こないだの「マツコの知らない世界」で、アニメ聖地巡り特集をやっていた。これは去年もやっていて、今回は好評につき第2弾目が放送された。めでてぇ!
マツコって知らない事でも「うっせぇ、知らんから黙れ!」を決め込まず、なるたけ知って学習しようと耳を傾ける寛大さがあって良いよな。
傾聴の姿勢を取る。これって簡単なようでいて、実は誰にでも出来るものではない。私は割と得意な方だけど、生物的性質としての落ち着き、または心の余裕がないヤツは他人の話を黙って聞くのが無理なのだ。私んちの父とかが結構そうかも。
好きな事をベラベラ喋る各分野のオタクがいて、知らんなら知らんなりに知ろうと思うマツコが基本穏やかに、時に面白おかしくツッコんで番組が展開する。各回のジャンルの好き嫌いは置いといて、この平和に展開する番組構成が好ましいよな。
私の小学校にもアクティブに釣りに行くヤツがいて、竿も持ったことがないのにそいつの釣り話を穏やかにウンウン頷いて聞いてあげる大柄な子がいた。そんな景色を見ていた過去を思い出した。
大男が何かしらの分野のオタクなりマニアの話を聞いてあげる。小学校の教室とマツコの番組、二つの風景が重なる点に懐かしさと安らぎを覚えるんだよな。
というわけで私はこの番組が好きなんだな~。それと子供の頃なんかは特にそうだけど、単純にデカい何かを見ると興奮したり楽しくなるじゃないか。そんな理由からもマツコを見るとなんかハッと目が覚めるものがある。デカいって素敵な事だと想います。
と番組自体の語りをした後に触れたいのは、アニメ聖地を訪れたくなる人の心理について。
もちろん各員の自由な活動だし、それは旅行好きや作品愛から来るものだから人生を豊かにする良き活動だとしか思わない。
で、この聖地巡りについて見て聞いて今更に思うが、私ってこれだけアニメが好きなのに聖地とかは割りとどうでも良い人なんだな。
というかそもそも地理、もっと絞って土地、郷土への愛情というのがうっすい。
色々な事に興味が湧くのだけど、地理的な事はマジでどうでも良くて、地球儀規模の話なら余裕で、絞って日本の話をしても多分47の都道府県を全部知っていないと思う。
興味がないし、地図を見てここが何県、何地方なんて当てれるようになりたいとも思わない。
興味がない上に知ろうとも思わない。こうなると脳に情報を入れるには最強のガードがかかってしまう。
アニメは見るけど、キャラの名前、作品設定、作品専門用語、作品オリジナルの組織名、国、土地名は興味を持って覚える。
でも例えば、日本のどこそこを舞台にして土地名もリアルの物を使っているとなると、特に何も思うことがない。仮に自分の地元が作品舞台になっても別に何ともって感じ。
アニメを見てもどこが作品舞台かってのは割りとどうでも良い。しっかり内容を追って楽しんだ作品でも、舞台が~県だったのかと後で知ることもあったりする。そのくらいどこの土地が舞台かってことを脳がまるで気にしていないことに気づいた。
だから聖地巡りをするアニメ好きがいたとしても、私は行ってみたいなんて全く思わない。実際に行ったこともない。嫌なことはないが、どうしても行きたいという想いは無い。行ってどうするのだろうくらいに思う。
とか言っても与えられた環境で最大限楽しむが人生のスローガンだし、それが実際に得意だから、仮に行ったとしたらどうせめちゃ楽しむのだと思うけど。
作品自体に愛を向けても舞台にはまるで無関心。こうなると、それでホントにアニメ好きなのか?と自他両方から疑いが出てくるような。
どうなのだろうか。私はアニメが好きだけど、作品舞台なんてどうでも良いんだよな。内容が好きならそれでいいし。
これって自分の中で意外な気づきなんだよな。
例えばキャラが好きになれば、その声も好きになれば、演じた中の人に興味を持ってその人のラジオ番組にもチャンネルを合わせるようになる。愛が伝播して活動幅が広がる例としてならコレはとっくに経験済み。
でもアニメの中で素敵な街だから実際にロケ地にも行こうという思考に至ったことがない。逆にそういう思考になる人って随分ユニークなロジックをしているよな。
めちゃ冷めるただの事実を述べてしまえば、実際にある風景がアニメに出て来たからそこに行ってみようと思っても、やはりそれはリアルの世界でアニメの事じゃないから。
最終的にその冷めた落ちに話が持ってこれて、じゃあ行かんでもよくないってなるんだよな。
これがちょっと不思議なんだよな。そっくりな重なる世界だが、もっと踏み込んで考えるとやっぱり重なっていない。
私は熱狂的にアニメに沼る迂闊なまでの快楽主義者である一方、時には一歩下がった場所から冷めた目で見るリアリストでもあったようだ。
まぁ適度、節度を持ってアニメにも旅行にも向き合うのが良いだろう。
昨今ではアニメ熱ゆえ、聖地巡礼時にオタクがこともあろうに聖地を荒らすなんて事件もあったりなかったりするとか。
根っからの悪人ではなくとも、一時的に熱しやすい人間だから、その一時のテンションに合わせてやらかし案件を持って来がちというのもまたオタクの本質。悪があるかもしれないが、そこには愛もあるとも言えるんです。と聖地荒らしを最低限フォローしてこの話を終えよう。
いずれにせよアニメは神なり紙なりが人類に与えた聖なる贈り物。そんな素敵な内容の発明です。
世界に向けて弾けろ!ジャパニメーション!
では聖なる眠りにつこう。
スポンサードリンク