こしのり漫遊記

どうも 漫遊の民 こしのりです。

たまに見る夢について

 人もアンドロイドも電気羊もどうして夢を見るのだろうか。そう考えたことがある人は結構いることだろう。だが本当のところでは、なんとなく思っただけで大してその答えが欲しいとも思っていない。それもまたそうではないだろうか。というこの問いがもう無駄なことではないだろうか。じゃあ止めよう。子供の頃からこの手の自問自答を連続する内に本日を迎え、今ではすっかりデカくなりました。

 

 そんなこんなこの私も滅多と見ないけど、たまになら寝ている時に夢を見ることがある。最近はそんな夢についてちょっと色々思うことがある。

 見る度に思うのだが、見た景色が本当に不思議なんだよな。私が見る夢にはだいたいのタイプ分けがあるのだ。じゃあ分けて行こう。

 

歯が抜けるやつ

 コレ、結構同じ人がいるらしい。

 夢の内容って結構覚えていないもので、なんか見えたくらいの感じで記憶に靄がかかっているものが多い。そんな中、歯が抜けるやつのは衝撃がデカいことで覚えている。

 これが人生一回きりということはなく、多分2、3と重ねて何度か見ているはず。時期は飛び飛びでたまに来る。

 こういうイメージが寝ている間にも見えるのは、精神的に揺らぎがある状態でもあるのかもだが、別段何でもない時にも来る。というか、いつだってなんてことのない日々なんだけど。それでもこういう怖い夢を見るってことは、心の表層ではなく、深層部分に何かストレスがあってのことなのかもしれない。それは自分でも気づかないものなのだろう。日々明るくやっている私も所詮は生身のただの人間である。ならば人並みのストレスがどこかにあっても不思議はない。

 

 この夢なんだけど、ひたすらびっくりする。夢の中だから痛覚なんてないはずなんだけど、なんかヤバそうな痛覚が来ているような気がするという想像の中に感じるリアル性がある。まぁそりゃ急に歯が抜けたらヤバいって思うよな。

 ビックリするし怖くはあるが、同時にそういう刺激を求める想いもあるのか、そんなことがあった割にはなんかワクワクというか、知らない気持ちに覚醒したような充実感も得る。という感想で締める朝が来るのだ。

 こうして改めて振り返ると変態のお気持ち表明みたいなんだけど、まぁそれが素直な私の意見。というわけでたまに来るくらいなら良いかもしれない。でも最近は歯の夢も見なくなったな。日々よく磨いています。

 

知っているようで知らない場所が連続する

 夢ってのは台本があって役者があっての映画ではない。そのためストーリーの連続性なんてまるでない。まぁそれも見る人間によって違うのかもしれないけど。

 とりあえず私の見る夢は、前後一貫性などまるでなく、シーンがぶつ切りで次々移り変わることが多い。海にいたのに次の瞬間には森の中にいるみたいな感じで、関係のない場所、人物が連続で見える。

 これってどういう心理で何がどういう順番で出てくるのか、自分でもずっと謎。まぁそうして脈絡なくいくつのも要素がごっちゃになってスクランブル状態になるという訳の分からなさが私の持つ人間性ということなのかもしれない。

 見ている内容なら、なにかしら本人の持つ記憶情報とリンクするものがあるはず。あるはずなのだが、それもなんか分からん感じ。

 で、そうして見る夢に出てくる場所なのだけど、それぞれ親しみや懐かしみを感じて不快感はない。そういった物を見ると起きた時には楽しかった~くらいの良い気分になる。だが、よくよく考えてみると、知っているようで絶対行ったことがない場所が出てくるのだ。

 こういうのは自分の記憶の整理も兼ねて行われると聞くこともある。実際にあった記憶を頼りにイメージが見えてくるのだろう。だからそれぞれ家とか学校とか最寄りの商業施設っぽく感じるが、よく見るとなんか違うんだよな。私の記憶の仕方もテキトーということなのかな。

 学校ぽいんだけど、こんなに階段が長くないし、階段にこんな広い踊り場もない。遊んだことがある原っぱぽいけど、そこから見える景色があまりにも知らないもので現実にはこんなことはない。そんな感じで、実際の記憶に+αのアレンジが加えられたようなパラレル世界が見える。

 これに関しては、懐かしい場所に行ったようでもあり、しっかり新世界冒険もしてきたようでなワクワクがある。

 本当に「なんか分からんものを見た」で毎度終わるストーリー性もなければこれといった落ちもない映像の連続となるが、面白いものなので見るのが嫌いではない。

 

どこかに出かけるはずが、一生出かけずに終わるやつ

 これも数回見たことがあるタイプなんだけど、どこかに行こうと思っているはずが、なんだかんだあってどこにも行かずに終わるという内容。意味ないやんけ。

 これもちょっと調べたことがあるんだけど、どうやら同じような夢を見る人が割と多くいるらしい。

 私の場合はスタートの場所も毎回違えば、目指す場所も毎回違う。学校、誰かの家、教習所と毎度目的地は違えど、とにかく行く前の状態から始まる。

 行くつもりではあるらしく、はっきり行きたくないと思っての行動もない。でも一方では、別に行かないなら行かないで問題もないかぁ~というえらくテキトー且つ緩い思いでいるのだ。いつだってリラックスしていて別段焦りはないというのが共通している。

 たまに親や兄弟が出てきて何かを手伝ってと言ってくることがあり、そっちの世話をしている間に、どこかに行く用事がどうでもよくなって来る。そして目覚めるということもある。

 なんだろうかコレは?目標に対して随分テキトーな心がけでいる人間であるという心理分析が出来るものなのかな。

 これもなんか面白いんだよな。出発を邪魔するイベントが挟まれたりするのもそれはそれで見ていて面白い。結果楽しいことがしたい、見たいだけの人間なのかも。

 

人の顔が見えない

 これも悪夢ではないし、別段面白みがあるわけでもない。マジでなんでもない夢なんだけど、誰かが出てきて何か話すタイプのものがある。その話の内容は毎度どうでも良いものであり、その証拠に何も覚えていない。

 相手はどこどこの誰々と分かっていて声が聴こえるのだが、顔が出てこない。人としてのシルエットはなんとなくそこにあるのだが、顔に靄がかかったようになってはっきり人の顔が見えない。

 なんだか犯罪者やわいせつ物にかけるモザイクみたいな形で人様を出演させているので、罪悪感を抱いても不思議ないのだが、私の場合は何も気にしない。図太いんです。

 この現象にはちょっと心当たりがある。私は視覚よりも聴覚の記憶をあてにしている。そっちの方が覚えられる自信があるのだ。

 人の顔、名前を覚えるのが苦手というか、ハナからそっちで覚える頭にならないのだ。一方、声で人を覚えて判断することは良くしている。

 だから顔と声がセットではなく、横着な記憶から声のみの出演者が多く生まれることになるのだと予想出来る。でも姿は忘れても声でなら思い出せるという聴覚での記憶力ってのも結構侮れないものなのではなかろうか。

 

 しかしこうなると思い出すのが、同級生の名前を覚えて呼ぶようにと学校の先生からよく言われたことだな。覚えていないってことから、名前の言い間違えが多くあったり、その場で勝手に即興であだ名をつけて呼んだりしていたからな。今だとあだ名禁止の学校もあるというからアウトだよな。コレが案外覚えられないものなんだよな。

 

逆に見たことがないから見たいやつ

 おまけの話です。

 夢といえばたまに聞くのがが明晰夢ってやつ。ここが夢世界だと自身で分かっていながらもまだ夢世界にいるという不思議な感覚らしい。コレ、全く無いんだけど。

 後になればアホらしいことに思えるが、起きるまで夢で見たことは本当のことくらいに思っているのだ。たまにびっくりする内容だったら、そのまま信じているから、起きてから嘘のことだと分かったらホッと安心することもたまにある。

 明晰夢は面白そうだから一回体験してみたい。

 

 アニメやマンガで「もう食べれられないよ~」という寝言を言っているヤツがよくあるが、そのように腹いっぱい食う夢も見たことがない。

 ちょっと惜しいのが、腹ペコ状態だから飯が出てくる夢を見るのだが、そいつを食う直前で目覚めることなら経験がある。起きてすぐにも腹が鳴っているのが分かってなんだか切なくなる。

 

 あとはちょっと楽しそうでもあるエッチな夢ね。エッチな内容のも全く来ないわぁ。怖いよりはそりゃ楽しくエッチな方が良いよな。

 まぁ思春期に寝ても覚めてもエッチなイメージばかり膨らませているってのもなんか情けないっていうか、寂しいていうか、残念ではあるよな。

 起きている時で間に合っているから夢には出てこないシチュエーションなのかも。

 

 あとこれは夢とはちょっと違うことなのかもしれないが、かなしばりっていうのも興味がある。もちろん体験が無いので。

 ポケモンのスリープがかましてくる技として知ったのがお初だが、後には睡眠に関する特殊な現象だと学校の授業で知りました。

 これも何かそこには無いものが見えたり聞こえたりの変な感覚になれるものらしい。ちょっと怖いようで結構面白そうではある。

 

 夢も基本的には見ないから、見るだけでレアなんだけど。そのレアチャンスを引いたからには気持ち良いのを見たいよな。とか期待しながら今日も健やかな眠りへとGO!

 

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