房子の夫の自殺未遂などを大事になる前に助けられなかった。それを反省しながら何も解決できない自分を歯がゆく思うシーンは胸に痛む。

 うまくやっているように見える各家庭の奥底にも様々な家族問題があること、またそれを大の大人によってでも解決することは困難であることわかった。

 作品中で最も印象的なのは信吾と菊子とのやり取りである。この二人の会話シーンがとても多い。信吾がかなり菊子のことを可愛がっているのにはほのぼのとする。素直にこういう関係いいなと思う。菊子が魅力タップリな可愛い女に描かれていて本作ベストヒロイン。保子の安定のババア感も安心感があって良い。

 夫が他所で悪さをしていても義父がこうして可愛がってくれるから菊子の精神も安定を保っているのだと思う。純情可憐で美しい若い娘の菊子を通して信吾は若い頃の保子の姉への恋慕の念を呼び起こしているようだ。爺さんの青春という感じがしてこの二人のやり取りを見ていると片付いていない家庭をひとまず問題を置いといて平和を感じることが出来る。

 川端康成の人物の心理描写の腕の冴えたるものを感じた一作であった。人物は魅力的で活き活きと描かれていて見た目もこんなのだろうなと頭に思い描ける程であった。

 主な場面を家庭内、信吾の会社などの数箇所の狭い範囲に絞った話であっても、その中で生きる人物達の描き方がよいために密な内容の話であった。また家族に詳しくないので単純に家族ってこういう感じのものかと知れた作品であった。