「ゲゲゲの鬼太郎 誕生編」は、1996年11月22日に発行されたマンガ。
先日、Netflixで令和の悪魔くんを見た。すると悪魔くんのマンガが読みたくなった。じゃあ探すかってことになり押し入れの中のジャングル(我がライブラリ)に潜り込むと、悪魔くんがなかなか見つからない。その代わり鬼太郎のマンガが出てきた。同じ水木ワールドだから鬼太郎でもいいか~となり熟読するととても楽しかった。
やはり水木ワールドは良いぞ!この不気味さがいつも陽キャをやっている私には良い湯冷ましとなって心地良い。いつも日向にいると火照るんです。
というわけでちょっぴり闇コンテンツな鬼太郎が今熱い!
この本はジャンプコミックスくらいの厚さのサクッと読めちゃうタイプだから一晩で楽しく読んだ。墓場の傍で始まる怪奇譚ってことで、敢えて夜に読むことにした。雰囲気って大事だものね。
親が水木ワールド好きという関係から、掲載されている話は全てガキの時分に楽しんでいる。今思えばありがたき英才教育。それを令和になってまた読むと味わい深い。古い本だけに、その中に広がる世界も古い。
しかし背景に見る不気味さと美が混在した不思議さよ。背景めちゃくちゃ良いな。描き込みがすごい。水木先生の描くキャラクターは愛らしいのや間抜け面の多くいるが、そことギャップを感じる背景美がヤベェ。やっぱりプロ作家は上手いこと描くよなぁ~。
誕生編なので、我らが鬼太郎の誕生エピソードが収録されている。オリジナル版とオリジナル版のおどろおどろしさをやんわりマイルドにしたリニューアル版の2タイプが収録されている。
オリジナルだと鬼太郎が片目になった怪我のシーンの描写があるのだが、あれは子供の時に見てちょっと怖かった。硬い墓石に目をぶつけたために潰れてしまうのだ。これを見てからは墓でふざけるのは止そうと思ったものだ。とはいってもそもそも墓前でふざけるような落ち着きのない子供ではなかったのだが。
知っていたけど、改めて鬼太郎の親父とおふくろがブサイクだな。親父は包帯ミイラ男だからそもそも顔がよく分からんし、見えている部分でもブスだな。おふくろも言っちゃ悪いけど、画力の高い水木スキルからすれば落書きレベルで気の抜けた顔をしているし。
世間では目玉状態の親父が知られるばかりで、しっかりと鬼太郎の両親がこんな感じということはあまり知られていないはず。
最近のアニメの鬼太郎はイケメンに描かれているが、親の遺伝子的に決してイケメンになれるものじゃないんだな。
美化のことを言えば、収録されている「あかなめ」のエピソードに猫娘の前形態なのか、猫子(ねここ)という妖怪娘が出てくる。この娘も全然可愛くない。ていうか髪の毛ないやんけ。女子かどうかの判別もムズい。
この大昔の時代にはまだ獣系の萌え自体普及がなく、その中にある猫娘という属性も全く伸びていなかったのだな。だからせっかくの猫の女子でもコレかぁ。
貸本時代の頃からぐ~んと萌え文化が栄えた末、最新版アニメ鬼太郎の猫姉さんはあんなに美しくなったのだな。マンガの猫娘に親しんだ親達があの猫姉さんを見た時には違いすぎてヤバいって言ってたし。
そんな猫系ヒロインの進化の歴史も勝手に感じてうんうん頷く謎の夜。
やっぱりこいつも主役のポジにいるのがねずみ男。こいつは良いクズキャラの味を出している。この昔からも憎めないクズキャラポジの発明があったのが偉い。ホントしょうもないおっさんだよな。だがそこが良い。
鬼太郎からねずみ、ねずみから鬼太郎の時にもシバく時には「ビビビ」の擬音が記されるのが面白い。この特徴的なビビビってココが発祥なのか。他のマンガでは見ない表現だな。
最初は墓場鬼太郎のタイトルだったけど、アニメにしようってなると関係者が墓場のワードを嫌ったという。それもあってゲゲゲのワードのお世話になったとか。
水木氏が記したあとがきでそういった経緯が書かれていた。勉強になります。
これが大昔の大衆娯楽の一つである鬼太郎マンガかぁ~と恐れ入りました。愛嬌、怪奇性、教養がありとても楽しめた。最近になっても新作アニメが作られるくらい愛されるのも納得だ。この鬼太郎も世界に向けて日本の良さを発する際には強い手札になるな。
ありがとう鬼太郎。ファミコンとかゲームボーイで出たゲーム版も面白かったぞ。
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