こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

「小僧の神様・城の崎にて」小説の神様の綴る短編集

f:id:koshinori:20170703084918p:plain

 

 志賀直哉の思い出とえば、高校の国語の教科書で「清兵衛と瓢箪」を読んだことだ。テンポの良い短編でとても好印象なままに記憶に残っている。高校の国語のテストで志賀直哉の作品を2つか3つ挙げよという文学青年の我にはサービスな問題が出題したこともあった。その際に有名だし覚えやすいため「城の崎にて」を記入しそのテストは高得点で突破した。ちなみに、自慢では無いが私は高校の定期考査では全教科において平均点を下回ったことは無い。

 

 しかし、得意げにテストに回答しておきながら実は「城の崎にて」を読んだことが無かったし内容も知らないしなんなら「一体何処だよ?」と疑問に思っていた。自分は人並みに知識量があるはずだと信じているが地理とスポーツには全然興味が無く、それらに関しては知識0とまではいかないが10にも満たないくらいの知識量であるからして城の崎と聞いても風景が全く浮かばない。

 

 似非文学青年ぶった過去を払拭するためにこの度ちゃんと「城の崎にて」を読破しようと思い8月のクソ暑い気温の中、地球環境保持と電気代をケチることを目的にエアコンもつけず畳の上に正座して本作を読んだ。

 本作を読んで「城の崎にて」は兵庫県城崎温泉のお話とわかった。

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

 

 

小僧の神様

 秤屋の小僧の仙吉は番頭達が寿司屋の噂話をするのを聞き、自分も食いに行きたいと思った。いざ、寿司屋に行って見ると値段が高すぎて食えないので諦めて帰っていった。たまたま店に入ってその光景を見ていた貴族院のAという男は後に秤屋で仙吉を見つけて寿司をご馳走してやった。仙吉は自分の願いを見抜いていたAを神様だと思った。

 小僧が寿司をおごられるお話と言えば簡単だが、気になる箇所は寿司を食えなかった仙吉を気の毒に思い寿司をおごったAがその後に「ああ、いい事をした」と晴れ晴れした心持にならずにモヤモヤと考え込み、もしかしたら返って悪いことをしたのではないかと自分の行動を振り返る部分である。

 普通に考えれば仙吉は念願の寿司がたらふく食えて嬉しい。Aも仙吉が喜べば嬉しいではないかとそれだけで終わりそうだがAは悶々と寿司を奢ったことが果たして善行なのかと自らの行いを省みる。単純ではないAという男の、いや人間の複雑極まりない心理を描いていると思う。よかれと思った行為が果たして本当に良いことだったのか後になって疑うことは確かにある。自分の行いが善か悪かと悩む大人のお話であった。実に感慨深い。 

 本作「小僧の神様」が世間で高く評価され、志賀直哉小説の神様の異名を取ったということである。

 

城の崎にて

 「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした」の衝撃体験の告白から本文がスタートする。志賀直哉本人の実体験を元にした作品でマジに電車に跳ねられたということらしい。よくぞ死なずに帰り本作を認めてくれたものだと拍手を贈りたい。

 電車に跳ねられた傷の静養のために訪れた城崎温泉での生活を綴った作品である。

 この作品を読んで思うことは普段は気にも留めないが生物の生も死も生活のそこらに溢れているということであった。

 主人公は城の崎の生活の中で自分の部屋から蜂が元気良く飛んでいるのを確認する。そいつがある時、屋根の上で死んでいるのを発見する。その後雨が降り、雨が止んだ後には屋根には蜂の姿は無い。恐らく雨どいを通り地面へ運ばれたことだろうと推測する。蜂の元気に飛び回る時から死んで地面へ帰るまでの人間にとっては何気ない自然界の動きを生と死とを見つめて描写したのには素晴らしく感動した。

 私はこの蜂の死ぬまでの話から雨の日の小学校の登校時に蛙や蝸牛が道の上にたくさん出て来くるのを思い出した。雨が止んで昼に帰ってくる頃には朝に出会った蛙や蝸牛のいくつかは人か車かに潰されて死んでいる。そして次の日に通れば死骸は無くなっている。本作の蜂の生と死の描写部分はこれと同じようだと思える。考えてみれば自然界のあるあるなのだが、改めて詳しく文章に起こして状況把握をするとどうしてだろうか感慨深いものがある。普段は気づかないこういうことに目が行くのは、静養することで落ち着いて物事を見て理解する心の余裕があるゆえだと思った。

 ある時、イモリを見つけて当てるつもりもなくただ石を投げてみるとたまたま石があたってイモリは死んでしまうというシーンでは、確かにそうして予期せぬ死を招いたことが自分にもあると思い出した。わたしの場合は蛙だったが本当に当てる気も無いし当たるとも思わないのに何となしに投げたら的中して殺してしまった。イモリを殺した主人公と同じように申し訳ないことをしたと思いしばらくそこを動けなかったことがあった。このシーンにはとても共感できる。

 主人公は電車に跳ねられて死にかけたが偶然にも生き延び、そして主人公の思いつきのような行為でヤモリは偶然に死んだ。生き物の寂しさを感じたと作中で語られているがまさにその通りだと思った。生きるも死ぬも寄り添うようにしてこの世にある。生き残るも急に死ぬも偶然の未来なのかもしれないと思うと何だか自分が元気に生きていることが不思議だ。ヤモリのような偶然の死がいつ訪れるともわからないのでそれには恐怖してしまった。生と死、どこまで行っても深いテーマだ。