「美少女戦士セーラームーンSuperS」は、1995年3月~1996年3月まで放送した全39話+スペシャル回1話のテレビアニメ。シリーズ第4作目作品である。
内容
うさぎ達が皆既日食を見た後、街の真ん中に突如としてサーカス団のテントが出現する。皆が暮らす街に現れたデッドムーン・サーカス団は、人間の綺麗な夢に住み着くというペガサスを狙って活動する。
闇のサーカス団が街に根城を築いた頃、ちびうさは夢の中でペガサスに出会う。ペガサスからもらった新たな力を用いてセーラームーンとちびムーンは、街で悪さを行うデッドムーンの連中と戦う。
感想
前シリーズの「S」では、人の綺麗な心の中にある結晶を狙って敵が侵略行為に出た。今回敵に狙われるのは、人の綺麗な夢が具現化された鏡となっている。日本転覆や世界征服を狙うよくある悪さではなく、人間の持つ心や夢という抽象的なものが狙われるのが印象的だった。
今回はうさぎや他のセーラー戦士達よりも、ちびうさが主役といった感じの作りになっていて、彼女を中心としたストーリーが多く見られた。ちびうさとペガサスの心の交流が濃く描かれ、その中でちびうさは自分の将来のことや色恋など、思春期特有の問題に触れて着実に心の成長を迎える。
たくさんの人間が見たであろう番組だが、最も多かった視聴者層はおそらく女児だったはず。うさぎちゃん達中学生からシフトし、もっとチビのちびうさの心理描写を多く取り入れたことで、チビッ子の視聴者に寄り添った内容になったのではなかろうかと考える。
今回シリーズでは外部太陽系戦士はお休みしてもらい、おなじみの5人とちびムーンの6人体制でストーリーが進む。そして新たに、アルテミスとルナの未来の子供として子猫のダイアナが追加キャラで登場する。ちっこくて可愛い猫だった。
テーマに人の「夢」を持ってきた点が興味深く印象深くもある点だった。
セーラー戦士達それぞれも将来の夢を語り、考えるシーンがある。ちびうさは自分が子供であることを窮屈に思って速く大人になりたいと願う。
偶然にもうさぎとまもちゃんのキスシーンを見てしまったことで、ちびうさはあんなのでもうさぎは一応自分より大人なのだと思い、自分はまだ子供だと実感する。こういう繊細な子供心を描いたのが良かった。基本はコミカル展開で行くけど、今回は時としてハッと目が覚めるような展開もあった。
大人になりたいというちびうさの願いが叶って、うさぎとちびうさの年齢が入れ替わるという、アニメ「あさっての方向。」みたいな回があった。この一回のみは大人になったちびうさ、またはちびムーンが楽しめる。大きくなったちびうさもまた可愛かった。これまではチビだからというころでスルーしていたが、考えてみるとちびうさは男子がだいたい好きになるピンク髪ヒロインなので、ヒロイン力はやはり強い。「SuperS」ではちびうさの可愛さが更に伝わり、それゆえもっとちびうさを好きになる。
闇のサーカス団メンバーは、ペガサスが潜んでいるであろう綺麗な夢を持つ者にあたりをつけては、心の鏡を狙ってくる。人の綺麗な夢が具現化された鏡に顔を突っ込んでペガサスを探すのだが、この時の鏡の持ち主の表情がなんとも色っぽいというか、苦痛も快楽も伴っているのか?という反応をしめす。夢の鏡に顔を突っ込まれるのは恥ずかしかったり、くすぐったりもするのかもしれない。
デッドムーンサーカスの幹部として、前半はアマゾントリオ、後半ではアマゾネスカルテットが登場して活躍する。それぞれの幹部達もそうだが、今回シリーズで登場する何かしらの曲芸を行うサーカス怪人はデザインから中身までかなりコミカルも連中が多かった。
アマゾントリオはタイガーズ・アイ、ホークス・アイ、フィッシュ・アイの三人で構成されている。こいつらが小競り合いをしつつもなんだかんだで仲良しなのが見ていて面白い。多分サーカス団員の憩いの場なのか、三人はいつもバーで会議を行っている。
綺麗な夢を持つ候補者の写真が何故か用意されていて、三人は写真のターゲットにお近づきになり、油断させたところで心の鏡を抜き取る。こいつらが相手の油断を誘う方法というのが平たく言うとナンパ術なのが面白い。ここの上司であるジルコニアというババアにも「お前達からナンパを取ったら何が残る?」とか言われていた。
アマゾントリオはイケメンだし、様々あるやり口が上手なので、セーラー戦士や大阪なるちゃん、うさぎちゃんのお母さんもターゲットにされたことがある。
ターゲットの写真の内、タイガースアイは若くてピチピチのギャル、ホークスアイは熟女、そしてフィッシュアイはなんと同性であるイケてる男を狙う。趣味は三者三様である。
三人共容姿端麗な男子なのだが、見た目も口調もかなり中性的。中でも意外なのがフィッシュアイのキャラ性だ。フィッシュアイはほとんど女子の見た目をしている。男性ターゲットに近づく時にも女装している。すごかったのが、この容姿と中身を持つキャラを石田彰が演じていたこと。高い声で演じていてテロップを見るまで誰の声なのか分からなかった。若き日の石田彰がいわゆる両生類ボイスで行ける役者で売っているとは知らなかった。今で言う蒼井翔太や村瀬歩くらいに女子の声がいけてた。ザフトの王子様のアスラン・ザラと同じ役者が演じているとは思えないギャップがあった。
そうなると作中一美少年のまもちゃん(地場衛)がフィッ・シュアイの目に止まらないはずはなく、フィッシュアイがまもちゃんに本気で恋する色っぽいエピソードも展開した。セーラームーンはジェンダーの面ではなかなかのフリーぷりを発揮しているのでこういうこともある。
フィッシュ・アイが女性と思った状態でも「俺はうさこにしか興味がない」と言って振るまもちゃんが男らしい。
振られたことでもっと恋や夢というものを意識したフィッシュ・アイが、自分達デッドムーンには夢がないと自覚する流れが印象的だった。セーラー戦士達だけでなく、敵側でも「夢」について言及する流れが興味深い。
タイガース・アイは、夢がないことをフィッシュ・アイに指摘されるとそんなのがあったら面倒くさいと吐く。それも確かなんだなと頷いてしまう問答だった。しかし、それが無ければつまらないというのも人の道である。
後半では、アマゾネスカルテットの4人とセーラー戦士達が揃って成人式のボランティアを行う回がある。成人式というわけで、セーラー戦士達は成人後の夢をそれぞれ語るが、これに対してアマゾネスカルテットは、大人になれば煩わしさが増え、不自由になることから子供のままの方が楽しいというピーターパンシンドローム的考えを述べる。この問答には考えさせられる。だからかなのか、アマゾネスカルテットはややロリな見た目でうさぎちゃんたちよりも少し子供っぽい。大人になることを放棄した彼女達の容姿は成熟した女子のそれではない。でも胸が結構あったりする点が頭に「やや」をつけてのロリなのだ。この4人はガキからお姉さんへの過渡期のリミットにあるのかもしれない。チビだけど胸が結構あるという点に戸惑う4人だったが、とりあえず皆可愛かった。
デッド・ムーンのボスのネヘレニアは、自らの老いを恐れ、若さとそれに伴う美に執着する。アマゾネスカルテットが子供であること、または大人にならないことに執着するモラトリアム的考えを述べたように、ネヘレニアも「時」に何かと執着していると感じた。こういうことって大きくなると一度は皆考えるのではないかと思う。夢とか時とか老いとか若さとか、これらは引っくるめて心の成長によって考える事柄だと思う。目には見えない抽象的な事柄をテーマに据えた今回シリーズはこれまでと違ったテンションだが、良い方向性で来たものだと思えた。
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