こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

あれから10年 オタク的観点で振り返る3.11

 あの東日本大震災からから10年が経った。最近はあちこちでこの話題を耳にする。そうなれば私も自然と10年前を思い出してしまう。

 本日から遡って10年間の記憶なら割と鮮明に覚えている。しかしもう10年経ったら、そこから20年を振り返ってあれこれ思い出すのは困難かもしれない。今の記憶は今なら新鮮だが、その後はどうなるか分からない。朽ちて行く前のしっかり覚えている段階で当時を振り返ろうと思う。

 

 と言っても、当時私は現地暮らしではなかったので、直接的な被害は受けていない。なのでこの震災事態を体感した想い出として話せることはない。しかし現地にいなかったとはいえ、あれだけのレベルの騒ぎがあれば、日本の、いや世界のどこにいても少しの影響は出たはず。影響がないにしろ、耳にして何かを思ったはず。現地住まいでなかったこの私にだって、あの災害のことは深く記憶に刻まれることになった。10年も前の事といえど、話に聴くだけ、目にするだけでも十分恐怖の対象となった異質な事件だったと記憶している。

 

変わるテレビ事情

 最初に明らかにしておくと、3.11に関して私が強く思い出す記憶というのは、現地で大変な想いをした人々からすれば不謹慎であり、大変な時に平和ボケした内容にも取れるものかもしれない。この私自身でもそれは思う。しかし、内容が不謹慎でも不真面目でも、私の記憶には真実しかない。

 

 この事件で日本の皆さんが共有した異常事態というのが、テレビがニュース一色に染まったことだと思う。

 私は当時から今日までテレビ大好き人間なので、新聞の番組表を無視しまくった震災報道一色のチャンネルに大変萎えた。現地の民の生活を思えば、そもそも電気が通り、電波受信が可能な装置がある環境にいるだけで良いだろうって話だろう。だが、やはりテレビ好きとして趣味を邪魔する要素になったことは強く記憶に残る。

 こんな時にテレビテレビって言うのも悪い気がするけど、ある人が言うには、親が死んだって腹は減るので飯はいっぱい食えるとのことだ。それに置き換えると、災害で日本が大変でも見たいものは見たい。これもまた、いやこっちこそが真実である。

 アニメや音楽番組が大好きな私にとって、この事件は生活の、中でも趣味を行うことに対して大きく影響した。

 ちょっとの範囲ではないレベルの災害となった中で、楽しいアニメやバラエティは不謹慎ではないかという思考が働いてのことだろう。言動の有無に関して周囲から刺されることに常に注意を向けがちな日本人特有の価値観から、その手の番組は自粛期間に入った。

 この災害を受けて、しばらくアニメなどの放送が飛んだ。HDDに入れている予約録画がほとんど無効になった。

 

当時のMステ

 10年前の3月11日は金曜日だった。私は20時から放送のMステを楽しみに待っていた。で、津波が街を飲み込む映像を親に見せられたのが昼過ぎくらいだったと思う。多くのチャンネルが報道で埋まっていく中、私が最初に思ったのが「晩のMステはどうなるの?」だった。それどころではないだろうと自らツッコミを入れもしたのだが、それでも趣味は趣味でやり抜きたいのもまた人情として当然のこと。

 当日番組はお休みになった。震災後一発目のMステでは、いつものキラキラライトの中でライブすることを自粛し、真っ白のバックでライブをやるという寂しいものになっていた。真っ白バックのステージでMステをやるという異質な光景は記憶に濃く残る。その週は、まだ元気に活動中だったタキツバと後輩のNYCが出て歌っていた。懐かしい。そういえばNYCって解散したのかな?

 

あのCMのこと

 しばらくの間は日本まるごとお葬式テンションだったことを覚えている。テレビにおいてそれが如実に見られた要素として、CMにも異変があったことが上げられる。楽しい映像はCMですら見られなくなった。ここまでやるのかってくらいテレビから娯楽的要素が削ぎ落とされた暗黒の時期があったのだ。

 これを今でも覚えている人間は多いだろう。それと言うのが、さよなライオンが出て来て「ぽぽぽぽーん」を言う謎CMが連発されたことだ。で、CMの最後に「え~し~」を聞きまくる日々が続くのだった。さよなライオンは好きだけど「ぽぽぽぽーん」はいい加減うるせぇとも思った。いや、申し訳ないとは思うけど、マジでしつこいくらいに流れていたから、うるせぇと思わなかったと言えば大嘘つきになる。

 可愛らしいイラストのお友達が登場して、良いことを言う内容のCMだったので、テレビが平常運転時に見ればただ心が温まるものとして記憶に残っただろう。だが、コレがテレビで連発されたことが、いかに恐ろしい状況下であったかをセットで記憶していれば、この楽しいCMも一つのトラウマになり得る。

 これらACのCMの厄介なところは、番組録画を行うことで浮き彫りとなった。レコーダーの方で、なぜかコレも一つの番組と捉え、CMスキップを行っても、いちいちACのCMの頭に合うのだ。ACのCMが連続するのに、その頭にチャプターが自動で打たれ、番組のCM明けにすぐに合わせることが出来ない。また悪いとは思うけど、この現象には正直ムカついた。

 

 まどマギの最終回

 当時も私はアニメを楽しんでいた。2011年第1クールアニメの注目どころとなった作品が「魔法少女まどかマギカ」だった。

 このアニメは、最初こそ可愛い魔法少女が萌えと魔法バトルで魅せる従来作品に思えたのだが、実は萌え萌え魔法少女もののガワを被っただけのダーク・ファンタジーだったのである。

 当初誰もが見抜けなかったこのビックリな「騙し」の技法は、並のオタクの度肝を抜いた。そんなことから、ただヒロインが可愛いだけの感想では終わらない話題作となったのだ。

 萌えのガワを被せただけで、その実中身は真っ黒というこの作品のヒットを受け、後には本作を真似た、またはフィーチャーした作風のアニメが連発されるようにもなった。

 アニメ業界に一つのターニング・ポイントを打ち込むことになった稀代の名作まどマギは、あの大震災時に本放送の大詰めを迎えていた。

 

 1月上旬から3月末にかけて放送予定だった1クール作品だった本作の大詰めも大詰めの3月中盤で震災が起き、誰もが気になるオチへと続く後半エピソードの放送が中断してしまった。

 震災は確かに世界を揺るがす大事件であり、その情報を流す報道番組に価値がない訳がない。そしてこんな大変な時期にアニメ放送に待ったをかける日本人特有の精神は理解出来る。そこまで理解していてもなお、私含め日本のオタク達は、まどマギの放送に待ったをかけられたことに怒り、苦しんだのである。

 当時のオタク達の中には「震災のことなんていいから速くまどマギを!」という意見も少なくない数見られた。まぁ気持ちは分かる。

 同じく放送がストップしたアニメ群の中、どうしてまどマギのオチを多くの者が求めたのか。その原因は、本作がオリジナルアニメだったことにある。

 例えアニメが止まっても、どうしても先が気になるなら、金にものを言わせて原作本をチェックすれば良い。だが、まどマギは既出メディアに原作が存在しないオリジナル作品であり、テレビ放送で確認しない限り、先の展開は一生分からない。テレビでしか知れないため、他で調べようがない。なのにテレビで封じ手を打たれた。この状態でフラストレーションが溜まらない方がどうかしている。そんなわけで、ネットでオタク達が荒れたこともあったとかなかったとか聞く。

 

 可愛いマスコットキャラの化けの皮をはがしたキュウベエの今後の出方は?

 敵か味方か、果たして暁美ほむらの真意は?

 そしてなにより我らが主役のまどかの運命は?

 今作の放送までもがマミるのか?

 

 このようなことを思い、まだ分からぬオチを知りたいオタク達の知的好奇心はパンクを迎えつつあった。

 オチを知るのはアニメを作っている側の人間だけである。彼らの頭の中を開きでもしない限り、我々一般人に未来を知る方法はなかった。一部では、主演の悠木碧を捕まえてオチを吐かせようという過激にして変態的な意見も飛び交ったとかなかったとか聞く。ちなみに本作で主演を務めたことにより、悠木碧の名も全国区になった。それまではキルミンずぅの女優くらいにしか認知していなかった。

 

 こういったきついお預け放置プレイを食らった後だったからこそ、やっとまどマギの最終回を見れた時には、胸に込み上げる熱い何かを感じたものだ。あれをきっと感動と呼ぶのだろう。

 

 そんなこんなの色んな想いが詰まった名作アニメもすっかり10年前の旧作になってしまった。まどかなんてまだまだ新作くらいに思っていたが、もう10年前の作品か。

 景気の良いスタートにはならなかった2011年は、年間を通して名作が多々産まれたアニメ豊作年になった。

 

L字の呪い

 これは以前からもあったのかどうか知らないが、とりあえずL字放送を知ったのはこの震災以降のことである。

 楽しい番組が再開しても、番組にL字のお知らせ枠が入ってとにかく画面を見づらくするアレが散見されるようになった。

 これも大事な情報を発信するコーナーなんだろうけど、番組を写す画面が小さくなって見づらい。確実にイラつく。

 番組事態とは当然関係のない情報で画面を埋めるため、言っちゃ悪いが、番組に失礼とも思える特殊な震災情報の伝え方だった。画面の上にちょっと文字を出す従来のやつならまだ我慢できるが、L字は看過出来ない。

 テレビ画面を拡大する機能があり、L字が消えるようにアップしてもまだ端っこにちょっとL字のお知らせコーナーが映る。番組画面を拡大してもなお映り込むこのイラつくフォーマットはなんとかならんかねと思う。保存したい番組を録画してL字になっていたら大変萎える。


Marching J

 多くの人が普通の生活を奪われた時に「良かったこと」というのも憚れるが、それでもただ悪かっただけで終わってはあんまりである。この事件を受けた上で良かったこともあったとすれば、震災支援プロジェクトの「Marching J」が見れたこと。

 当時稼働中のジャニーズのデビュー組が一堂に会した映像をニュースで見ただけでもアガるものがあった。ここでは当時まだジュニアだったA.B.C-Zの姿も確認出来た。

 こんなことでもなければ、これだけのタレントが集結することもなかっただろう。ジャニーズウォッチャーとしてテンションが上がるプロジェクトだった。

 

 

 

 そんなこんなで、同じ10年でも蘇る記憶は人それぞれである。

 私としては、10年前のことを思えば、こういった記憶が主なものとして蘇る。

 世間的には辛いことがあったが、それでも蘇る想い出がこういったものであるのは幸せなのだろうと思う。

 いつ崩れさるのか分からないからこそ、当たり前の日々が大切であると今一度思うことが出来た。

 

 

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