自転車が無いと生活が成り立たない。もはや感覚的には履いて便利な靴くらいに、私が人生を歩む時にはいつも2つの車輪でスイスイ進んでいた。
そんな自転車との出会いはめちゃチビの頃。
現在、我が親戚の中にもあの日の私くらいのチビがいる。時代と命は巡るからそりゃそうもなるわな。
そういう親戚とは普段からも会うのだが、マストで引き合わされる特別な時期もある。そう、それが今。正月だ。
正月になると「なんか色々やって」と方々からお願いが入ることがある。
まぁ元気だし、フッかる(←フットワークが軽すぎてもはや飛んでいる)だし、どうせアニメを見ているだけの暇人(←これは周囲の間違いでこっちは忙しいだけ)と思われているってことから、そういう依頼を入れやすいらしい。そんなわけで親戚宅に召喚されることが多くあります。
人の事を軽く使える便利屋みたいに思っちゃってマジ失礼だわ!
とは言ってもこちらも付き合いが良いし、やれと言われたらだいたいの事が出来ちゃうからこうなっているわけで。
でもやることをやれば、おせち、餅、カニ、その他とにかく美味くて腹が膨らむあれこれがゲッツとなるので、まぁ結果オーライかな。
で、この正月に入ったミッションが親戚のチビのチャリデビューの世話をしてくれということだった。
なぜにそこの大人たちで面倒を見ないと聞いたところ、寒い、腰が痛い、こたつに入って餅が食いたいとまぁ正直な怠け心をペラペラと吐いてくれちゃって。
まぁやってみるか。
自転車なんて訓練すればサルでも乗れるんだから、足腰が健康で「乗りたい」の想いを持つ人間様が乗れないわけがない。
そしてチャレンジ。
これがビックリ。マジで乗れない。
親戚の子は運動神経っていうか多分体幹?が悪いみたいで、乗ってもすぐにぐらついてダメ。
ダメな事をしている内に2つの車輪への嫌悪感と恐怖心が育ち、遂には練習を嫌がるようになった。これはあかんぞ。
好きでもいつだって物の上手なれと行かない場合もある。その時には嫌いが育ってくる。自分の人生に経験のないことだ。
私は乗れるのだ。誰よりも乗れる。両手離しでも乗れるこの私は、体で乗り方を知っている。でも考えてみれば、乗る時に特に何も考えていないと今更知った。
こうなってくると何故乗れるのか、逆に何故乗れないのか、どちらの理屈も考えたことがないから分からない。
ていうか乗れなかったターンがなく、いつどうやって乗ったのか謎。
コケた、怖かったを感じるような練習をした覚えもない。思えば私はいつどうやってコレに乗れるようになったのだ。記憶にないぞ。
そこは私が物心つく前からも私という生命体を記録観察していつまでも記憶に留めているヤツらに頼ろう。誰って?こちらより長生きしている親、それと一応おまけにお兄ちゃんね。
親に聞くと、良い感じのタイミングで補助輪付きのイカすチャリを与えた。それに対して私は恐怖心ゼロでゲラゲラ笑って日々乗り回していたそうな。お兄ちゃんはどっかに行った私を回収する係だったので、私のチャリを追いかけるのが大変だったと言っていた。ムカついたとも言っていた。人の兄貴をするのも大変だよね。
数日も経てば、とてもじゃないが補助輪がいるドラテクには思えん。じゃあ取ろうとなって親が取ったら普通にスイスイ漕いでいたという。
勝手に乗っていたから訓練なんてしたことがない。親がちゃんとそう言ってました。
そうだったのか。ていうか皆そうじゃないの?
私からすればコレに乗るのは歩くとか物を食うのと同じくらい普通のこと。歩く、食うは、やらないと死ぬから人に教わることなく皆勝手にやるようになる。チャリも同じだった。歩くのと変わらぬ簡単に出来ることだったから、理屈をどうこうこねる余地がない。
となると、こんな簡単な乗り物に乗れない子供が可哀想になってきた。
私はこんなもの30分も跨っていれば誰でも乗れると思っていたのだが、向こうに滞在した2日間訓練してもほぼ成果が出なかった。
マジで?どういうことなの?物理でガンガン行くより理論で攻めるインテリなのに、それなのに乗れない理屈がよく分からない。
なにコレ?チャリに乗れない呪いでもかかってんのかコイツ。そういう事を思うとこちらも悶々&ちょっとのイライラが来たりもするが、ここで怒ってはいけない。
コレに乗れないなんてグズだなぁ。確かにそう思ったが、この「グズ」というワードは頭で思うのみで、口で発するのは止した方がよい。人前で発すればだいたい揉めたりして良い結果に向かわないからだ。というのが私より人を知る祖父からの教えだった。ましてやさっき生まれたようなチビに言うことで自信を失わせては可哀想だ。
困ったなぁ。出来る側でやって来た人間は、出来ない人間の事情が心身セットでよく分からない。人目に嫌味ったらしい気持ちだが、それがマジだからしょうがない。
こんなに素敵な乗り物に乗れたら感動ものだ。
自動車、バイクはマシンの力で勝手に進むが、自転車は己の力で景色が変わる。そこが大きな違いであり、より自分の力で頑張ったことから、自転車の方がファーストライドの感動はデカい。その成功体験をこのチビにたっぷり味わわせてやりたい。
でも時間切れで私は家に帰ることになった。
私は自転車に乗れないのって、もしかしてこの世で一番可哀想なことなのでは?と思うくらい乗れないあの子のことが心配になり、救ってやりたくなった。
この自責の念なり強い責任感はどこから来るのだ。そう自分にツッコミながら帰宅後も何かしてやれることはないかと色々考えた。
こういうのはハウツー動画があれば良い。見て学ぶのも効果的だ。
で、そういうのはYou Tubeにきっとある。
調べたらやっぱりあるある!あるものだからURLを向こうの家に送って親子共々見て学べとエールを送った。
すると、動画で学んで一晩経った次の練習の時にスッと乗れるようになったのだ。
笑顔で運転する子供の動画を送ってもらった。これを見て私も笑顔になった。
なんだろうか。このフルフルと心震わす想いを人は歓喜と呼ぶのだろう。誰よりも人をやっている私がそう呼ぶならもうそれで正解だ。
というわけで、チャリは良いぞ!
チャリで来た!っていう謎ワードが流行ったけど、あれも乗れなきゃ何も出来ないし言えないからね。チャリで来た!をやりたきゃ2つの車輪を回せ回せ!もちろん乗る時には安心安全にね!
良い正月でした。おかげが餅が更に美味い美味い!
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