シェイクスピアが単独で手掛けた最後の作品、それが本作「テンペスト」である。
「テンペスト」は嵐を意味し、ストーリーは船が嵐に襲われたことから始まる。
シェイクスピアの人生も嵐のように騒がしくもあっという間に過ぎ去ってしまったものなのかもしれない。
シェイクスピアの作家人生に一区切りをつけた記念碑的な作品ということで、興味を持って読んだわけである。
そういえば、これにちょっと関連したアニメで「絶園のテンペスト」ってのがあったな、と思い出した。
内容
主役は元ミラノの王様プロスペロー。プロスペローは、弟のアントーニオの策略によって王の座を横取りされ、娘のミランダと二人して孤島へ島流しに合う。
そもそもそちらの研究に明るかったプロスペローは、島流しに合ってから更に腕に磨きをかけて、遂にはマジものの魔法使いになった。魔法を覚え、妖精をも手懐けている彼は、妖精の力を使って弟達が乗る船を難破させ、自分の孤島へ引き寄せた。
そこで孤独な王の復讐劇が展開する。その一方で、プロスペローに虐げられている魔女の息子キャリバンが、漂流者に協力を仰いでプロスペローを討ち取ろうと暗躍する一面も描いている。こちらは普通に失敗に終わる。
娘の幸せを叶え、悪い弟に仕返しをした後に、プロスペローは魔法の杖を折り、再び王の座に返り咲く。
ファンタジックな要素を含む一人の男の絶望と再生の物語である。すばらしい。
感想
悲劇で有名なシェイクスピアの中ではかなり明るくユーモラスな作品で、最後はハッピーエンドであった。
言葉を巧みに操るシェイクスピア独特のセリフ回しは相変わらず面白く、時に謎なところもあったりする。本作では、難解な言葉のやりとりも見られたりする。後半で急に始まる仮面劇のシーンは、ちょっと困惑した。それにしてもプロスペローが気持ちよさそうに諧謔を飛ばす様は、例え言っていることの訳が分からずとも、見ていて心地よいものがある。
プロスペローの娘ミランダは、幼い頃から孤島で過し、父親以外の人間の男を見たことがないという特殊な状況下で成熟した女性となっている。
ミランダは、孤島に流れ着いた面々の内の一人、ナポリ王の息子ファーディナンドに一目惚れしてしまう。二人は愛し合い遂には結婚の約束をする。この時プロスペローが、娘の婿になるだけの価値があるかを試すため、ファーディナンドに色々と嫌がらせ的なことをするのだが、そこでプロスペローの嫌な奴の部分が出ていたと想う。
プロスペローはファーディナンドに向かって、用は結婚式も済まずにアレを行わず、然るべき手順の元で娘と愛を育めよと言ったのだが、その時に「君がこの子の乙女の帯をほどきでもすれば」という表現を用いる。個人的にこの言い回しはお気に入りで、こんなおしゃれなラブにつていの警告の仕方がかつてあったかと想った。
本来ならプロスペローよりも先住民のはずの魔女の息子キャリバンが、プロスペローのパシリにされているのは可哀想な気がする。キャリバンは登場する全員からディスられているので可哀想。
名前もない水夫長という男が登場するが、そいつとゴンザーロによるコミカルな罵りあいが印象的だった。脇役だけどここ二人の存在感がなかなかに強い。
あとがきの解説によれば、最後にプロスペローが魔法の杖を折るのと、シェイクスピアが一旦は筆を折ったのがリンクするという内容のことが書かれていたのは印象的であった。それを踏まえて読むと、プロスペローの行動理念について深く考えてしまうところである。しかし、悪さをした弟やナポリ王をよく許してやる気になったなとは想う。
お兄ちゃんと超仲良しな私では考えられない物語展開であった。兄弟は仲良く、と再認識させられた作品であった。シェイクスピアありがとう。
- 作者: ウィリアムシェイクスピア,William Shakespeare,松岡和子
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嵐の後には幸福が訪れるのだ。
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