こしのり漫遊記

どうも漫遊の民こしのりです。

最近の困り事 2024年6月 - 家の整理-

 6月だな。早くも結構蒸し暑い。日本の夏は本当に暑いから嫌になっちまう。

 そんな事を言っていたら「じゃああなたは外国を知る帰国子女なの?」と人から問われることがあるが、修学旅行以外で県境も越えたことがない国内or県内引きこもり人間です。←自己紹介おわり

 

 しかし今年ももう半分が終わるのかぁ~。光陰矢のごとしと言うが、矢の速度ってのもあんまり分かっていないよな。なにせ射手ではないもので。基本的には徒手空拳派であり、困った時には現場調達で得物を握るくらいなもので(そこらに落ちている枝木とか業者が置いたままの角材とか)。

 とりあえず昔の人間は、時間が流れる感覚が速いことを矢の速度に例えたのだな。同じ意味の言葉を令和時代に作ろうっていうなら「矢」というアイテムを用いて例えることは100%無いだろうな。だって弓道選手でもない限り人生に一生登場しないアイテムだろうから。

 そんなどうでもいいようで、我ながらユニークな発想なようでな事を考える内に、一体何本矢を放てるだけの時間が過ぎたことだろう。分かりません。

 まぁ私はブラインドタッチで高速入力が出来る人間なので、ここまで打った無駄話の時間など些末な問題だと片付けて本題に入ろう。

 

 お題は最近困る事ね。

 我ながら解決の緊急性もなければめちゃくちゃ規模の狭いことなんだけど、規模なんて関係なく哺乳類をやっていれば困り事なんていくらかはあって当然だ。当然のそれが私にもあるってことで、やはり私こそが人間だと確認出来た今日このごろでした。

 

 何に困るかっていえば部屋の整理だな。ていうか前々からもずっとなんだけど。最近になってまた新しい切り口で困る。

 収集癖がエグいから、今一度自己を見つめ直してなんとかしろと親に言われました。まぁそれも分かる。

 恐らくだが、先祖がエサを集めて冬眠に備える何かしらの哺乳類だった頃の名残があるのだろう。私も本能的にとにかく何かを集めなきゃ、たくさんあれば頼もしいし眺めて気持ち良い、という割と短絡思考であれこれ集めちゃうわけさ。

 

 で、後を振り返るとすごい量。困る。だからここ1年はヤフオクでちょいちょい遺産分けってことで、見知らぬどこかのオタクにお宝を譲る活動をしていた。だがしかし、減った分ちゃっかり増えているんだよな。

 なんて間抜けな話なんだ。これだけ減ったからこれだけ入れてもまぁ良いかっていう、よく考えたらまぁ良いかなんてことはないお気楽ムーブで物が補充されている。思考をサボるという人間のダメなところが人生に出ちゃっているなぁ。

 

 

 ここ1年で本とCDを合わせて余裕で百越えで消し、トータルだとどんだけ減ったか分からん。面積、重量共にかなり減ったんだけどなぁ。あれらがマジで重いから日々小分けして事務所まで持って行く作業もしんどかったわい。

 やべぇ。それだけやった割に成果が微妙。まぁさすがに消した分を越えて物を入れてプラスにはなっていないが、マイナス分をそんなに稼げていない。この結果は……やべぇ。

 

 物を売れば確実に儲けが出るから、それでまた調子こいて買っちまうんだよな。この「収益」という精神的に強い武器が人をどこまでも調子こきに導くのだ。金なんて持ちすぎると良くないってのはそういうことなんだな。まぁいくら稼ごうとも努めて小市民マインドで生きようとは思っているのだが。

 

 増えたのはゲームだな。ここ最近はゲーム欲しい欲しいおばけでも取り憑いたのか、絶対に死ぬまでに出来ない量を集めてしまっている。もうね、病気かもしんない。見たら欲しい。欲しいなら動かなきゃ。そうして財布が静かに開かれ、閉めた時には内部が飛んでいる。で、物が増えているのだ。怖いわぁ~。

 ゲームなら本やCDより軽い。物によっては小さい。じゃあたくさん行っても大丈夫!と思って集め始めても人生とはチリツモ(塵も積もれば山となるの略)。しっかり山ってます。

 こうなったら重機でも入れないと崩せないぜ。今になって詰んだ山にビビる。でもゲームはマジで手放したくない。コイツらは22世紀まで、果てには棺桶まで連れて行く!そんな気合充分な姿勢で今日を生きています。

 

 ゲーム収納用にデカい棚を用意していたのだが、それがもうパンパンやで。そろそろ恐怖の4桁目が見えるくらい数が揃ってしまった。

 アホやな~と想う反面、方々に向けて足を使ってかき集めた我が青春が愛しくてたまらない。やはり収集のために旅した記憶は、愛しく楽しくいつまでも胸に抱きたいプライスレスにしてプレシャスな人生のお宝。

 ケチケチマインドで安い中古ばかりを集めたけど、それでもこの数をいけるくらいには私も金を集めて来たわけか。なんだかんだ人生よくヤッてるわ~。生涯借金はゼロだからね。

 

 まぁそんなこんなで楽しいんだよ。楽しいけど、楽しいだけでは人生は終わらない。

 ラブをするなら心が傷つくこともあれば、相手を傷けることもある。楽しい事をするにも無傷でゴールまでどうぞどうぞ~なんて甘い事はない。苦さと厳しさも人生を美味しくする不可避のトッピング。というわけで今が苦しみ時かも~。

 

 もうね、私はきっちり揃えてぴしっと物をしまいたいんだよ。シャツの襟とコレクションはとにかくきっちりぴしっとなんだよ。たるんだことをするのは嫌いで、そっちの方が心がシンドいのさ。←母親譲りの真面目気質な人間。

 

 でも最近は棚からあぶれちまうのもあるから段ボール行きのお宝ちゃんも出てくる。

 何が悪いのだろう。思考する事に長けない仲間だけど、とにかく暇しているってことで、ウチのお兄ちゃんにもそこんところを考えてもらった。

 

「このデカい箱ばかり買ってくるのが始末が悪い」

 

 お兄ちゃんがそう言うので、デカ箱限定版コーナーを見るとこいつらの占領分がヤベェなとアホでも気づく。

 

 もうコレよ。一番困るのはコレ。各メーカーは新作を出す毎に通常盤1形態で売ってくれよ。そしたらこの困り事は無くなる。

 最高に所有欲が満たされるキラキラボックス、その内部に封入される実用性皆無の大事にしまっておきたい数多の特典、どれもこれもグッジョブの産物だが、間違いなくこいつらが生活スペースを圧迫している。

 こうして困ると分かっていても人は、中でも絞ってオタクは、やはり「限定」とか「特別」とかって言葉に弱い。本当に弱くて耐性ゼロなんだよ。

 色んな病気に耐性があって医療機関に踏み込むことがゼロの私でも、限定の魔力に対する耐性はゼロなんだよ。

 

 分からん。なぜ中身は一緒なのに外見が違うことでこうも人は無駄にデカいものを買ってしまうのか。限定に取り憑かれて通常を取る選択肢を消すオタク心理について研究し、大学の卒論のネタにすれば教授から結構ウケが良いかも。そんなアホい事も考える始末だわ。

 

 最近もSwitchソフトにその手のおまけわんさか限定ボックスのがあると知ってちょっとあさってしまっている。←本体持っていないくせにね。

 Switchにレトロゲームの移植版が多く出ていて、それらが豪華ボックス仕様でとにかくコレクションしたい意欲を滾らせるのだ。あれも危ない。場所と金が飛ぶ。あまり見ないようにした方が良いかもしれない。本体が無くて遊べないヤツですら刺激するとか魔力でしかないわ~。

 

 セガサターンや初代プレステの時代からも限定箱売りはあった。私が一番手を出したのはPSPあたりかな。PSPの初回箱売りソフトはかなりあるぞ。全部見栄えが良いんだなコレが。

 

 これ困るんだよコレ。ていうか前にも、その前にだって同じ事をココに書きなぐった事があるんだけど、まぁオタクなんて得てしていっつも同じ事考えがちだから。だったら数日空けてまた同じ事を思って書いてなんてことがあるのも全く不思議ない。むしろ自然。

 

 こうして日々困り毎と向き合っていくのだな。それが人生なんだな。

 見つけて買うのが本当に楽しい。でも家に持ち込む段になってちゃんとしまえないと分かると「なんてことをしてしまったんだ私……」とまるで犯罪でもして来たかのような懺悔混じりの複雑な気持ちになる。なんか胸がキュって締め付けられる瞬間なんだよな。

 楽しい事をしてなんでこうなるのさ。後悔ではないのだが、偉い数重ねてしまったという謎の重圧があるのかもしれない。

 人生なんて肩に背に何も物がない方が楽だ。背負う物が多いと人は漠然と不安になるのものだ。今の私の心理がそれなのかもしれない。

 

 やめたら?て人からよく言われるし、もっとやれの応援なんてゼロだし。それでもやめるのはなんか違うくない?となり、そうなったからには正解ではない行動は取れない。いつだってベストアンサーが欲しいという割と完璧主義人間みたい。まぁその完璧ってのも人によって設定位置が異なるんだけど。

 

 そんなこんなで、人生の楽しい部分もそうではない部分も感じて、今日も私は楽しい事に引っ張られて生きるのさ。

 6月は悟りが捗るシーズンでしたね。悟るのが好きです。「さとる」っていう名前のヤツを見たら思わずビビッと反応者ちゃうくらいには好きっす。

 

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