なんとも奇怪にして淫猥さを感じるインパクトのあるタイトルだ。まずタイトルが好きなんだよね。
20歳にしてこの世を去った夭折の作家レイモン・ラディゲによる作品である。書いたのは18歳の頃であるという。18歳でここまで物事の心理を捕らえた考えと表現が出来、そして恋愛経験も積んでいるとなると早熟な若者であると思われる。
私はともかくとして18の頃の私の学友などは、てんで洟垂れのタコ野郎共ばかりで難しいことを考えたり自己分析をしたりなんてことのできる者はいなかった。というか、まだ虫を取っていたよ。
本作は第一次世界大戦中のフランスを舞台にして主人公の15歳の少年「僕」と19歳の人妻「マルト」との禁断の愛を綴る物語である。作者ラディゲの実体験を元ネタにしているのでいくらか自叙伝の要素を含んでいる。本も書けて女もいける、ラディゲもやり手だね。
序盤で意味深極まりない例え話がでてくる。
ガラスケース越しのチーズを指を加えて見ているネズミがいる。ガラスがある以上はネズミごときがどうやってもチーズは手に入れられない。しかし、事故でガラスが割れたらネズミはコイツは良いチャンスだと手を伸ばしてチーズをかっさらうという内容の話であった。なんだかその画が頭に思い浮かんでちょっと可愛いなと思ってしまった。
これが、物語の先行きを暗示している。
主人公の僕はマルトに出会ってからマルトのことを気に入るが、マルトには婚約者のジョージがいる。これが先の例え話のガラスケースと捕らえられる。そういう事情なので僕がどうこうしようが結果マルトはジョージの嫁になってしまう。そこへ第一次世界大戦という大事故が起き、ジョージは兵隊として戦地へ赴き、マルトは1人自宅で夫の留守を勤める。「僕」は夫ジョージの不在をいい事にマルトの家に上がりこみ人妻である彼女と肉体関係を結んでしまう。
「僕」は戦争という事件をチャンスにマルトを手に入れたわけだ。ネズミの話と合致する。
大人が戦地で命がけの仕事をしている間に不謹慎極まりないし、夫ジョージのことを思うと気の毒で仕方ない。
戦争という狂気が支配する時代にこそ生まれた禁断の愛といえるのかもしれない。愛は生まれるも消滅するも偶発的なモノであるので一体どうなるかわからないものだ。
「僕」がマルトの女友達にも手を出すのはどうかと思ったけどね。しかもそれをデザートが欲しい感覚と一緒であって真の愛ではないみたいな考察をしていた。こういうわけで若さの中に飼う内なる獣を飼いならし制御することは難しいということだ。
主人公「僕」の思い出の話の中にご近所さん宅のお手伝いさんが戦争で気が狂って家の屋根から飛び降りるという事件があった。幼い「僕」はその狂気立ち込める現場を目撃して恐怖したのと共に妙に惹きつけられる魅力を感じその場を離れずことの成り行きを見たいとねばった。この「僕」が狂気の中にも何かしらの魅力を見たのにはどうゆうわけか共感できた。戦争を行うというのがいかに異常事態であるかが伺えるシーンだった。
学業を疎かにし親を欺き淫蕩生活に耽った若者の話といえばそれまでであるが、この恋愛がなかなかどうして美しく情熱的なものにも感じられるのだ。つまり悪くない。
例え不倫話でも人間心理、恋愛心理を鮮やかに描いているので不快感はない。
「ゴリオ爺さん」「椿姫」などフランスの話は、一般的に見て不貞を働くと捕らえられる恋愛話が多いが、それらは人間心理を紐解く文学として描かれているから不快にならない。
まあ、元来私という人間はアブノーマルを好むので不倫ものを楽しむ癖があるのだけれどね。
とにかく、恋愛は人を燃え上がらせ輝かせる素敵なことであるといえる。
私は肉体の悪魔とは上手に仲良く付き合っています。