こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

生誕25週年のセガサターンのことを振り返ろう

 最近ヤフーニュース記事でセガサターンが25週年とか言ってたのを目にした。

 私はセガが世に放ったこの名機が大好きなので、この記事を見て色々なことを思い出したのである。

 そんなわけで、我がサターン愛を語ろうと思う。

 

 1994年誕生だから、セガサターンTOKIOと同期だな。うん、素敵。

 

セガサターン本体(グレー)

 

 最終的には任天堂よりセガ派に身の振り方を決めた私だが、始めて遊んだゲームはファミコンだった。一番多く遊んだのはファミコンスーファミのどちらか。ファミコンから始まってwiiまでのゲーム機は大方買って遊んでいる。ただしバーチャルボーイだけはおもちゃ屋の試遊機で遊ぶのみで購入しなかった。3DOだって持ってるんだぜ。

 

 ファミコンスーファミよりあとに出てきたこのセガサターンには私を引きつける要素が色々あった。

 まずはセガサターンのグレーのボディがいいよね。

 

 スーファミを遊んだ後にセガサターンをやってびっくりだったのは、普通に声が出ること。スーファミでも声が出るゲームは少しあったが、容量の問題で音質が悪い上にマジで短いものだった。それにセガサターンではアニメーションが入り、実写の動画再生もあったので、スーファミにはない興奮の演出を楽しむことが出来た。

 

 それまでに慣れ親しんだカセットゲームと比べて、ディスクを起動させるサターンのゲームは色々と仕様が違って衝撃的だったんだなぁ。

 

 サターンといえば思い出す特殊な仕掛けが、セーブデータは本体にリチウム電池をはめて管理するってやつ。スーファミと違ってソフトではなくハードに記憶させる方法はすごいが、リチウム電池がいる。電池は100均で買ったな~。パワーメモリーも後から買ったわい。

 

 セガサターン版の「ときめきメモリアル」はスーファミ版と違って普通に声が出ているので感動した。

 我が家ではお兄ちゃんも妹もこれをプレイしている。伝説のゲームときメモは男女選ばず愛されたってわけだ。私よりも妹が「声が出る」ということに感動してやりこんでたな。

 ちなみに、私が人生で始めて聴いたドラマCDはこのときめきメモリアルであった。

 

 我が家のゲーム事情は、新しいハードが出た時に旧作になったハードを買うというものであった。つまりスーファミが出てから市場的にお払い箱になったファミコンを買ったし、スーファミは次のロクヨンが出てから買った。いつだって流行に遅れている。どれこもこれも定価の半額以下の中古を買っていた。

 そんなわけなので、サターンで遊んだのも相当遅れてからだった。私が遊んでいたのは発売してから10年くらい経ってから。もうドリキャスの生産も終わっていたくらいだった。そこだけ見れば自分はかなり時代遅れな人間だなって思える。

 やりたいけど安くなるまで待つ。そうしている内に、私は人よりもワンランク上を行く我慢強さ覚えた。

 

 私のお家は商家だったわけで、何をどう見ても周りの家よりも裕福な小金持ちだった。しかし、金を持っているのは大人だけであって、私が自由に出来る金はほぼほぼ無かった。私の意志で新品ゲームなど買えるはずがない。そして親は新品の最新ゲーム機を子供に与えるなんていう教育方針には一切触れなかった。そんなわけで、私は最も元気だった時期のセガサターンを知らない。私がセガサターンと触れ合ったのは、セガサターンがもはや過去の遺産となってからの話。

 

 温故知新。私がサターンで遊ぶのは、古き良き時代を知るための学びとなっていた。

 

 ここからは今でも覚えているサターンソフトを丸っと振り返ろうと思う。

 

 

 サターンの特徴は、アドベンチャーやノベルスタイプのゲームに面白いものが多かったこと。こっちの分野はニッチなのかもしれないけど、そもそも私は文学青年なんてのを長いことやっていたから読み物ゲームと相性が良かった。

 先に遊んだスーファミソフトの「かまいたちの夜」にドハマリしたので、あんな感じの文字だらけのゲームを求めていた。

 

 

 サターンで一番最初にハマったのが「EVE burst error

 

Eve Burst Error (輸入版)

 

 これは男女二人の主人公を切り替えてプレイし、一つの事件の解決に迫るという内容の推理系アドベンチャーゲームだった。これがすごいワクワクして楽しかった。

 乱歩とかドイルが好きなもんで、ミステリーものってだけでワクワクすっぞ。

 

 一作目のこれにハマって、その後出た「EVE 」シリーズも全部やった。

 

 男主人公の小次郎を子安武人が演じていて、結構なはまり役だった。男主人公の前髪が長くて目が見ないって設定はアダルトゲームらしい。

 ヒロインも皆可愛くて良いキャラしてたんだよな。声優も良かった。小次郎の元カノの桂木弥生っていうヘビースモーカーのお姉さんが良かった。弥生はお亡くなりになられた本多知恵子さんが演じていたんだよな。もう古いゲームだから出演者の何人かはお亡くなりになっている。名作も歳を取るわなって思う。

 

 確かディスクが三枚か四枚組くらいで途中入れ替えが面倒だった。サターン複数ディスクゲームのイライラする点は、昔行った場所にまた戻ると前のディスクに入れ替えるパターンもあること。ディスクのナンバーが戻るパターンもたまにあるのか~と思った。それにしても、初めてのディスク交換の時には「途中で蓋開けて大丈夫?本当に消えない?」とか思ってビビったのは良く覚えている。カセットソフトは入れ替えなんて無いからな。

 

 元は古の名機「PC-98」とかで出たパソコンアダルトゲームで、その後サターンに移植したっていうパターンのゲームが結構あったのがサターンの特徴的な点だった。「EVE」もそう。

 

 そんな感じでパソコンゲームから降りてきた中で最強だったのが、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」だった。これはマジでハマった。40時間くらい遊んでいたと思う。

この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO

 このゲームは、カニバリズムと近親相姦の二つの禁断要素を盛り込んだ異色作だった。他にも宗教や哲学のあれこれを盛り込んでいて、色々混ざった末によく出来た壮大な話になっていたと思う。後半では異世界冒険みたいなこともしてるしで色々すごかった。 

 

 並行世界を旅するっていうSF的要素があり、物語はいくつものルートに分岐する。プレイヤーにとって分岐点を分かりやすくする独自のシステムが組み込まれていて何か新しいと思った。

  

 主人公のお父さんが大学の先生で、二人目の嫁にはかつての教え子を迎え入れる。主人公はそんな若い義理の母に「はぁはぁ」言いながらの悩ましい青春を送ることになる。オイディプス王物語を読んでいたので、この手の流れには耐性があったが、主人公の気持ちに感情移入するとこっちもドキドキしたぜ。義理の母を演じたのが井上喜久子姉さんだったから余計に興奮したぜ。

 ボディコンで学校に来るエッチな女教師がいて、主人公がその先生とロッカーでアレするって展開が刺激的だったので覚えている。

 

 最近では絵も声優も一新したリメイクバージョンが発売されている。こちらでは若手声優の大西沙織内田真礼が出ている。かつてやったアダルトゲームに好きな声優達が出て復活するとか何だか感慨深いものがある。

 

 他に遊んだアドベンチャーゲームで面白かったのは「黒の断章」「慟哭 そして…」「野々村病院の人々」「DESIRE」などである。上記に上げたソフトは全部18禁ソフトである。楽しくてクリアなゲームはスーファミで慣れているので、サターンではなるたけ刺激的なゲームがしたいって思っていたんだよな。18禁のゲームはパッケージの下の方に黄色か赤の枠に囲まれて表記されていたはず。


 他の18禁ものと言えば、勝ったら女子の服を脱がすことができる麻雀ゲームがいくつかあった。これには実写のもあったし、アニメのもあった。中古で安いのを買って暇潰しに遊んだのだが、私は麻雀を全く知らない。知らないけど、100戦くらいしてれば適当な手を打っても勝てるだろう、脱がせれるだろうと思ってプレイした。しかし、200回やっても適当にやる以上、麻雀では勝てない。遂には何も見れずに電源を切ることとなった。麻雀ゲームにはそんな残念な想い出がある。

 

 このあたりのゲームを部屋でプレイしていれば、お兄ちゃんに「こいつエロゲーしとるやんけ」って言われたもんだな。家の兄弟は文字を目で追う系のゲームが全くダメで、兄弟の中でも読み物ゲームをやるのは私だけだった。しかしお兄ちゃんはどこで覚えたか知らないが、多くのカードゲーム、ポンジャン、将棋、もちろん麻雀を含むテーブルゲームに強かった。そんなわけで、脱がす系麻雀ゲームは後に彼の力を借りて再度アタックをかけたことがある。まぁ支払ったソフト代は遊べたはず。

 

 

 もう一つ強い想い出があるソフトが「」というサウンドノベルゲーム。これはハマった。あの「かまいたちの夜」と同じ会社が放ったガチな神ゲーである。

 

街 (サウンドノベル)

 

 舞台は渋谷の街。主人公は8人いて、8人8様のストーリーが展開する。それぞれの主人公のストーリーは独立しているようで、実は関わりがあるというマルチシステムってやつが導入された。

 こっちの主人公がこういう行動を取らないと、別の主人公の物語が進まないということがあり、互いが知らない内に互いの物語を開く鍵となっている。

 世の中上手く出来ていると思わす憎いストーリー構成がなされていて、8つのストーリーもそれぞれ読み物として面白い。  

 

 自分のした作業が、巡り巡って会ったこともない誰かの助けとなっていることがある。それは作業をした者、その作業によって助けられた者のどちらも知らないこと。ミスチルの名曲「彩り」の歌詞みたいなことが良く分かるのがこのゲームだった。

 

 8人の主人公は渋谷で過ごし、最後には渋谷の夜に打ち上げられる花火を見て終わる。

 同じ街に腐る程、または実際に腐った奴もいるくらいわんさかと人間がいる。そいつらは皆他人であるが、分からないだけで、その一人ひとりに人生という物語がある。この作品をプレイして思うのは、人の数だけ物語があるってこと。

 ドラマチックで最高のゲームだったぜ。感動した。

 

 ここに上げたゲームはいずれも死ぬまでにはもう一度遊びたい。

 

 あと、このゲームは二度と再びやろうとは想わないが「デスクリムゾン」という稀代のクソゲームがあった。これはあくまで私の所有物だが、プレイした私のお兄ちゃんに「ケツを拭く紙と交換できるっていうんなら、俺は迷わずこいつを差し出す」とまで言わせた問題作である。

 

 たくさん遊んだサターンソフトははっきり言って当たり外れが激しく、まぁ6割位はクソゲーだったと思う。全部で1000本ちょっと発売されたサターンソフトだが、個人的に見て打率が低かったと思う。

 

 そんな感じで良きも悪きも含めて想い出たっぷりなのがセガサターンであった。

 

 我が青春に華を添えてくれてありがとうセガサターン。実家の押入れの中に三台置いているので、壊れてなかったらいつかまた遊びたい。

 

 25週年おめでとう。僕たちセガっ子は君の勇姿を忘れない。

 

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