「テトリスDS」は、2006年に発売したニンテンドーDSソフト。
結局ニンテンドーといえば、だいたいどの機種でも出している頼みの綱の一つがテトリスである。
ファミコン、スーファミ、GB、64と色々な機種で発売したテトリスを、DSにまでなってまだ出す、出せるだけのものがある。つまりは売れるという真実がそこにあるのがスゴイ。なんならDSの後継機である3DSでも出したとか。やはりテトリスはすごい。
たくさん種類を出せど「基本は同じだろう?」とか思いながらも、我々テトリスと聴けば反応するしつこいテトラーは購入してしまうのだ。
中古ショップでテトリスを見つけしまうと、思わず買ってしまうのがこの私の性である。テトリス、ぷよぷよ、スペースインベーダーあたりは、なぜか集めてしまう不思議な魅力がある。
昨年の夏休みくらいから遂にアドバンスを遊び終えてDSデビューした。DSでもテトリスがあると分かったらやはり欲しくなる。そんなわけで最寄りの善良なショップを覗くと、だいたい300円で置いてたので迷わず買った。
頭と体は、日々使っていないと鈍って行く。コロナでお家に引っ込む時間が多くとも人は頭と体を使ってナンボのものだ。テトリスは頭と指の運動に良い。
科学的根拠があるのか無いのかまでは知らないが、その昔読んだオタクのバイブル的漫画「ロックンゲームボーイ(池原しげと著)」の作中で、テトリスは認知症予防になるとか言われていた。主人公少年が祖母にテトリスを勧めていたシーンを思い出す。
私の頭脳は、明晰かアホかのどちらかで言えば明らかに明晰であり、記憶、判断の能力としても極めて良好な状態にある。認知症予防に本腰を入れるには年齢、コンディションからして気が早いかもしれないが、脳なんてのは鍛えておいて損はないはず。脳を鍛えるためにも一人黙々と遊ぶことにした。
で、さっそく遊んでみたのだが、やはり面白い。普通に面白いのだ。面白さを約束されたテトリスが装いも新たに収録されたものなので当然面白い作りになる。テトリスが遊べさえすれば、看板に偽り無く名作を味わえる。テトリスとはそんな信頼抜群のものなのだ。
良き遊び心が見える点が、ゲームパッケージにドット絵のマリオが描かれていること。スイッチを入れた後に出るOP画面では、マリオ、ドンキー、サムス、リンク、バルーンファイトの空飛ぶ民ら往年の任天堂キャラが登場する。任天堂から出したものというわけでコラボしている。これは嬉しい。
なんだかんだで普通にテトリスをやっているのが一番楽しいのだが、その他のモードが5つあり、合計6パターンのテトリスを楽しむことが出来る。
各モードごとに、マリオの世界観だったり、他にもゼルダ、メトロイドなどの名作を引っ張ってきて雰囲気を盛り上げている点は気が利いて良い。
久しぶりにテトリスを遊んだけど、レベル10くらいなら一発目からでも普通に突破出来た。10を越えたあたりからはスピードアップしすぎて判断が追っつかないこともあった。まだまだ私も甘いな。
毎日寝る前などのちょっとした時間にやりたくなってしまい、地球の端っこで一人こんな古いゲームにハマってしまっている。
DS版でも発売が15年前だからな。しかし15年前のものとは思えないなんだか新しくポップな感じもする。
デコボコしていて形が異なるものを複数集めたら真っ平らになる。この心にもピッタリしっくりくる点がテトリスの持つ爽快さなのだ。デコボコ地帯を平らにする喜びを私は知っている。
チビの頃からやっていたゲームをなんだかんだでコンスタントに遊んでしまっている。私とテトリスとの距離感はそんな感じだ。
めっちゃ遊んだのにまだやりたくなるこの不思議さについて改めて考えさせられる。
これは多分アレだな。死ぬほど食って一度は飽きたおふくろの味(主に味噌汁)だが、親元を離れてしばらく味に触れないと、無性に懐かしくてまた食いたくなるというあのサイクルが続くやつ。テトリスからちょっと離れてもまたやりたくなる。これもおふくろの味を再度求めてしまう人間の性と同じようなものなのだろう。つまりテトリスとは、ゲーマーにとってのおふくろの味なのだ。
という多分多くの者にとっての正解を導き出したところで、DS版テトリスを遊んだ感想を終えよう。
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