こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

地球がマジでギリギリ限界状態「宇宙の騎士テッカマン」

宇宙の騎士テッカマン」は、1975年7月から12月にかけて放送された全26話のテレビアニメ。

 

 5、6年くらい前には、先にテッカマンブレードを見ていた。ブレードを見た時には先代のテッカマンも見たいと思ったが、なかなか見る機会がないままに令和時代に入ってしまった。

 にしても古いアニメだ。1975年といえば、スーパー戦隊シリーズ1作目のゴレンジャー爆誕の年だ。じゃあマジで古いってことだよな。当時の世の中がどんなのだったか1ミリも見たことない。

 

 このクソ暑い夏休みを有意義に過ごすコンテンツにコイツは最適だと思い、割りとゆっくり半月程かけて視聴した。これがなかなかに深みが面白い作品だった。

 

 少し前には「闘士ゴーディアン」を見たので、またタツノコアニメが続くな。ここのところ「良いなぁ~」と思ってたまたま手に取るとタツノコアニメだったということが多い。

 タツノコアニメの古いのも順調に色んな作品が綺麗にBD化されていて嬉しいぞ。古いけどアニメーションが良いんだな。

 

 それでは元気良くテックセッター!つまりは感想殴り書き開始だ!

 

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内容

 時は21世紀を迎えた。そんな時、地球はほぼ終わった状態にあったのだ。公害で大気汚染が進み、資源の枯渇を迎え、死の惑星となるまでのカウントダウンが聴こえていた。

 

 政府は「クリーン・アース計画」を打ち立てるも、クリーン化するにはもう遅すぎたという絶望の結果が出た。

 こうなれば地球はもう終わりと諦めるしかない。残った人類は、第2の惑星を求めて移住するしかないと決断したのだ。

 科学者達は脳みそを総動員して人が住める星を探し、そこまで高速移動出来る「リープ航法」開発のため奔走するのだった。

 

 そんなヤバイ状況の中、地球は悪党星団「ワルダスター」の侵略地に選ばれてしまいもっとヤバイことになる。

 

 天地博士は、人間、異星人、ロボット、ミュータントの混成部隊「スペースナイツ」を結成する。

 南城二は、スペースナイツの主戦力である超人パワーを持つ戦士「テッカマン」に変身してワルダスターと対峙するのだ。

 

 移住先を探しながら地球防衛のため異星人と戦争も行う。そんな忙しい終末期を迎えた地球人類存亡の歴史が描かれる。

 

感想

 開幕時から地球はとっくにピンチの中にある。マイナスからのスタートで何とも重苦しい。マジで全編に渡って話が暗い。

 宇宙人の侵略無くしても地球はとっくにヤバイ。天地博士の見立てでは、地球の寿命はもって3年とされている。ヤバすぎる。もう次の五輪は見れない。

 

 3年のリミットの中、移住できる惑星を求めて宇宙開拓に出るしかない。すごい話だな。

 地球の皆もここまで来れば終末期到来についてなんとなくは分かっているとは思う。だが3年というリアルな数字は一部の者しか知らず、多くの国民に向けては伏せられている。そんな事を皆が知れば世界がパニックなるからだ。この説明を行う天地博士の言葉がリアル過ぎて怖い。

 天地博士は内海賢二が演じている。「Dr.スランプ」だったらフザケた博士を演じていたけど、こちらではおフザけゼロの真面目な博士役を演じている。

 

 もしかして我々のいるリアルでも政府が隠しているだけでマジヤバな案件があるんじゃないだろうな。そんな疑いも生まれる重いシナリオ展開。

 

 何もせずとも地球は終わるというのに、そこに追い打ちをかけるのが宇宙人の侵略という滅茶苦茶厄介な案件。

 地球は終わるけど、残った人々を死なせるわけには行かない。なのでスペースナイツ諸君は本気の戦いに出るのである。

 もう1話目から終わっているアニメだな。シナリオがハード過ぎる。守ったところで結局捨てる星をバックに戦うわけだから、よそのヒーローと比べるとテッカマンはどんなモチベーションなのよ?って思う。守る分に希望が少ない戦いとなると、私なら戦場から去りたくなる。

 

 自分達で地球を終わりに追い込んだ罪悪感、外部から終わりに導く来訪者の脅威、この恐怖のダブルパンチとやりあう人類終末期の冒険はマジできつすぎる。マジで立ち会いたくない話だなと思って見ていた。こうならぬよう今からでも地球を大事にしよう。

 

 サンノー星人のアンドロー梅田が地球上陸後最初に発した言葉が「汚ねぇ」だったのは印象的。よそ様が来た最初の一言がそれって惑星レベルで恥過ぎる。アンドローにそんな事を言われないよう綺麗な星にしていこう。私はとりあえずポイ捨てはしない、食品ロスは無し(むしろ他人のも食っている)、ここら辺の事は完璧に行っている。

 

 当時は「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」といったどうあがいても絶望しかない作品がヒットしたことで終末期ブームだったという。なのでこのようにSF性、戦うヒーローの要素も絡めつつの大絶望物語が生まれたのだ。時代が作品を生む、これもまた一つの真実。

 

 丁度さっき現在放送中の異世界アニメを見て来た。昨今だとあのようなストレスフリーのお気楽思考の作品が多い。あのお気楽さで慣れた現代人にだと、テッカマンのような絶望感がすごいきついアニメはテイストが違いすぎて見ていられないかも。

 

 敵が地球を取りに来る作戦も結構エグい。

 作中では、地球の緑もすごい勢いで死滅状態を迎えている。全編を振り返って、話と共に風景も暗い感じの作品だった。それは緑が死ぬレベルで公害が蔓延しているから。大気からして濁っている。

 そんな中、人類は癒やしの緑を求めていた。そこを突いて敵は、急速に自然の緑が広がる植物兵器を寄越してくる。これを受け、人々は最初こそ緑が戻ったと癒やしを得て外に出てリラックス時間を過ごすわけである。

 でもそれは人を食う殺人植物であり、色合いは目に優しいが、人類には毒でしかなかった。もう緑は戻らないと思っていた地球人達に自然が復活したとぬか喜びさせておいて殺す。そんなエグい作戦に出る酷い内容の回があった。怖い。そこらを見れば自然の緑があるってホント素晴らしいのだなって思えてきた。

 

 緑がないなら虫だって育たない。作中の子供達は昆虫というものをまともに知らないのだ。可哀想。

 敵はそこも突いてくる。可愛らしい虫型ロボを野に放ち、子供達はそれを珍しがって可愛がる。そうして油断させておいてロボの恐ろしい力で痛い目を食らわすのだ。

 自然に飢えて警戒心的に盲目状態にある人間の心の隙を突いてくる作戦がエグい。根性が悪い。

 

 資源も限界状態を迎えているため、食料が多く集まる箇所を狙う所謂兵糧攻めも行ってくる。これが一番キツイだろうに。とにかく地球側が色々不利な状態なんだよな。

 

 モブに厳しいことで定評があるタツノコアニメなだけに、攻め込んで来た敵によってモブキャラはめっちゃ殺されている。メインキャラは生き残ったが、兵士や市民の犠牲はすごい。

 最終回では、スペースナイツメンバーを宇宙に上げるために何人と兵士が死んでいく様を割りと生々しく見せていた。子供向けにしては絶対に作風としてキツイ。私は好きだけどね。

 

 テッカマンはシンプルながらも格好良い。変身のために必要なロボのペガスも良きデザイン。この要素はテッカマンブレードでも一緒だ。

 テッカマン変身時に鎖帷子が城二の体を覆うシーンがすごく痛そう。

 ペガスが多分了解の合図で言う「ラーサー」は耳に残る。ブレードの方でも確かコレを言っていたな。

 

 で、こちらの古いテッカマンだと、主人公と行動を共にする異星人に注目したい。それがアンドロー梅田。アフロのナイスガイである。絶対に「アンドロメダ」から来てんだろってネーミングセンスもスマートで良し。ルパン三世でお馴染みの山田康雄の声もナイス。

 

 地球存亡を賭けた戦いがメインとなる作品だが、もうひとつの熱い見所は、南城二とアンドローの惑星を越えた友情物語にある。2人が衝突を繰り返しながらも友情で結ばって行く過程を割りとゆっくり濃い目に描いているのも印象的な作品だった。

 

 父を殺したのが異星人だったことから、南城二が異星人に対して持つ嫌悪と懐疑心はとても強い。一応自分サイドについているアンドローの事だって疑っているため、スペースナイツ内でギスギスした関係性が見えるターンも長かった。

 それが濃く反映した回が第11話でのことで、ワルダスターではないよその異星人が地球に和平交渉を持ちかけて来た際、城二は「異星人は全部悪」と早とちりして討ってしまう。これが原因でワルダスターとは別の異星人とも一悶着構えることになる。

 よく分からない者が近づいてくるなら、撃たれる前に撃たねば。危機感からそこまで神経質になっている城二の心理状態が痛々しい。

 未知であることがイコールして恐怖の対象となる。そのため何もされない内にも打って出た。この流れはウルトラセブンギエロン星獣の回みたい。

 この第11話の話は重かった。

 

 そんな城二も激戦を共にしたことで、最終的にはアンドローを友と認める。アンドローもまた城二を友として愛すのだ。この2人の友情が美しい。

 最終回では友であるアンドローにブルーアース号を託して、テッカマンは1人で敵軍に突っ込んだ。あの流れは熱い。

 

 でもその最終回が未完なのはいかがなものだろうか。

 ボスのドブライはおろか、幹部のランボスだって倒していないまま終わる。

 タツノコアニメの「タイムボカンシリーズ」だとお仕置きする側を演じていた滝口順平が、こちらだとボスにお仕置きを受ける側のランボスを演じていた。この違いも何か面白い。

 

 地球人が移住出来るであろう惑星は見つかったが、そこへ続く道を敷く段階でエンドだった。

 この後、テッカマンや人類はどうなったのか。当時見ていたキッズ達からすると後味が悪かったのでは?

 希望もあったと思うが、絶望感の拭い具合がかなり弱いエンドだった。

 

 考察させるエンドと考えさせられる内容が心にズシリと来る良作だったぜ。

 形としては打ち切り的エンドだったわけだが、これに続く3クール目の構想もあったらしい。そちらは後のブレードの方に組み込まれたとか。

 ちょっと宇宙戦艦ヤマト感もありだったな。それに先日見た同じタツノコアニメのゴーディアンの後半もこんな感じだったな。ゴーディアンの後半は地球がヤバイくらい寒冷化されてもう住めないぽいから移住先の星を探す内容になっていた。タツノコアニメには明るいのも多いが、昔にはああいった絶望感強めの作品もあったのだな。

 

 他に思うことといえば、ヒロインのひろみさんのスカート丈が短いからたまにパンツが見えていること。

 スペースナイツメンバーのミュータントのムータンのことをひろみさんは可愛いと言って愛でていたが、ブスではないものの、ムータンの第一印象が可愛いにはならんくない?と突っ込んでしまった。

 

 ナレーションが中江真司、OP、ED両主題歌をアニキこと水木一郎が担当していることで東映特撮な感じがする。ていうか仮面ライダーかな。曲はとても格好良い。

 OPムービーに見える当時としてはかなり特殊な技術が濃く印象に残る。CGぽいようなそうでもないようなグニャグニャした演出が目立っている。特撮の少年探偵団BD7のOPにも同じような仕掛けが見えたな。

 

 というわけで、環境保全について考えさせられるSFアニメだった。

 汚れ無きクリーンな地球の未来に向かってボルテッカ!  

 ではお休み。

 

 

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