こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

なぜ異世界作品がこんなに増えたのか

  私はアニメが大好き。家のテレビに映るものであればなるたけ何でも見るようにしている。

 で、昨今のアニメを見ていて想うことがある。それというのが異世界もの多くね?ということ。

 昔からなかったジャンルではないのだが、ここ最近はほぼ毎クールごとに新しい異世界アニメが放送している。ジャンルのみならず、中身も結構似たり寄ったりの物が多い気がする。

 そこで私は更に想う。何でこの風潮が確立したのかと。

 そんな流れで考えたことを以下にまとめようと想う。

 

 異世界ものってのはその名の通り現実世界を離れた異世界に行って冒険すること。アニメというそもそも現実でない世界の人もまた現実世界に飽き飽きしているのか、二重のフィクションで異世界に飛んでいる。

 そんな異世界ものの特徴には、主人公が特訓とか無しに最初から強い。ザコでもとんでもない速さで強くなる。なのでサクセスストーリー的な厚みはちょっぴり薄め。あとは主人公が男女問わずからモテて楽にハーレムモードに入れるなどが上げられる。

 振り返ってみるとこんな感じで中二臭く、いかにもチェリーが考えそうな都合の良い展開がほとんど。

 

 色々考えた結果、この世に疲れた人の拠り所として求められるのが異世界なのだと想った。

 多くの異世界アニメの原作はラノベとかいうもの。実は私、ラノベ原作アニメを腐る程見ておきながらラノベを一度も読んだことがない。このラノベが異世界アニメ繁栄の立役者らしいぜ。

 幼い子どもが見て喜ぶ冒険ものなら原作はもっと低年齢もののメディアを使うと思う。でもラノベ、つまりには小説なのである程度は大きくなったお友達が読むはず。いい大人の視聴者も多いはずだ。そんな年になった者なら、社会に出て仕事や人間関係に疲れることも経験しているはず。その中にはいわゆるリア充の生活を勝ち取れなかった者が少なくないはず。そういう人達こそ陶酔出来る世界観がこの異世界作品なのではなかろうか。

 作者自身にもその手の望みがあるのかもしれないし、そうでなくてもこういう願望を持っている読者が多いということはねらいに入れているのだろうと思う。

 

 実際にうだつの上がらないリーマン、待ったなしのニートやヒッキーなんかが異世界に迷い込んだり、死んでから転生したという作品例もある。

 数年前に放送した「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」では、社員が過重労働(デスマーチ)をする中で異世界に迷い込むという、まさにタイトル通りの物語展開がなされる。この作品では今流行りの「ブラック企業」から脱却したい者の願望を作品導入部に落とし込んでいる。

 こんな感じで図ってか図らずか、我々視聴者の現実世界生活とまったく関係のない異世界作品には人の願望が反映されている。それだけに共感を生みやすい。

 

 上述したことに関してはもちろん個人的解釈なので本当のところは「知らんけど」の一言で片付けられる。

 こんな穿ったものの見方をせずとも、単純に冒険ものとして心弾ませて楽しむのが健全だと思う。

 

 こうして色んなことを思っているが、かく言う私も毎クールのように放送されている異世界アニメを楽しんで見ている。私は単純に絵が動くこと(これをアニメーションという)と人が考えた創作話を見るのが好きだ。それから耳が尖ったナイスバディのエルフとかには会ってみたい願望もしっかり持っている。だから異世界ファンタジーなんかはツボだ。

 

 確かに異世界作品には似たようなものがあるが、それぞれは似て非なるもの。クソ作品も確かにある。しかし、それぞれの作品の作者は、己が産んだ唯一の産物として世に放っているはずだから軽んじてはいけない。

 

 

 これからも現実世界で異世界を夢見て人生を楽しむことにするぜ。

 

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