先日ふと見たニュースで、昔のおもちゃ、カード、ゲームの価値が上がっていることに触れていた。これは興味深い。
本来の価値にやっと人間達が気づいたというなるべくしてそうなった理由が一つ、加えてコロナの巣ごもり需要も手伝って今一度市場値が跳ね上がっているのだとか。巣にこもればあれこれを溜めておきたいもの。オタク系アイテムだって例に漏れない。
自分もあれこれとコレクションしている。自分だけがこっそり楽しみたいこの手のアイテムに皆が注目して値上がりすると今後買い物しづらくなる。その点では良くない話になる。しかし、こうして自分が好きで集めていた物の価値が世間的にも認められればやはり嬉しくもある。
私はこれまで与えられたおもちゃ、カード、ゲームなどは全く売ること無く手元に残している。ガキの頃から、ガキの割には神経質、そして大きくなるともっとそうなった。そんなわけで、手にしたグッズの経年劣化をなるたけ遅らせることに成功している。持っている物の中には状態の良いものが多い。
メディアでは、もはやレトロゲームやカードも骨董品、もっと言えば個人のありがたい資産にもなると言われていた。こういったアイテムは、主にガキ向けに各会社が世に放ったもの。元々はガキのおもちゃだったものが、何年か経てば大人でもビックリな値段になる。何が起きるか分からないものだ。
ポケモンカードの古いものには希少価値が付き始めていると最近知った。これは結構集めていた。自分が持っている物の中にも、中古で数万で売られているカードがあったのには驚いた。言っちゃ悪いが「紙切れだぞ!」というのが最初の感想。
ガキの頃から結構神経質で綺麗好きだった私は、父にカードを覆うフィルムを買ってもらい、特にキラカードにはしっかりそれを被せておいた。傷がない状態なのでこれらはきっと売れる。
そして私が特に本腰を入れて収集しているのがゲーム。
ゲームに関しては、確かにここ一年くらいで一気に色んなものの中古値が上がったなという実感がある。ニュースで聞いたところによると、外国からのコレクターも参戦して在庫の取り合いになっていることも関係して値上がりしているとか。外国人もジャパンのレトロゲームの良さに気づいたか。良いことだが、ライバルが増える分には、ぷよぷよの連鎖のごとく消してしまいたい気持ちにもなる。
ゲームをやるのはもちろん好き。元々はやって楽しいから好きになった。そしてそれがいつしか遊ぶよりも先行して集めるのが好きになった。今ではゲーマーよりコレクターとして生きている自覚の方が強い。なので買ったけどやっていないゲームが300以上ある。多分来世まで待たないとプレイ出来ないものが既に存在している気もする。
時に思うんだよなぁ。本当にそのゲームを遊びたいヤツがいたとして、やりもしないけど所有することに満足を得る私が先にそれを買ってしまったためにそいつが泣くことになる。こうなると、やりもしないのに在庫を枯らしてしまう私は悪なのか……とかなんとかはどうでも良い!私が手に出来ればそれで良いのだ。時に思った事を自分なりに整理した結果がコレ。
そんなこんなで、ゲームで遊ぶのも良いが、ただ集めて並べて眺めて楽しい、気持ち良いとも感じる。なにがどうなってこういう心理になるのか。コレクター心理は自分でも良く分からない。でもやっぱりたくさん集めたのを眺めるだけで気分が良いんだよな。
多分これは遺伝ぽい。歴史を辿ると、父にもそのまた父にも収集癖があった。健康診断で何にも引っかからない私だが、これに関しては一種の病気のようなものなのかもしれない。
ゲームの収集については「お前やりすぎ!」と家族から文句を言われた過去を乗り越えて今がある。
信じたくない事実だが、実際の声を聞いたので信じるしかない。おもちゃなんて、ゲームなんて、カードなんて、興味の無い大人から見ればマジのゴミに過ぎないのだ。
私が大事に集めたお宝達のことを、家族は軽くゴミ扱いしていた。セガサターンソフトの「デスクリムゾン」なんかは、「ガチゴミ」という評価を私のお兄ちゃんから受けていた。そんなガチゴミのデスクリムゾンにも、現在では結構なプレ値がついている。信じられないな。買って遊んでおいてなんだが、内容はゴミだったのにこんな値がつくだなんて。今からこんな値段でこんな物を買うヤツの気が知れないとは思う。まぁコンバット越前をはじめ、ざっくりとゲームの世界観は愛すべきものではあったけども。
他にも駿河屋やブックオフで万越えになっている物を復数守り抜いている。100円で買った物が、何年後かには1万を越える越えるお宝になっていることもある。なにがどう化けるか分からないな。一方では中身も価値も一生ゴミゲーなものもやっぱりある。
安い値で買ったが、その後大事に持っていたら世間的にもお宝認定を受けた。これが嬉しい。今こそ家族に反撃出来る。お前らがゴミと信じてやまないデスクリムゾンとか他のゲームに、今ではすごい価値がついているのだ。これを言ってやって気持ち良くなった。
不遇の時代を乗り越えて来ただけのことはある。やっと冬が終わって楽しい春が来た感じ。こうなると「よくぞゴミとして捨てず、売らず、守り抜いて資産にまで持っていったな」と自分を褒めて愛してしまう。家族からの非難を受けてもコレクションを止めなかった己の鋼の意志を胴上げしてやりたい。
レトロゲームやおもちゃの価値が上がって骨董品の仲間入りを果たした最近の嬉しいニュースを経て、なんか勝った気がしてしょうがない今日この頃である。
物は大事に持っておくとこうして良いこともある。まぁ売る気はさらさらないけど。
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