こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

時間が足りません 積みゲーを崩せないのが我が罪

 ヤバいです。ざっくり数えただけで積みゲーが600を越えた。どんだけあんねん?

 

 もう無理です。明らかにやるペースより次々来るペースが速い。一本クリアした時に10も20も追加があったらもう駄目だ。

 

 重ねてもう無理です。全部片してしまおうとしたら命のリミットが足りない。

 明日からこの強肩&双肩に担う全てを捨てて魔の600本崩しにかかったとしても……いやそれはそれで嫌だな。だってずっとゲームするのもシンドい。疲れる。中にはそれと分かった上で買ったクソゲーもあるので、それをやる場合は余計に疲れる。

 

 始めはキラキラした夢世界への憧れと心地よさからやる気満々で買って来たのだ。だがだんだんと気力が……。

 目立った加齢、ガタを感じる段階にはないのだが、これは気分の問題だな。気分的に色々あって、気力を良い状態でキープするのがきつくなっている。

 

 爽快アクションなら良いが、頭と目を使うノベルゲー、ギャルゲーなんかだと結構な辛抱がいる。これらはとにかくプレイ時間を持っていかれる。

 フルボイスの場合だと、声優の喋りは必ず全部聴くので、最低でも音声データの分はプレイ時間を持っていかれる。音声データだけでも10時間を越える作品だってあるのだから、その他もごちゃごちゃやっていたら1本クリアが30、40時間に迫るのも出てくる。これはキツイ。 

 

 RPGのエンカウントを繰り返して進む作業パートもだんだんキツイって。性格的になるたけ逃走せず全部叩き潰したい人間だから余計に時間がかかる。

 なんか色々と時間の不利があっても、主張や趣味は変えずに行くから私も一本筋が通った頑固者。頑固も筋を通して行かねば。

 

 ゲーム以外にも色々ある生活になってしまったものなぁ~。大きくなる程自由時間を作るのに苦労する。自由がない訳では無いが、都合が変わってくるんだよな。

 1日全部ゲームとは行かない。ゆっくりと腰を据える時間の確保も昔よりは減ったり、そうでもなかったりでまぁ色々都合がある。

 

 全部をやれる見通しがない。それでも新作がやって来る。だって欲しいのだもの。

 ここ数年は、やるやらないは度外視でジャケ買いするとか、シリーズのファンだからとりあえずの義務感で買うだけってのもある。コレクション目的になって来ている。

 そんな感じで遊んでいないなら、本来あるべきゲームの価値観的には罪な向き合い方、扱い方なのかもしれない。

 

 ここでパーマンコピーロボットを思い出す。あんな感じで一度に二人の私で取りかかれないかな。で、後で情報をシェア出来ればなぁ。時間と労力が半分こで良いじゃないか。その藤子Fマンガだってもう一回読みたいしな。でも時間ねぇ~。というわけで藤子Fの方の全集にも手を出しています。

 これに一番近い案としてお兄ちゃんを使おう!となり、作戦を実行してみた。私と同じ材料で出来た命なのだからコピーには一番近いものな。

 お兄ちゃんに「このゲームやっといて」と頼み、後で感想を聞いて記憶をシェアする。これで積みゲー崩しも捗るじゃないか。

 

 だがコレが予想外に使えない。古いゲームは画質がガビガビだから目がキツイ、文字がたくさんのゲームもシンドい、ギャルと戯れるゲームもなんか心が痒くなって肌の奥の内部でアレルギー反応が出ているなどなど、よくもまぁそこまでバリエーションを用意出来るなと感心するレベルで色んな文句を飛ばしてくる。コイツ駄目じゃん。ゲーム人として向かないって。

 やはりこの道は一人で歩む修羅道なのだな。その気づきが得られた。この先の人生もロンリーに修羅って参ります。

 

 時間も増えて欲しい。1日がたった24時間なのが問題だ。そして人は寝ないとマジで無理だからフル活動も無理。結果1日24時間以下でしか戦えない。24時間戦えますか?なんて言ってたリゲインの投入をもってしても無理はものは無理だろう。人って悲しい性、というか生態をしているのね。 

 

 人生のリミットだってそもそも少ない。調子良く100年生きたとしても、その中でツバをつけた娯楽コンテンツ全てを楽しめるかっていえば、私の場合だと無理。

 生まれた後のことはもちろん、生まれる前のコンテンツにも触れたい。今と過去を同時に相手にすれば段々と首が回らない。疲れる。

 命の総量に対して望んだだけ本気で活動出来る時間が少ない。私はあれもこれも行きたい人だからマジで無理。

 体も時間も足りない。足りない。 

 

 気力、体力、時間をかなり使うことから、ゲームを崩すのがオタク活動で一番の難関だといえるだろう。

 でもその他には読みたい本もあるし、見たいアニメ、特撮もある。積んだ本、BDとDVDのビデオディスクも多い。こっちの崩しも時間がいるので疲れるぞ。

 

 ここ数年のことだ。それだけ色んな作品に触れたのなら自分でも何か書いてみれば?とちょくちょく人に言われることがある。

 まぁ確かにそれも面白そう。興味が皆無なことはない。少なくとも読めるなら何かを書くのも無理ではないだろう。

 でも自分で何か作らなくても世の中には楽しい物がいっぱいだ。そっちをやっつけるので命が終わる計算だから、自分で何かを生んでいる場合じゃない。一から何か考えて物書きをするってなら来世までお預けだな。現世でだと精々ネタ集めしか出来ないだろう。

 

 やりたい事が一杯なんだよな~。眼の前に積まれた量を見ればちょっとヤバくて気持ちが負けそうになるが、それでも「楽しそ~」の想いは不屈なものだからいつまでもそういうのと付き合うワンダフルライフなんだよな。 

 

 お前って悩みないだろ?ってよく言われるのだけど、まぁ人生が詰むような心苦しくなる重い内容は無いわな。強いて言えば、悩みなく楽しんでいる先での時間が足りないのが最大の悩み。楽しいの増幅を可能にしてもっと楽しいを味わいたいのだ。なんか不思議だね。

 

 叶うのならこれまで発表された全てのゲーム、アニメ、特撮、本をしゃぶり尽くしたい。でも絶対無理なんだよな。だから人はアレを選んでコレを捨ててを日々やって行くんだな。

 積んだあれこれを制限時間内で全て崩すってのがもう詰みゲーなんだよな。積みゲーが生み出す詰みゲー状態がある。人って欲張りで愚かだ。

 

 ていうかこんなどうしようもないどうでもいい話を打ち込んでいる間があるなら、さっさと積み上がったタワーの一部でも崩しにかかれよって感じなんだけどね。

 まぁ趣味もいつでも始められるものではなく、楽しいことなのに実は始めるのに馬力が要ったりもするのだ。掃除とかテスト勉強みたいなもので、やり始める時が一番馬力が要るシンドいターンなんだけど、始まったら調子良く集中出来てスイスイ行くみたいな。あの感じなのだ。

 

 人生を振り返ってこういうことを考えると、それはそれでストレスになってるのでは?となるからそれも不思議。真っ直ぐ好きの想いもどこかで変化球コースに入ることがあるものだな。

 

 時間と向き合うことは、ガキの頃から今日までずっと続く人生の戦いです。その最後には笑って死ねるよう一生懸命生きよう。

 

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