こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

生誕40周年記念!思い出のファミコンソフトを振り返ろう その8

 考古学者は、遺跡の貝塚から出て来た物によって当時の人間の暮らし、文明がどんなだったかを予想するのだという。なんともロマンのある研究だな。

 

 その感じでいつかの未来になったら、土の中からファミコンが発見されることもあるだろう。

 その時未来人達が「おおっ!ロストテクノロジーとの邂逅!」とか言って震え上がってくれると嬉しい。こんなバカ話もその内には人々のリアルになって行くはず。

 

 そうなるよう一つ手を打っておけるとすれば、私が死んだらファミコンを一緒に埋めることだ。親戚にそのように伝えておこう。まぁ多分22世紀まで私はここにいると思うのだけども。

 

 過去も未来も見つめればワクワク楽しい世界でしかない。

 

 

ヨッシーのクッキー

 ヨッシーが可愛い。ジャケットのクッキーが美味そう。それだけの理由があれば手に取ってしまう。

 白黒でストライプ柄になっているクッキーに妙に心惹かれるものがあった。あれって美味しいよね。

 マリオがクッキーを焼いてるから今回はパティシエ役か。このおっさんは何の仕事でも出来るんだな。医師免許だって持ってるし。ていうかマリオのクッキーでもあるわけだ。

 

 最近のゲームだとパズドラとかがこんな感じじゃなかったかな。まぁやったことないんだけども。落ち物お要素だけでなくスライドパズルみたいな感じだった。

 リアルでもジグソーパズルならイケるけどスライドは得意ではなかった。なのでクッキーが美味そうなのが楽しいばかりでゲームはそこまで捗らなかった。

 

ヨッシーのたまご

 ヨッシーアイランドやマリオワールドをやる前だったので、ヨッシーって卵から孵ったのかと知れたコンテンツ。

 ヨッシーってどんな声なのだろう?当初は可愛いヨッシーについてそんな事を思ったものだ。その答えは、ヨッシーストーリーをやればかなりはっきり見えて来る。

 

 ヨッシーのゲームだけど頑張って卵を扱っているのは皆のマリオ氏。

 積んだ物の列を入れ替えるテクが勝利に繋がる点はユニーク性があって良かった。

 これも可愛いゲームだった。

 

 ぶっちゃけGB版の方を多く遊んだのもひっそりとした思い出。

 

ワリオの森

 黒幕はワリオだけどキノピオが主人公のパズルゲームだった。

 かつてモブキノコだったキノピオも、現在は隊長になってソロで1作持つくらい出世した。この作品は長に至るまでの道の一歩である。

 

 マリオ関連のパズルならヨッシーのたまご&クッキー、ドクターマリオも良かったが、私はこちらの方が好き。

 落ち物パズルだけには終わらず、落下した物をキノピオが運んで移動させることで消すことが出来る。上だけでなく積まれた下をどうするかの方に集中が行くゲーム。こういう仕掛けのゲームはちょっと珍しいかも。

 

 マリオUSAで実はパワー系キャラである要素をプッシュした事が、物を運ぶガッツ重視系のこのゲームに繋がったのだなぁと思えば、たかがキノコにもサクセス物語ありと感動出来るってもの。

 まだ遊んだことがないキノピオ隊長もそのうち遊んでみたいっす。

 

スーパーマリオブラザーズ3

 アクションゲームに革命的ムーブメントを呼んだ1、諸々の配置が意地悪でムズかった2(こちらはディスクシステム)、そして時代が運んだ第3の波が「スーパーマリオブラザーズ3」だった。これにはもう一革命起こす楽しさがあった。

 

 今回からはマップ画面が表示され、ステージ分岐点があったりすることからより視覚的に冒険している感じが見えて良かった。ステージマップが出るだけで妙にワクワクした。ハンマーブロスや空飛ぶ船めがけての移動にも面白みがある。

 

 キノコを食えばデカくなり、花を食えば火が出せるあたり、マリオはきっと特殊能力持ちだとは思っていた。3になってからはその能力が更に開花し、マリオの変身能力も一気に増える。

 しっぽ、地蔵、ブーツ、カエル、ハンマー、たぬきと、各アイテムを用いた色んな変身能力が追加された。ブーツに入ってぴょんぴょんしたり、地蔵になったりするのは面白い。たぬきやカエルはおっさんが中に入っていても何か可愛い。

 

 しっぽで空を飛ぶアイデアは子供心に刺さる。だいたいの子供が地に足もつかない状態のくせしてとりあえず空を目指すからな。今になって振り返れば、空を飛びたいならまずは立たなきゃというたニーチェの言葉に深く頷けるってもの。

 

 こちら側のマリオ勢がファミリー形成を行う前にも、実はたくさんいたクッパファミリーのお披露目があった。あいつにあんなに子供がいたのかぁ。コクッパ退治に忙しいシリーズだった。

 そういや昨今は外来種の亀が増えすぎて狩らないと生態系が維持できないとか。リアルに狩りの対象となるクッパ達亀一族でした。

 

 各ステージの王様が色んな動物に変えられているのが印象的。パックンフラワーにされた王様もいて、あれはにはマジで嫌だなぁって思った。私のなりたくない物上位に来るのがパックンだと判明したゲームでもあった。

 

ドラゴンクエスト(初代)

 いま思えばこのショボさでよくぞ令和まで続く息の長いコンテンツになったものだ。そうお兄ちゃんが言っていました。

 

 旅は道連れ世は情けの精神に何もかすらない漢喜ぶ熱血一人旅を貫徹する。この硬派な作りは、まるでくにおくんの実写版とまで言われた硬派な私向け。だから初代が好き。

 

 近い時代ならファイナルファンタジー、その他3Dダンジョンものだって仲間を連れての冒険が基本だった。

 こちらはクリエイターの硬派な精神がそうさせたのか、はたまた予算の都合により出てくる人間を減らすしかなかったのか、ほんとのところは不明だがとにかく珍しいソロプレイ貫徹スタイル。この点は後のRPGゲームと合わせて振り返っても強く印象的。

 

 敵も群れないからいつだってタイマンバトル。連続攻撃が出来ないが、向こうも1人の条件は同じなので連続攻撃を受けない。

 始まってどちらかが死ぬまでの殴り合い。これを基本としたゲーム性は漢仕様だ。

 

 そして他にも印象的はのは、何をやるにも東西南北の指示が必要なこと。色んなRPGをやって来た中でこの面倒臭さはそうそう無い。

 話す、調べるのアクションを取りたいなら、どっち向きにそれを行うのかを入力しないといけない。メンドイ。対象物に向かってAボタンを押すだけで会話や調べ物が出来る親切設計がまだの時代があったのか。

 これをやった時分にはまだ東西南北の概念を知らなかったので「北といわれてもどこやねん?」の状態だった。そこは学校の社会の授業で使う地図帳を出して方角を確認していた。今となっては可愛らしいティーンエイジメモリー

 

 ずっと気になるのは、主人公が何をやっていてもずっとこちら側を向いていること。主人公の横向き後ろ向きのグラフィックも用意出来なかったのか、移動中はどの方角に進んでもずっと画面の向こうのこちらを覗いている。どっち向きに歩いてもずっと目が合うこの感じが異質なゲームだった。人と目を合わすのが苦手なコミュ障には出来ない仕様だった。

 

 続く「Ⅱ」の方が敵のパワーバランスがバカになっていて、こちらの方がなんとかクリア出来るレベル調整になっている。そこは良し。

 

 ラスボスのりゅうおうのイベントは特に印象的。

 こちら側につかないかと勧誘され、話を飲めば世界の半分がもらえるという。じゃあ欲しい、そうなるのが人の心理である。  

 で、話に乗ると、勇者の仕事を放棄したペナルティということでゲームオーバーになってしまう。マジカよ、色々台無しじゃん。

 悪魔の囁きに耳を傾けて意志を貫くことが出来なかった。そんな精神的弱者にはろくな未来が待っていない。それが学べるゲームだった。教訓だなぁ。勇者になるってなら煩悩を捨てよ。

 

イーアルカンフー

 なんとも可愛い功夫格ゲー。

 ジャッキーとかブルース・リーのアクションを見ていたら、この手の世界も見てみたくなる。というわけでカンフーにハッスルするのだ。

 

 これもアーバンチャンピオンとかのように、ファミコンにしては珍しい格ゲー枠としてしっかり愛することが出来た。

 

 攻撃を放った時の間抜けな音が今でも耳に木霊する。私のお耳都合オンリーで遅い反響が楽しめる。すごいでしょ。

 

スーパーチャイニーズ

 すごい中国人、ここにあり。

 

  ファミコンならマリオ、ルイージの二人組が有名だが、こちらのジャッキーとリーもファミコン時代の名コンビ。ジャッキー・チェンブルース・リーから来ているのかな。それから敵の太っちょ男にデブゴンってのがいる。

 

 割りと人気だったのか3まで出て、その後はスーファミでもシリーズが続いた。ファミコン版2の2人対戦の運動会バトルが面白かった。

 

カラテカ

 競技者には礼儀が大事。具体的にはお辞儀ね。

 お辞儀の大切さを学べる空手ゲームだった。

 

 このなんとも言えないヌルリとした動きがクセになる。これの後にやったプリンス・オブ・ペルシャの動きもコレっぽくて好きだった。

 

 戦闘時には微妙にシネマティックなカットインがあったりする。このノリの良い作りは好き。

 

 スタート地点の崖の向こうってどうなっているの?と思って後ろへ後ろへ下がると転落して誰とも戦わない内にゲームオーバーになる。落ちる時のグラフィックまで作っているおちゃめな作り込みも良い。

 

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