こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

こしのり漫遊記 その27「ブログ始めて一年過ぎたので、ここらで一旦人生振り返り」

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 そういえば、ブログスタートして一年が過ぎている。

 こういう何かの節目には色々思い返しがち。

 この一年間はそれはそれは面白おかしく、まさに光のごとき速さで過ぎていった。

 この調子だと棺桶行きまで100年かかったとしても、入るその瞬間には「人生マジ一瞬だった」と思うのだろう。

 こんな感じで時間が過ぎるのが速く感じてならない。すぐに時間が過ぎるというのが私の少ない悩みの一つである。

 

 ブログを始めた理由は本当に何でもなかった。何かわからない内に「はてなぶろぐ」さんに登録してキーボードを小気味良く叩いていた。そして今日に至る。楽しかった。

 

 ブログ一年をきっかけにして、この一年よりも前になるだいたい5年前に私が一人暮らしをスタートしたときのことを思い出した。それまで割りと平坦で平和そのものだった私の人生の大きな分岐点が一人暮らしスタートにあった。

 

 私は小金持ちの商人の子である。大なり小なり「金持ち」と付くからにはやはりそこらの家よりも金を持っていた。これは自慢とかではなくただの事実である。それに金の力を持つのは我が家の大人のみで、彼らはそこのところの権力を一切私に与えなかった。知人達は金持ちの出の割りにこじんまりとしている私の様を見て意外に思ったとのことである。なんたって私の財布にはほぼ金などなかったからね。

 

 自分で自由に使える金は幼い頃から持っていなかったが、食事などの生活面ではかなり裕福だったと思う。とりあえず、生活全般で不満に思ったことは何もない実家生活だった。

 

 そんな感じで、ものすごく贅沢をするわけでもなく、かといって全く貧乏ではなかったそこそこの暮らしの中でぬくぬくと育っていった私はやはり苦労知らずの世間知らずであった。

 

 そんな状態の私がある日突然、父親の命によって家を追い出された。これぞまさに青天の霹靂で、予想もしなければどうしてそうなったのかさっぱり分からなかった。

 

 この父親と言うのが、身内の贔屓目を発動させたところで「結構なクソ野郎」の評価を脱しない俗物なのだが、どういう訳か私は嫌いではなかった。

 そういう愚かさも含めて人間だ!

 という天上から見下ろす神様的な寛大な了見でもって彼のことは見ていた。それにやっぱり親だしね。あんまりキツイことは言えないぜ。小さい頃に遊んでくれて、今まで飯を食わせてもらった、それ以外であれこれ望むのも贅沢ってものだ。そんな感じで私の人間的趣味では好感の少ない人ではあったが、最低限の親の務めは果たしていたので親としては及第点な父親であった。

 そんな彼は仕事が速く、私が何をするでもなく、まるっと手はずを整え、私は一週間もしない内に知らない家に引っ越すことになった。我が父親ながら、これと決めたら即実行のスタイルは見習おうとは思わないが、会得すればきっとお得な能力だと思った。こういう時の彼は「るろうに剣心」の斎藤一を彷彿とさせる。

 

 父は私のように口数が多くなければ、そもそも口語の使用を得意としなかったり面倒がったりするので私に十分な説明をしなかった。

 なんだろうか、あの時には飼育して大きくなった家畜を屠殺場に送るという流れを思い出した。それから「ドナドナ」という殺し屋だって耳にすればきっと悲しくなる謎の魔法がかかった悲しい歌を思い出した。

 私が越した先はまあまま古びたアパート、部屋の大きさは四畳半であった。神話体系かなとも思ったが、そんなにのんびりボケをかましている場合ではなかった。

 知らなかったけど、越してきたばかりの家って電気や水がきていない。

 あの時には「これ、やばいのでは?」と口から漏れた。

 

 水と電気は会社に電話したら間もなく開通した。

 この一人暮らしというのがなかなかのサバイバルで、とにかく初心者の私は混乱するばかりであった。なんたって私はいやしくも商人のお坊ちゃま、それまで家事や炊事は祖母や母に頼りっきりで何の能力もない。飼っているハムスターを野に放てば、3日と生きてゆけないと聞いたことがある。当時の私はハムスターと一緒だと思った。

 しかし人間というのは、目の前の問題を悩んで考えて解決していく総合的学習を行う生き物である。そこの所がネズミなんかとは訳が違う。

 

 父親はとりあえず2万円だけ置いて遠く離れた我が生家へと帰って行った。

 私は買い物なんかも自分でしたことがないので、一般的な物価というのがまるでわかっていなかった。これで近くの店で飯を買えということなのでスーパーに行ってみた。そして驚くのが物が高いこと。私は実家で、果物やスイーツなんかは糖分で歯が溶けるのでないかというくらいに喰いまくっていた。スーパーでお菓子や果物の値を見ると意外にも高く、こんなものをあれだけ毎日食っていたのか、ならば私をどこまでも甘やかして物を与えた祖母に感謝だと思った。

 

この時には

 「アァ……林檎やマスカットでこんなにバカ高いのかぁ」

 「パイの実ってこれっぽちの量でこんなにするのかぁ」

 と驚愕するばかりで、恐らく何を見ても良と質と値段に納得するものはなかったと思う。それまでタダで飲み食いをしていた者からすると、有料のものは何でも高額に思えた。

 

 私は生まれが裕福な割りに、金が一気に減るのを恐れるため、とにかくチマチマとしか金を使わない性分であった。

 色々節約して手持ちの2万円で三ヶ月半飯を食った。

 

 外に出て見れば分かるもので、キャベツとレタスのきれっぱしは無料で持って帰れる。今は廃止されたが、当時の最寄のパン屋では食パンの耳を無料でくれたのでそれも利用した。実家で豪快に飲み食いしていた私が、小学校のウサギとほぼ一緒の飯を食うようになったのである。 私は雑食からベジタリアンになっていた。肉は高いからね。

 たまに泣いたりもしていた。

 この時私は思ったのである。地震、雷、火事、オヤジと怖い物は色々あるが、今は「飢え」が一番怖いと。

 

 その後の食費は自分で用意するようになった。部活で更正した不良が言いそうなことだが、自分で稼いで食う飯は美味い。

 

 家を追い出されて半月ほどして母が様子を見に来たのだが、その段階で私は激ヤセしていたらしい。これが自分ではよく分からない。その後も会う人会う人に「痩せたな」「頬がこけている」など指摘され、従兄弟の間では「あいつは近いうちに死ぬ」とまで囁かれていた。一応健康診断を毎年受けているが何も問題はない。今のところは惑星でも落ちてこない限り私が死ぬとは思えない。

 

 

 個人としては情けない限りなのだが、「あんなに生活能力がなく、何も訓練を受けていない者を急に家から出したのはやり過ぎで酷なことだ」といった内容の意見が親戚連中から父親の元へ届いた。父親としては、自分のことよりも先に子供の非力ぷりを指摘されているので情けないと思ったことであろう。まぁ何もウソはないから言い返せないけどね。

 

 そんな一人暮らしスタートからだいたい5年が過ぎて今の私はこうしてブログなんて描けるくらいに生活に余裕が出てきた。これが一人暮らし一年目ならこんなことをしている余裕なんて全くなかったであろう。なんせ喰うのに必死だったからな。

 今ではすっかり生活のやりくりを覚え、飯も自分で作るし、買い物もなるたけ安く上がるように上手にするようになった。

 

 最初はマジで死ぬかと思ったけど今ではこの暮らしが楽しくてならない。もうこうなると逆に実家に帰りたくない。一人に慣れたら、集団での生活が窮屈でならないのだ。実家にはたまに帰るが、勝手が違うのでイラっとすることもあったりする。

 当時は父親のことを「コイツは遠回しな人殺しか!」と思ったが、そんな彼の判断が今では良きものだったと思える。

 ずっといい子だったし、全くこれっぽっちも素行に問題がなかった私がどうして急に追い出されたのか今でも謎なのだが、結果オーライで今はとても幸せである。