こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

SFにもリアルな人生観を見た「 手塚治虫名作集⑤ はるかなる星」

 連日読むぞ手塚マンガ。名作集の4と5のみ自宅にあった。どちらも面白かったので他のも読みたいところだが、小遣いを使いたくないのでどこかで立ち読みでもするかぁ。

 

 今回読んだのは手塚治虫名作集⑤「はるかなる星」。

 アトムを生んだくらいだから、SFこそが手塚ワールドの本領発揮ターンと言って過言なことはまるでない。この巻では異色SF作品を集めている。それぞれ味わいがあって面白い。ページを繰る手がどんどん速まっていたのが思い出。

 

 収録作品は

「はるかなる星」

「0次元の丘」

「ガラスの脳」

「あかずの教室」

「低俗天使」

「グロテスクへの招待」

「ふたりでリンゲル・ロックを」

「奇動館」

 以上8作品。

 

 異色SFとあるからどれも一癖ある感じ。必ずしも爽快なものではなく、不気味さがあったり後味が複雑なお味のものもある。考えさせられるメッセージ性もありでそれぞれ面白い。

 

 表題作「はるかなる星」は、脱走した体を脳が追いかけるという一風変わったSF鬼ごっこを描いている。

 主人公は火星開拓を行う男。火星の開拓に生身であたるのはキツい、ていうか無理。そんな都合から、開拓者各員は脳を丈夫なロボの体に移植して作業にあたる。その間オリジナルの体はよそで保管しておくことにする。無事仕事が終われば体と脳が元のワンセットに戻るという未来的生産スタイルが取られている。これは面白い設定。リアルな世界でもこんなことになったら怖いどすごいことだと思う。

 ある時、電子頭脳が主人公の体に入って動き出し施設を脱走する。火星から地球に逃げてしまうのだ。

 電子頭脳の目的は、同郷の電子頭脳に恋したことから再会したいというものだった。作られた電子頭脳が、同じく電子頭脳に恋して恋い焦がれる。こんなことがありえるのだろうか。心を持ち愛を語る電子の子とは、なんとも不可思議。

 脱走した体は7日と生命活動を維持出来ない。となれば持ち主くんは仕事どころではない。全てを賭けて体を奪い返す冒険に出るしか無い。

 分離したのが別々に動き出し、脳が体を追いかけるなんて奇妙な図式が完成している。この設定が面白い。

 

 後半の電子頭脳最後の選択のシーンは重い。ゆえに印象的。

 恋した電子頭脳か、体の持ち主の命か、どちらを優先して動くかのシビアな選択が迫る。結果、体の持ち主を助けて恋人とは永遠に会えなくなる。

 なんともシビアで悲しい結末。この切ない後味が嫌いな味ではないから良かった。

 

「0次元の丘」はなんともオカルティック。

トゥオネラの白鳥」のレコードを聴いた者の中に、違う時代を生きた違う人間の記憶が蘇る。それが異なる国に数人出てくる。なんとも不思議な怪奇現象がキーを握る。

 この曲何?と思って調べたら実在する物だと分かった。ウィキにページがある。知らなかった。

 主人公少年の弟がそのレコードを聞いた時、弟の中に外国の女性の人格と記憶が生まれる。そんなおかしな事になっている人間たちを集め、彼らの記憶にある場所を目指す。奇妙なSF冒険開始である。

 戦争で惨殺された家族の魂が世界中に散らばって各員の体の中で目覚めたというオカルティックな落ちだった。オカルトものも行けるのか。

 魂の蘇りや転生の要素もありなのか。昨日も今日も見た転生アニメに通ずるものがこんな昔の作品にもちょこっとあったのかも。

 

「ガラスの脳」は結構お気に入の部類かもしれない。切なさとラブが詰まった悲しきSFもの。

 生まれた段階から昏睡状態にある女の子の赤ちゃんがいる。名前は由美ちゃん。

 彼女は大きくなっても一向に目を覚まさない。眠り姫な彼女に恋をした雄一少年は、連日連年目覚めのキスを食らわす。そして17年目になって由美はやっと目覚める。SFはさておき、まずは愛のロマンスです。

 体は17でも心は赤ちゃん。でもブランクを取り戻そうとすごい勢いで脳が仕事をしてあっという間に心が体に追いつく。不思議だ。

 17年も充電した由美に残された時間はたった5日。神のお告げでそう分かり、本当にその通りになる。この5日の内に濃密な一生を終えるしかない由美、それに寄り添う雄一、瞬時に燃え散る二人の青春物語が愛しい。

 セミの中にも17年間土の中に埋まって地上に出たら5日くらいで死ぬのがいる。じゃあ自分は何のために生まれてきたのだろう。そう思っても仕方ないから由美ちゃんはその内容を口にします。

 それは現在を生きるためであり、青春は生きていることを確かめるためにある。雄一くんは、若い割には勉強した頭でさっとそう答えてあげます。気が利いたことを言える快男児

 切ないことに5日のみの青春を終えたら、由美は60のおばさんになって永眠するまでずっと寝たきりだった。たった5日間の間に二人は結婚まで済ませている。すごい早送りな人生。

 レアな体質だからってことで死後に脳解剖を行うと、由美の脳はばあさんのものとは思えないガラスのようにキレイな脳だったという。これを受けてじいさんになった雄一くんは、こんな泥のように汚れた現代で60年生きるなら、たった5日間を本気で生きて汚れ無き心と体で散っていく由美の人生の方が幸福だったのではなかろうか。そんなことも考えてしまうのである。深いなぁ。全く浅くない人生の考察だ。

 ダラダラと無益な日々を送るか、短くとも濃密な青春を生きるか、振り返って真に価値があるのはどちらなのか。これは考えさせられる。

 人生なんて長く生きれば良いものではなく、期間に関係なく充実した内容であることが重要。そういう気づきが得られた。

 

 この作品に見られたユニークな表現は、病院で雄一がゴホゴホと咳をしたら「ゴホゴホ」という文字が具現化されて床に転がる表現。その散らばった「ゴホゴホ」を看護師がちりとりで掃除する内容まである。ドラえもんの道具みたいな現象だな。

 音が形になって人間が触れているというマンガだからこそ出来ちゃうユニーク表現が良い。

 

 

「あかずの教室」は、複雑怪奇とも例えられよう思春期の心の暴走が起こすポルターガイスト現象がテーマのSF青春劇。

 兄弟キャラがメイン。先に生まれた兄の方に優遇があり、弟の自分は何でもおさがりの後回し。そんなフラストレーションが幼少期から溜まり、本人の意図しないポルターガイストという形を取って発散される。

 SF要素に鬱屈とした思春期少年の心理が盛り込まれたちょっとリアル性もある話だった。私も上にお兄ちゃんを持つ身のお子様をやっていたわけだが、そこの比較で何かストレスだったことは無かった。まぁ私が諸々規格外だったこともあってそこのところで優劣の感情が生まれることはなかった。幼い内こそ兄弟関係って複雑なのかもね。

 この家のお母さんは美人だが、お父さんがまるで冗談のようなコミカルキャラデザで笑った。お父さんに笑ったのが思い出。お父さんだけ赤塚マンガ感あるキャラだった。

 

「低俗天使」は未来と今が交差するちょっと怖い話。

 ロリ少女の密航者がいるってことで船の中を追い回される。カメラマンの主人公と少女が行動を共にするようになってから少女の謎が色々と分かってくる。

 少女ジュジュの正体は、西暦3212年の未来から来た日本人だった。時の迷子猫状態で現代にやって来る。

 3212年の世界では、日本が南北に分かれて内戦状態にあり、現在は南が押され気味なのだそうな。その騒ぎから一旦の避難をせねばってことで、ジュジュは昔の世界に飛んできた。

 未来の日本がやばいという要素が一番の驚きどころ。

 なんだろうが密航者で不法滞在者の扱いを受けてジュジュには追手がかかり、最後は銃殺されてしまう。未来に帰れず家族との再会も叶わず一人寂しく死んでいくジュジュが可哀想。恐ろしい未来の証言を受けたカメラマンは事態を重く受け止めて今後の世界を歩むのである。

 途中でジュジュがガキのくせして丁半博打でめっちゃ勝ってくるなんてまだ平和に見れるシーンもあったが、未来あるロリの芽を摘んでしまったオチは可哀想。そんなロリを大事に育てられる平和な未来がずっと続くよう人類は気を引き締めなければならない。学びですなぁ。

 

「グロテスクへの招待」が一番良かったかもしれない。これ、面白いです。

 SF性の中にイレギュラーながらも正直な愛を盛り込んだディープなテーマ性が楽しめた。

 男女のラブの話だが、それが異質なものだった。 

 まず雄作少年と仲間が海で泳ごうと話すところから始まる。しかし雄作少年は泳ごうとしない。海に入りたくない込み入った理由がある。その理由が分かる回想話が本編になる。

 幼馴染の少女 ネリとの思い出話が語られる。このネリちゃんが相当に厄介な体質を有していた。

 ネリは愛したものを体内に取り込んでしまうグロテスクラブ女だった。特殊体質すぎる。

 最初はクモ、次いでトカゲ、ネコと続いていく。取り込みたてだと取り込んだものの要素が優先され、ネリの体もそっち合わせに変化していく。クモを取り込んだら髪型がクモみたいになり、トカゲだと肌質や顔もトカゲのようになる。

 ネコを取り込んでいる最中を雄作が目撃してしまうところはややグロい。ネコの体半分が同化し、残りはまだってな具合。ネコを取り込むと毛が生えてネコ人間になる。

 支配力は直後だと外部側が強く、それでも数日すればネリが支配していつもの体に戻る。ここが不思議。

 雄作がくれた人形を好きになって取り込んだ時には、ビッグサイズの人形になる。シュールな変化だけどなぜかコレが一番不気味だったかも。

 確か魚のアンコウも愛の行いがあればメスの方はオスを取り込んで同化するとか聞いたことがある。愛したからにはマジで心身が一体化して2つあったのが1つになるのか。そこまで溶け合う愛なら素敵なのかもだけど、人間で考えるとやっぱり怖いよな。

 となれば好きになったら人間の男も取り込んでしまうのでは?となるのが雄作くんの勘の良いところ。怖い思いはあったけど、ネリのことは友人として好きだったので、人を取り込むことがないよう注意しながら付き合うことに。雄作くんも肝が据わっている。グロテクス体質にも怯まないラブや友情があるのだな。

 最終的にネリは、海が好きなことで海と一つになる。海がネリになり、ネリが海になる。こうして広い海と一体化すれば、いつでも雄作くんと会える。切ないけどラブに溢れた一体化。シュンとしました。

 海=ネリなのだから、彼女に入るなんてことは自分には出来ない。それが雄作くんの泳がない理由だった。

 異質な愛の形があり、最後にはストレートに純愛に帰って来る。この切なさも良き。時には狂気に似た愛の形もある。そこにはSF性なんてない場合もある。そんなことが改めて思えるものだった。まぁ太古からも愛はマジで色々だから。

 

「ふたりでリンゲル・ロックを」は、素敵な運命を辿る物語で一番読後感が心地よかった。

 本作は昭和57年に発表されたものだが、作品世界は1989年から始まって最後は1999年で落ちる。今となってはどの数字を見ても古い。昭和57年って西暦でいうといつなのよ?パッと計算出来ないくらいその年号に馴染みがない。

 この世界では色んなデータから未来を予想するコンピュータが発達していて、それはそこらの一般人でも小型化されたものを持っているレベルで普及している。

 主人公少年 世田ノ介は、幼馴染少女の鶴寺いぶととことんまでに相性が良くないから付き合うべきでないとコンピュータの計算で結果が出た。つうわけで親もあの子と付き合うなと世田ノ介に言うのだが、世田ノ介はそんな電子の予言などふっ飛ばしてやる!の勢いでいぶとの友愛を深めるのであった。電子の意見でなく生の人間の直感で友情を信じたところが男らしい。

 ちなみに世田ノ介という珍しい名前は、コンピュータで調べて古今東西どこにもいないレアネームだからってことで決定したとお父さんから説明があった。へぇ、世田ノ介って名前は手塚ワールド内の1989年当時だとゼロだったのかぁ。

 結構恐ろしいのがコンピュータもバカではなく、むしろ未来予知がしっかりしているくらい優秀なこと。確かに世田ノ介はいぶといることでプチの範囲ではあるけどなんか不幸なことになっていく。諸々人生が快調に行かない。

 そんな時、世田ノ介の同級生のメガネ男子が「ノストラダムスの大予言」を持ち出して話し出す。1999年、世界はとんでもないことになる。そしてそれにはいぶが絡んでいる。彼女が世界を手に入れることでヤバいことになるとコンピュータも予想したと言うのだ。これはもうマジモンのやばさ。

 これを受けてもなお世田ノ介はいぶに罪はなく、予言が当たったとしてもどのように作用するか分からない。とにかくその未来まで生きてみなきゃ分からないと己の心と不安がるいぶに言い聞かせるのだ。結構芯がしっかりした良い男じゃないか。

 そして来た10年後の1999年。世田ノ介はなんか知らんけど宇宙船リンゲル・ロック号の乗組員に選ばれる。えっなんで?と思うままに宇宙船まで行ってみると、宇宙飛行士になったいぶと再会。二人で乗り込んで宇宙を目指します。

 ここでコンピュータの予想の回答発表。「いぶが世界を手に入れる」の「世界」の字は、「世田ノ介」の「ノ」の字を外した状態で縦入力されていて、正しくは世田ノ介を手に入れるだった。

 予言通り宇宙に上がった先でいぶちゃんは世田ノ助くんを手に入れるのである。つまり結ばれるのだった。素敵。

 重ねて素敵なのは、宇宙旅の間に二人が赤ちゃんを作り、それが世界で始めての宇宙人になりましたという平和な落とし方。宇宙で生まれたら宇宙人って理解なのね。

「世田ノ介」という変な名前と「世界」の字が誤ってごっちゃになって素敵なラブトリックに繋がる。このラブな仕掛けが素敵。コンピュータも決して間違ったことは言っておらず、そこはおちゃめなバグとして愛せる。ホント、ピンポイントバグだったな。

 最後の宇宙空間をバックに赤ちゃんの「オギャア」の産声が聞こえるワンシーンも素敵。なんて素敵にラブいSF劇なのだ。

 ロボだメカだのが計算して叩き出した結果で未来を決める数字の奴隷が増えた世界なのは、怖いけど興味深い要素だった。その中でも己を信じて未来を歩んだ世田ノ介のヒューマンソウルは清い。

 こういうロボが導く人間様の進路決定も可能になってくるのだろうが、最終的には自分で見て信じて決めてってことも言っていたのかもしれない。良き内容のSF劇。

 

 最後に収録された「奇動館」は、近未来設定でなく思い切り和風。腰に刀を差した侍が出てくるような世界観だった。

 奇動館という塾で講師をするため訪ねた侍は、なぜか生徒としてそこに入ることになる。塾での教えは一般的な座学ではなく、子供に自由に思考させてのびのびと人間力を伸ばす内容だった。

 最近ではこんな感じで教科書は封印の自由でのびのびとした方針を取る学校もあるとか。そうすることで一般的な座学主流の学校以上に子供の感性と人間性が養えるとか。良い学びスタイルかも。

 この話では科学の発展の有無にも常識にも捕らわれず、自分でしっかり思考しろということが学べる。思考は大事。

 狭い世界に捕らわれることがないよう、先生が気球を飛ばして広い世界を見せてくれるシーンに心がジワル。そういや乗ったことがないので、いつか気球にも乗ってみたいかも。

 思考を続ける限り文明も人間も止まることなく発達出来る。そんな希望が感じられるラストにすっきりした。

 

まとめ

 ただ無闇にSFがしたいだけのことではなく、どこかしらに考えさせられる要素がある。ざっくりまとめて人生観の話ですなぁ。

 限られた命の中で試行錯誤して生きる。それをやってこそ人間だ。それをしないなら機能的に死んでいる。

 これを読むにSFとは思考である。手塚はボサッと生きただけの作家ではなく、物事に対して敏感に価値観を見出す繊細な人間だったと分かる。良いことです。

 SFは楽しく深い。これからも極めましょう。

 とても楽しい読み物だったぜ。

 

 

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