こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

高潔な精神がカムバックする「復活」

f:id:koshinori:20170703084918p:plain

 

 「復活」はロシアの文豪トルストイによって書かれた長編小説である。

 1899年から雑誌連載された。ノストラダムスの大予言がどうのこうのと騒いでいた時より100年も前に書かれていた物語と想うと、クソ古いとしか言えない。

 

内容

 主人公青年のドミートリイ・イワーノヴィチ・ネフリュードフ公爵は、とある民事裁判に陪審員として参加する。

 そこでかつて自分が犯して捨てた女性であるカチューシャを目にする。しかも被告人の一人してである。元々はネフリュードフのおばさんの家で下女をしていたカチューシャだが、ネフリュードフと別れてからは運命が大きく変わって娼婦へと身を落とす。その結果、殺人事件の面倒に巻き込まれることとなった。

 カチューシャには殺意はなく、利用されて巻き込まれたわけなので、罰を受けたとしても軽いもので済むはずだった。しかし、裁判をやる側が怠慢と奢りからポカをやり、カチューシャはありえない程の重い罰である徒刑の宣告を受ける。

 カチューシャが裁判なんかに立ち会うこととなったきっかけは、自分の堕落的行為にある。そう想ったネフリュードフはカチューシャの恩赦を求めてあっちへこっちへと奔走する。しかしことは上手くはいかず、遂にはカチューシャのシベリア徒刑の旅に同行することとなる。

 カチューシャのために奔走する中で、ネフリュードフはそれまでの精神的に堕落した自分にバイバイし、高潔なる精神を持つ青年へと精神の復活を果たしていく。その時彼は、社会悪を暴き、世の不平等についても突き詰めていくのである。

 作者トルストイの人間的精神研究が見られる力強い一作である。

 

感想

 ネフリュードフは元々は心根の良い少年であったのだが、戦争で兵士になったことでそれが一転する。

 戦争には行ったことないし、誰が命令しても生涯において絶対に参加する気はないから実体験としては知らないが、この物語を読むにどうやら「軍」という機関はその組織構造的に属する人間の精神を卑しめるものであるらしい。

 ネフリュードフは兵士になってから、自分の思想を信じることをやめ、周りの人間達が生む流れのままに人生を過ごすことになる。コレ即ち精神の堕落なワケである。

 移りゆくネフリュードフの精神の成長と変化という、目には見えない状況をかなり噛み砕いて文字に現していると想う。

 

 ネフリュードフはカチューシャの恩赦のために奔走する中で、裁判所の、政府の、もっと広く言うと社会の悪なる部分を見ることになる。

 裁判なんてのはやる連中の都合の良いようにやるのだから、そうなると法律の存在の意味は何なのかとネフリュードフが自問するのは深い話だと想う。

 社会を懐疑的に捕らえるようになったネフリュードフは、下手をすると犯罪者として捕まった者の方が見識が高く、高潔な魂を持った人間ではないかと思い始める。

 そうなると捕まっていないだけで、堕落しきったクソ人間が社会にはたくさんいると分かってくる。社会ってのはある程度は汚れているとわかる作品であった。

 

 そもそも人ごときが人を裁くなんてこと自体がおこがましく愚かなことと言ってる場面があるので、この本は事の本質を突いている。

 確かに裁判官みたいな連中は、全員が事件の当事者に当てはまらない部外者である。それが証拠がどうのこうのと言ったところで、真実を知るのは殺した者と殺された者のみ。よくよく考えると、あとは理屈でもって納得できる案を出して、自分達で納得がいけば自己満足として片付けられる。そんなのだから誤審というものが発生する。

 

 個人的にこれは物事の本質を突いた心に響くセリフだと想ったものがある。

「誰を罰して誰を許すかということは、神様だけがご存じでわれわれには分かりゃしないのさ」

 これである。

 このセリフはネフリュードフがカチューシャのシベリア徒刑に同行したその道中で出会った爺さんが言ったセリフである。この爺さんは他にも権力や宗教には全く忖度のない自分の信じる思想を口にする。これらがいずれも痛快で印象的なものだった。

 

 カチューシャが捕まるまでの人生が既に激動な内容であった。

 描写からしてカチューシャはイケてる女で、おっぱいが大きいとされる。

 平和な家庭の出ではない彼女は、あちこちげ下女をするが、男関係の問題で首になるパターンを重ねている。それも向こうの家のものから手をだして来ての巻き込み事故であるから可哀想。徒刑囚となった後でも、病院で看護師として労働させられるが、その時も男性スタッフに言い寄られ、それをまた男を誘惑しているみたいに上の者に悪く言われて首になっている。

 カチューシャがとにかく男にモテる、ものすごいフェロモンを出しているのかもしれない。

 

 物語の重要な要素は、ネフリュードが堕落から開放され、その精神が復活していくのを描くのと、ネフリュードフとカチューシャの愛のやり取りにある。しかし後者の方はおまけみたいなもので、結果的にはカチューシャは政治犯のシモンソンについて徒刑囚として旅立っていく。

 ネフリュードフがカチューシャを精神的には救ってやることが出来たのかどうかと言うと微妙なところではある。そこの所が決定打に欠ける、ちょっと寂しいエンドとなった。

 

 とにかく言ってることが深い、ボケ~と生きていれば生涯考えることもないようなレベルの高い理解を行っている本であった。物語ではなく、人間の精神研究として読んでも楽しめると想う。といった見解自体も私の独断によるものなので、読む人によって感じることは様々だろうと想う。

 

 あとはロシアの本を読むといつも想うのだが、ロシア人の名前って本当に覚えにくいから困る。

 

復活 (上巻) (新潮文庫)

復活 (上巻) (新潮文庫)

 
復活〈下〉 (新潮文庫)

復活〈下〉 (新潮文庫)

 

 

 人々よ、復活しなさい。

 

スポンサードリンク