こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

いつかはきっと来る コレクターがコレクションと向き合う時

 自分の好きなあれこれを集めて並べる。それってとっても楽しい。

 

 ガキの頃は人から貰う、少ないお小遣いで頑張って買うなどしてちょっとずつ集めるしかなかった。それも大きくなってある程度お金が自由になると、それまでかかっていた制限が弱くなり、短いスパンでたくさん集まるようになる。どのコレクションを行うにも真に物を言うのはやはり金だ。

 

 最近流行りのスマホゲー限界突破課金とかのように破産してまで金を積むことはない。基本ビビりゆえ無くなったらどうしようと思いながら、使った分は帳簿にちゃんと計算している。悪く言えばケツの穴が小さいケチ野郎、良く言えば慎重で計画性がある。それが私だった。

 金に不自由するまでコレクションに打ち込むことはない。というか性質上出来ない。

 

 だから自分は大丈夫で何も問題ないと思っていた。がしかし、考えようと思えばそこに考えが及んだであろう問題に今更になって気づく事となった。

 

 そう、それは場所だ。物を得るならまずは金、次に得た物をどこに集めるのかという場所の問題がある。今回は置き場について色々考える事になった。

 

 集めた物はもちろん自分の家に置く。しかし家ってのは大体多くの人間が集合して扱う物なので、一人がたくさんのスペースを使えば文句も入る。

 私は自分の部屋の外にはみ出るようなレベルで物を集めることはなかった。その点はマナー違反がない。

 でもね、ちょっといい加減にしろよっていう量になった。そのように親や家族からのジャッジが下ったのだ。困る。

 

 私の集める物の主役はゲームソフト。これは古今東西何でもだ。後はフィギュア、本、CD、VHS、DVDその他とにかくオタク関係のあれこれ。

 それぞれ小さいものだけど、どこの塵も積もれば山を成す。もうすっかり山なのだ。

 それを見て激しく意見された。

 

 こんなに集めてどうするの? 

 全部遊ぶの?見るの? 

 処分する時が来たら大変過ぎる。

 底が抜けるだろうが!

 などなど……。

 

 コレクターをやるなら相応なスペースを確保すること。それから同居人がいるなら理解を得る事が必須だ。

 

 お金についてのマナーは、厳格過ぎる祖父からミミタコレベルで厳しく言われていたため、ルーズコントロールになることはなかった。しかし物が増えるのに制限をかけることは出来ず、買えば入れ替わりなんて無くただ増えていくのみ。私は売却、廃棄を一切したことが無い。

 

 年長者の父が口を開く。私よりもずっと先行してあの世の門をくぐる事になる人間だ。自身の命の終わりが射程圏内に入ったからこそ、今回のような意見を言ったのだろう。

 こういう物は、当人がたくさん集める分には問題ない。実際私は性格上譲れないことからきっちり整頓している。眺めるには十分綺麗だ。がしかし、当人が死ねば処分が非常に面倒臭い迷惑案件になる。

 自分が就活を始める段に入ったものだから、こちらにもそう意見してきた。

 

 私はまだまだ若てくて元気。就活には早いと言えば早すぎる。がしかし、命に予定調和なんて概念はあって無いようなものである。

 一応健康寿命なんてのがあるが、そういうのを無視して不健康に入って早期段階で死ぬ。後は普通に車に撥ねられてイレギュラーな即死を迎えることだってあり得ないことではない。そうなれば、明日にも残った人間が残った物を処分することになる。

 

 私が集めた物品は、はっきり言って洒落にならん量である。たまに自分で眺めてもゾッとする。なんでこんなに膨らんだのだ。そう自問することもしばしば。でも楽しいから仕方ない。

 

 でもなぁ、これって癖というか、もしかするとその段階を通り越した病気なのかもしれない。明確な辞め時を打つポイントが分かりづらい。

 

 処分か、そうでないにしても未来に向けての扱いについて真剣に考えたらと言われた。

 え~でもそれだったら今まで集めた意味なくない?

 そりゃ売ればマネーのリターンが必ずある。すっかりプレミアになっている物もあるから、購入額よりも多く返ってくる事もあるだろう。でも、頑張って集めたのにどこの誰とも知れんヤツの手に渡るとかなんかムカつくし悲しくなる。金の得は確実にあるだろうけど、目に見えない何かで損する部分が大きい。

 やっぱり手放せないなぁ。人生を賭けて集めた物だから、人が作ったアイテムであってもこうなれば私の人生の一部だ。その考えで悪くないのだと思う。

 これはあの世には持っていけない。それでもあの世の門の1番手前までは持っていこう。可能な範囲まで一緒に歩みたい。

 

 生きている時、死んだ後共に勝手な意見かもしれないが、もう死んだ後の事は知らん。そう開き直って死ぬまでやって行くしかない。

 命ある限り手放したくない。それが第一の意見なのだから、命が無くなった後の世話については手の打ちようがない。

 後の人間に悪いけど、こればかりは私以外が始末の面倒を見ると諦めてもらうしかない。さすがに死んだのなら、物品をどうこうしようが文句は言わない。死んでみないと分からないが、死人に口無しというからな。コレクションにうるさい私もその時にはきっと黙っているだろう。

 それにレトロゲームとかは人気だから業者でも呼べば全部持って帰ってもらえると思うし。案外良い遺産としてウェルカムされるようになるかもしれない。今の内にプレ値付き高額ソフトをリストアップしておくのも良いだろう。

 

 そんなわけで、集めた物の最終的な処分について考えるきっかけとなった。まぁ結局何も変えないスタイルで行くのだから、考えていない場合と対して違いはないのかもしれないけど。

 こういう事ってコレクターならすべからく通る道なんだよな。考えると頭と胸が痛むぜ。

 それでもやんわりと購入制限をかけられたので、それについては確かに考えた方が良いとは思う。買わないなら金が浮いて悪いことはないしね。今後も減らすことはしないが、あまり増やさない方向では考えようと思う。

 

 今後も楽しくオタクライフを謳歌しよう。せっかく生きているなら楽しまないと損とは言わないがお得性は皆無だ。お得感を味わうのが大好きな私は、そこを意識してしっかり生きるのだ。

 

 

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